農業協同組合新聞 JACOM
   
コラム
消費者の目

「楽しさ」に活路


 学校が大変なことになっています。いじめが原因で自殺する生徒。いじめを放置したと責められ校長先生までも自殺。いったい、どうなっているのでしょう。

 私が小学生時代を過ごした高度成長期の末期は、安保闘争で学生運動の真っ只中でしたが、小学生の出る幕でもなく、巨人・大鵬・卵焼きに象徴されるとおり、王と長嶋の二枚看板を擁した巨人の人気は絶大で、私たちは学校が終わると広場に集まっては野球に明け暮れていました。野球は基本的に18人で遊ぶスポーツでしたので、とにかく頭数をそろえることが最優先でした。おかげで誰かを仲間はずれにするとか、いじめるという発想そのものが無かったように思います。頭の中は遊ぶことしかなかった。私が受験を意識したのは中学3年生になってからでした。

 一方で、学校や家庭では「体罰」が当たり前でした。少なくとも私が育った環境はそうでした。先生方もそれぞれ得意技を持っていて、生徒のほうも楽しみながら体罰を受けるようなところがありました。
 小学校三年のときに担任だった先生は、宿題を忘れた生徒を一列に並ばせ、「びんた」をする人でした。アントニオ猪木の「びんた」を自ら進んで受ける人の列を見るたびに、あの先生のことを思い出します。中学の技術家庭科の先生は柔道部の顧問で、忘れ物をすると胸をつねったのですが、つねる時の手加減が絶妙で人気がありました。いかにも痛そうに見えて実は痛くないのです。時々体重の軽そうなやつを選んでは、「富士山みせてやるぞう」と言いながら、生徒の頭を両手で持ち上げるという荒業を披露していましたっけ。
 体罰を肯定するわけではありませんが、あの時代は、体罰を受けた後に気まずさの残らない、名人芸を持つ先生が多かったように思います。

 最近いじめが多いのは、学校がつまらないからではないかと思うのです。いろんな意味で面白い先生もいたし、夢中になれる遊びがありました。「小人、閑居して不善をなす」という言葉があります。「小人」はもちろん小学生のことではありませんが、人間暇を持て余すと、ろくなことにならない。変な「ゆとり」は必要ないのかもしれません。
 体罰とスキンシップは紙一重かもしれません。ひとつの価値観だけで物事を判断してしまうと、上手くいかなくなったときに切羽詰ってしまう。「いじめで本当に辛かったら、学校なんか行かなくたって構わないじゃない」という意見があってもいいでしょう。

 ゲーム機などの一人遊びはあまり多くの仲間を必要としないだけに、子供たちは大勢で遊ぶことが少なくなっています。時代の流れといってしまえばそれまでですが、何か楽しいことがあるところに人は集まるものです。学校も「楽しさ」というキーワードに活路を見出して欲しいと願っています。もちろん、「学ぶ楽しさ」を子供達に感じてもらうことが何よりですが。(花ちゃん)

(2006.12.8)



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