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この人と語る21世紀のアグリビジネス

最大手穀類加工調製機器メーカーの使命に応え
顧客に喜ばれる優れた商品を提供


(株)サタケ 佐竹 利子代表
佐竹 利子氏
 精米機を中心とする穀類加工調製機器の最大手メーカーとして知られる(株)サタケは、この3月で創業107年目を迎えた。利子代表は「祖父が種を播き、父が育て、夫が発展させた」と社業を振り返る。本紙では、新生サタケを率いる利子代表に、研究開発を核にしたサタケの企業姿勢や新たな取り組み等を訊いてみた。

聞き手:坂田正通(農政ジャーナリストの会会員)

◆先代、覚代表逝去の悲しみを乗り越えて

佐竹 利子氏
(さたけ としこ)米国南カリフォルニア大学芸術学部商業デザイン科卒業。平成9年(株)サタケ(佐竹製作所)代表に就任。平成13年(社)日本食品機械工業会理事、広島大学後援会理事長、(社)発明協会理事。
 ――本日は、様々な問題を抱える農業や、サタケの新たな取り組み、JAグループに対する要望・考え方等、忌憚のないご意見を伺いたいと思います。
 まず、覚代表の突然のご逝去、大変だったですね。

 佐竹 一昨年の11月主人を亡くしまして、以来社員共々、懸命に努力してまいりました。お陰様で、無洗米の特許係争も好転しておりまして、業績面も含め明るく元気なサタケを取り戻すことが出来ました。

 −−創業者で精米機を開発されたのは祖父の佐竹利市さんですね。

 佐竹 はい。107年前、祖父が日本で最初に動力精米機を考案し販売を始めたのが創業となっております。開発した精米機の中には、醸造用精米機もあります。
 ご存知のように、広島県西条は酒の都でございまして、今は10社の醸造会社がございます。最高級のお酒として吟醸酒というのがありますが、私共の精米機の技術があったから可能となったもので、お酒の歴史の本に記されております。

 −−玄関に銅像がありましたが、創業者ともう一方は二代目利彦さんですね。

 佐竹 父の利彦は技術者でして、近代精米技術に関する理論で、東京大学から博士号を頂きました。また半世紀に亘る椰子・蘇鉄の蒐集は、趣味を超え世界的な権威となり、この分野でも東京農業大学から名誉博士号をいただいております。沖縄に八重山椰子というのがありますが、学名をサタケンチャ・リュウキュウエンシスと言いまして、発見者である父の名前が付けられています。石垣島にはこの椰子の大群落があり見事な光景でございます。
 
◆アメリカ留学と覚代表との出会い

 −−利子代表は、アメリカに留学をされたそうですが、よくご両親が許してくださいましたね。

佐竹 利子氏

 佐竹 父も自分の夢を私に託した、という一面もあったんだと思います。主人と会ったのは、アメリカの大学でした。私と会ったために人生が変わって、申し訳ないと言う気持ちでした。
 結婚に関しては、私が勝手に相手を選んだということが不満で、一人娘の結婚相手は自分で決めると思っていた父は、3年ばかりは首を縦に振らなかったんですが、主人の母が大きな理解者だったんです。

 −−利子代表は、留学中のご専門は何だったのですか。

 佐竹 商業美術です。CMアートをやりたいと思ったんです。

 −−そうしたベースが、このモダンな社屋に繋がっているんですね。

 佐竹 テキサスの郊外に行きますと、ガラスの宝石箱のような建物が有り、それに憧れていました。最初は日本的な発想ですと、無駄な空間を作るということは、建設会社の設計者の方には、なかなか理解していただけなかったのです。私は覚えていなかったのですが、完成するまで128回も打ち合わせをしたそうです。

 −−結果としてデザイン賞を頂いたそうですが。

 佐竹 はい、日経新聞のニューオフィス賞を頂きました。
 都会では、このようなオフィスビルは珍しくありませんが、温室を併設していますので、自然環境と調和してすばらしいと評価されたのでしょう。地方の建築物ではなかなか頂けない賞だと伺っております。

◆新たな製品の開発と多様化する事業展開

 −−覚前代表は、経営者であり、学者でもあったのですか。

 佐竹 主人はアメリカ的な経営センスとダイナミックな発想を持っていた人でしたが、その反面、明治生まれの厳しい父親の影響で、典型的な日本男児としての謙虚さと礼節をわきまえていました。祖父が種をまき、父が育て、主人がグローバル企業に発展させてくれたと思います。13年ほど前に世界第二の製粉メーカーを買収し、サタケの精米の技術を麦に活かしまして、製粉機を造りました。歩留まりが良く、品質の良い粉が出来るんです。
 また主人が開発した製品の1つに、色彩選別機もあります。この研究開発で東京大学から工学博士号を頂きました。主人は毎朝2時間、夜2時間くらい研究に費やしていました。

