農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 昔々その 昔

子守唄
挿絵:種田英幸
文  :種田庸宥 日本福祉大学客員教授



 

江戸の子守唄

ねんねん ねんねこよ
ねんねのおもりは どこいたあ
山を越えて 里行た
里のおみやに 何もろうた
でんでん太鼓に 笙の笛
起き上がり小法師に 振り鼓

ねんねんねんころり
ころころ山のうさぎは
なぜに お耳が長うござる
親のお腹にゐるときに
枇杷の葉食べて 長うござる
明日は疾うからおひんなれ
赤のまんまに とと添えて
ざんぶざんぶと上げましょよ
ねんねんねんねこよ

五木の子守唄

おどま盆限り盆限り
盆から先はおらんと
盆が早よ来りゃ 早よ戻る
おどま勧進勧進
あん人たちゃ 良か衆
良か衆 良か帯 良か着物
おどま勧進勧進
がんがら打って歩るこ
土瓶で 飯ァち 堂に泊まる
おどまいやいや 泣く子の守にゃ
泣くと言われて 憎まれる
おどま馬鹿々々
馬鹿んもった子じゃつで
よろしゅ頼んもす 利口かしと
おどんが打死んだちゅうて
誰が泣やァてくりゅうきゃ
裏ん松山 蝉が鳴く
蝉じゃござらぬ 妹でござる
妹泣くなよ 気にかかる
おどんが打死んねば 道端埋けろ
通る人ごち 花あぐる
花は何の花 つんつん椿
水は天から 貰い水
ねんねした子にゃ 米ん飯わしゅ
黄粉あれにして 砂糖つけて
ねんね一ぺん言うて 眠らめ餓鬼は
頭たたいて 尻ねずむ
おどまいやいや 泣く子の守にゃ
泣くと言われて 憎まれる
辛いもんばい 他人の飯は
煮えちゃおれども 喉こさぐ
子どんが可愛がりゃ 守に餅食わしゅ
守がこくれば 子もこくる


 

土佐の子守唄(1)

ねんねよ ねんねよ ねんねこよ
ねんねのお守りは どこへ行た
あの山越えて 里へ行た
里の土産に なにもろた
でんでん太鼓に 笙の笛
それを貰うて なににする
吹いたり 鳴らしたりして遊ぶ


土佐の子守唄(2)

ころころ小山の 小兎は
なぜに おめめが 赤うござる
母ちゃんお膝に いたときに
南天の実をば 食べたから
それで おめめが 赤うござる

アイルランドの子守唄

きらきら光る ゆりかごで
うちのよい子は 眠ります
お日さま西に 沈むとき
風が静かに ゆすります
空に 小さな お星さま
よい子の寝顔を みつめます

 

民衆文化史の原点

 子守唄には寝かせ唄、遊ばせ唄、子守労働歌謡等があります。江戸時代、行智の「童謡古謡」にある江戸子守唄は、寝かせ唄に入るでしょう。
 そして、「ねんねんねんねこよ」というはやしことばは、仏教の「念念」から来ている、仏教歌の和讃の形式を取り入れた歌ではないかともいわれています。
 念仏にも使われる笙の笛は、土佐では「吹いたり鳴らしたりして遊ぶ」と遊ばせ歌に変わっています。
 江戸子守唄の後半「枇杷の葉を食べた」は、土佐では「南天の実を食べた」になっています。敗戦間もなく、私は幼な友だちの画家・種田英幸さんの家の庭先の南天の前で、下の妹を背負って遊んだことを思い出します。英幸さんにうかがうと、この南天は今も健在の由。
 熊本県五木村から始まった「五木の子守唄」は、旦那衆の家に奉公した、貧しい娘たちの子守労働歌謡です。子守娘の諦め、抵抗、不満、淋しさが歌われ、民衆文化史の資料としても貴重です。勧進=かんじんは乞食、子守娘たち自身の卑称です。
 最後にアイルランドの子守唄を入れておきましょう。これは、こころばせ歌ともいわれる抒情歌です。欧米では、赤ん坊のまどろみに必要なムードをうたい上げる、叙景的な歌も多いのです。

(2004.9.30)

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