農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 昔々その 昔

七夕祭りです
挿絵: 種田英幸
文: 種田庸宥 日本福祉大学客員教授



牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の物語り

 大空に流れる天の川の東に、美しい乙女がいた。天帝の娘で、織女と呼ばれた。
 彼女は、機(はた)を織ることを仕事としていた。明けても暮れても、杼(ひ)を動かしている。杼の動くにつれて、美しい衣が織り出された。天帝はそれをあわれに思って、
「織女も日ごと骨の折れる仕事ばかりして可哀そうだ。夫でも持たせたら、少しは気が晴れるだろう」
と考えて、天の川の西に住んでいる牽牛(けんぎゅう・牛飼い)という男と結婚させることにした。
 織女は、結婚生活の明るさ楽しさに、すっかり酔って、機を織ることなど、まるで忘れ果てたように、絶えず牽牛のそばにくっついていた。
 これを見た天帝は眉をひそめて、
「織女、早く天の川の東に帰って、機を織るがいい。愛におぼれて、仕事をなおざりにするとは何事じゃ。今後は一年に一度だけ、牽牛に会うことを許す」
と叱りつけた。
 織女は夫のそばを離れるのが辛くてたまらなかった。しかし天帝の言いつけに背くわけにはいかないので、夫に別れを告げて、天の川の東に帰ってきた。そして機を織りつづけながら、年に一度の逢瀬を待ちわびている。
 年ごとに会う7月7日を牽牛と織女は指折りかぞえて待っている。しかしその頃に雨が降りつづいて、天の川の水量が増すと、7月7日が来ても、二人は会うことができない。東と西とに別れて、川の岸に立ったまま、恨めしげに川の面を見つめていなくてはならない。
 そのいじらしさ悲しさを見かねて、かささぎが、天の川を渡す橋となって、織女を東の岸から西の岸へと渡してやると言い伝えられている。

 (『淮南子』星辰説話)

機織り機は消えたが

 晴れた夜空を南北に流れる天の川がよく見える季節になりました。川の両側のよく光る星、東側が織女(機織り娘)、西側が牽牛(牛飼い)と名づけられ、間をさかれた男女の物語が、天の川がよく見える大陸のあちこちで語られています。
 スイスの伝説では、異なる星に住むようになった愛し合う男女が、星と星の間に、光の橋を渡した、それが天の川だといわれています。中国や日本とはちょっと違っていておもしろいですね。
 今回は、一年に一度の逢瀬に、雨が降って、天の川を渡れない、それを見かねたかささぎが、羽をのばして橋になって、二人を会わせてやるという、中国の二千年前の本から、話をいただきました。
 主人公の天帝の娘が機織りで、牛飼いと結婚するという設定。中国でも、その頃から娘たちは機を織るのが普通だったのですね。
 つい半世紀前まで、日本の農家の女性は、ヒマさえあれば機織り機に座って、杼を動かしていました。化繊時代に入って、機織りはなくなりましたが、女性は少しは楽になったでしょうか。
 七夕祭りに、今年は、みんなどんな願いごとを書いたでしょうか。

(2005.7.8)

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