 −−品質の表示に関しては、肉から米に問題が移ってくると思いますが。

 佐竹 まさにそうした問題に対応出来る機械を、私共は開発しております。米粒判定機といいますが、そういう機械を食糧庁と一緒になって研究してきました。

◆画期的な家庭用精米機「マジックミル」

 −−サタケの業務内容を概括的に説明してもらえますか。

佐竹 利子氏

 佐竹 米と麦、加工食品等がありますが、加工食品ではマジックライスというのを作っています。最近は味も良くなっており、ディズニーシーや居酒屋さん等でも使ってもらっています。
 マジックミルはポット程の大きさの卓上精米機で、好みの白度に搗精出来ますが、大きな特長は、一番大切な栄養が残っている胚芽精米が出来ることです。このミルを使えば、手軽に胚芽・発芽米を食べられます。
 健康に良く、味も良いので一度使われた方は,手放せないと評判でございます。

 −−革命的な家庭用精米機ですね。美味しいですか。

 佐竹 もちろん美味しいんです。 以前雑誌BE−PALが家庭用精米機の特集をしたことがありましたが、このミルは精米機メーカーの製品だけに、評判が良かったようです。

 −−今話題の無洗米NTWPについてお話ください。

 佐竹 NTWPは開発発表して既に2年になります。現在国内で46工場、アメリカでも3カ所に設置されています。私共の無洗米はスーパージフライスとNTWPですが、併せて国内100カ所を超える工場で使ってもらっています。

 −−サタケは、日本農業の発展とともに精米機等を中心に社業を発展させてきたわけですが、系統メーカーとして将来をどのように考えておられますか。

 佐竹 系統組織とはお互いに共存共栄でやっていきたい、サタケはより良い製品を造ってお役に立ちたいと思っています。また情報を共有化して、生産者にも消費者にも繋がっていこうと思っています。お米では、栽培から収穫して口に入るまで、すなわち川上から川下まですべてやらせていただいております。

 −−代表のご趣味は。

 佐竹 1つはゴルフですが、なかなか練習する暇がありません。また食べることが好きですから、作ることも好きです。主人との出会いも料理から始まりました。
 国内外の大切なお客様が来社された時は、ほとんど家にお招きして私の手料理で歓迎しております。また、会社の幹部とのコミュニケーションや社員のマナー教育にも利用しています。
 他には、写真を撮るのが好きでした。留学する際、私の父が持たせてくれたのは、キャノンのカメラと真珠の指輪だったんです。奨学金をいただきながらの貧乏学生でしたから、いざ何かあった時はこれを売りなさいという親心だったのでしょうね。

 −−長時間にわたりありがとうございました。


インタビューを終えて
 佐竹利子代表は、(株)サタケの代表として何処に出かけるにも覚代表と2人一緒、おしどり夫婦として業界では有名だったが、「会社のトップとして主人と一緒の時に比べて一人で代表を勤めるのは厳しさが全然違います」と現在の心境を話す。
 一人娘の利子さんが親の許しを得るのに3年待って、アメリカ留学で知り合った覚さんと結婚、佐竹製作所専務として広島に迎えられたのはほぼ40年前。私に出会わなかったら主人は違った人生を歩んでいたはず、負い目を感じますと前代表故人となった覚(さとる)さんの思い出を話る。
 佐竹利子代表の趣味は料理とゴルフ。料理はマナーから素材までこだわり、よく幹部社員を自宅に招く。ゴルフはマスターズの観戦にオーガスタ・ナショナル・ゴルフコースに数回足を運ぶほど、有名人との交流も巾広い。佐竹家の歴史は映画監督松山善三氏の筆により「人間3代」として小説風に書き残されている。
 新しいサタケの事業で、マジックライス、マジックミル(家庭用キッチン精米機)などの消費者むけ商品がある。佐竹利子代表直々の商品説明に納得し、インタビューの席でマジックミルを衝動買いした。玄米から、胚芽米でも歩づき米でも1合1分間の割り合いで精米が出来あがり。台所の隅に置けば毎日つきたての美味しいご飯が炊ける。世界一の精米技術が小さな家庭用精米機に結集されている。(坂田)


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