農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 第50回JA全国女性大会特集号 農業の新世紀づくりのために

上州の「かかあ天下」
中島 明 氏

 「最近の女性は強くなった」と言われて久しいが、それは働く女性の社会進出や男女共同参画の風潮に裏打ちされた言葉・表現であろう。女性が経済力を持ってきたということだ。しかし女性が強かったのは何も現代社会における特異な現象ではない。江戸時代後期でも上州の女性は強かった。世に言われる「上州名物、かかあ天下に空っ風」がそれである。上州の「かかあ天下」とは、上州の地場産業として換金性の高い養蚕業が発展したことと、経営権を持ち、養蚕業を担った技術集団としての女性達の働く姿の反映でもあった。

◆上州名物 3つの「か」

中島 明 氏

なかじま・あきら
昭和8年2月群馬県生まれ。専修大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。『幕藩制解体期の民衆運動』(校倉書房)『信州佐久・小県の「御一新」』(信濃毎日新聞社)『八州廻りと上州の無宿・博徒』(みやま文庫)他。

 上州(群馬県)の名物に、「3つのか」があるといわれる。「かかあ天下」と「空っ風」、それに「雷」である。この筆頭に位置する「かかあ天下」を全国に知らしめたのが、浪花節である。
 昭和も一桁の頃、大正14年(1925)に始まったラジオ放送の人気番組に登場したのが、浪曲師の二代目広沢虎造である。彼は「清水次郎長」や「国定忠治」で売り出していた。そこで上州を代表する博徒国定忠治の浪花節を聴くと、「上州名物かずかずござる。かかあ天下に空っ風、おっとまだある長脇差」という台詞で始まっている。国定忠治を語る浪花節の始まりが「かかあ天下」なのである。
 ところで「かかあ天下」というと、世間の人びとの捉え方は、気が強く負けん気だけが取り柄で、がむしゃらな上州女という程度ではなかろうか。古くは文政3年(1820)に刊行された十返舎一九の『続膝栗毛』第十編の「草津温泉道中記」がある。この中で彼は、上州の女性を「大声を上げる」、あるいは「気が強い」野卑な女として登場させている。
 明治22年2月の『上野新聞』でも、「婦人奮発僕平伏、何事野郎腰抜窮ル」と上州女のむこうっきの強さだけを強調している。また松本清張原作の『共犯者』という映画の一こまに、「高崎を一歩出たとたんに、家も女房も、きれいさっぱり忘れるんだ。カカア天下に空っ風、くそ食らえさ、ハハハ」という台詞も立場は同じである。
 このような見方は、現在市販されている辞書にも反映している。例えば「妻の権力がつよくて、夫の頭があがらないこと」(『広辞苑』)、あるいは「夫より妻のほうがいばっていること」(『日本語大辞典』)などを読めば一目瞭然である。ただし『成語林』は、違った見方をしている。すなわち「上州では養蚕が盛んであった。この仕事は女性が行うため、一家の経済の主導権が女性にあることが多く、発言力も大きかったという」説明である。そこでこの点について、考えてみることにしよう。

◆「前橋生糸」 富の象徴――欧州で高い評価

明治2年イタリア公使 前橋養蚕業視察錦絵(谷口高次郎氏蔵)(「群馬県百年史」より転載)
明治2年イタリア公使 前橋養蚕業視察錦絵(谷口高次郎氏蔵)
(「群馬県百年史」より転載)

 上州の「かかあ天下」が、多くの人びとに認められ、さらに長い間忘れられることなく言い伝えられている背景には、上州の養蚕業があると筆者は考えている。そこで上州の女性と養蚕業との関連について、推測を巡らせてみることにする。
 上州養蚕業の基盤を確立した書物として、馬場重久の『蚕養育手鑑』(正徳2年)がある。馬場は本書の中で「蚕にて富貴になりたる物語」という項目を設け、一人の農民を実例にして、養蚕の換金性を指摘し、その経済的優位性を強調している。さらに彼は、富者になるためには、蚕飼育の技術を学び、無駄を排除した経営の合理化が必要であるとする。この本の出現によって上州の人びとは、養蚕により一層力を入れるようになった。その中核となったのが、きめ細かな蚕の飼育、すなわち女性の持つ繊細な感覚と骨身を惜しまぬ勤勉さであった。
 このように上州の女性は、春から夏にかけては、養蚕に精を出し、秋の収穫を終えると今度は、糸挽きと織物に専念した。そのため品質の優れた繭と生糸と織物を生産する能力を持つ女性は高く評価され、彼女らの収入は、男性のそれよりもはるかに高額であった。
 それに拍車をかけたのが、安政の開港である。日本の生糸は、ヨーロッパの養蚕事情が加味されて、一躍主要な輸出品となった。上州では、誰の技術指導があったのか確たる証拠はないが、海外向けの生糸生産に大きく転換していった。元治元年(1864)の頃、生糸の市場であった境町では、売買される生糸の80パーセントが外国向けであったという報告書が残されている。そのため桐生織物業は、「糸飢饉」に陥り、海外貿易を停止する運動を起こし、老中に直訴するほどであった。
 需要に応じた生糸を生産するだけでなく、優れた品質の生糸を世に送り出した上州女性の成果、それは「前橋生糸」として、ヨーロッパ市場で高く評価され、高値で売買された。上州で生産された生糸は、横浜に持ち込まれ外国商人に売り渡された。この時、高値の取引に成功した日野地方(藤岡市)のある商人は、数頭の馬の背に天保銭を積み上げ、護身用のピストルを懐にして村に帰ってきた。その時、余りにも大量の天保銭を積み込んだので、銭の重さで馬の背骨が折れてしまったという伝承も残っている。

◆「飛び出し離婚」 夫への「三くだり半」

皇国養蚕図(折茂幹一氏蔵)(「群馬県史」より転載)
皇国養蚕図(折茂幹一氏蔵)
(「群馬県史」より転載)
 こうなってくると上州においては、未婚や既婚を問わず、彼女らの収入は男性のそれを足下にも寄せ付けなかった。そのため家庭内における経済的覇権は、完全に女性のものとなった。「かかあ天下」が生ずるのは、漆黒の闇の中で火を見るよりも明らかである。このような傾向は、江戸時代の離縁状である「三くだり半」の文言にも、見事に反映している。「三くだり半」について辞書は、「昔、夫が出した離縁状」と説明をするのが、一般的である。しかし、上州女性の出した「三くだり半」を読むと、立場が逆転している。妻からの離婚請求である。「飛び出し離婚」ともいわれるがこの場合妻は、夫に対して「趣意金」(慰謝料)を支払うか、持参金の放棄をするか、いずれかを選択しなければならない。しかし上州の女性は、自分の働きで得た収入で支払う者が多かったといわれる。中には実家が貧乏であったり、自分には蚕飼や糸挽きの技術はないけれども、離婚した後に農業奉公に出るという約束で得た前払い金で慰謝料を支払って、離婚を成立させている女性も散見する。嫌いな夫、あるいは働きがいも生活力もない夫に多額の慰謝料を支払うことが出来たのは、それを可能にする経済的実力を手にしていたからである。

◆博徒国定忠治 逃走の陰に3人の女性

蚕あがりの図(青木裕氏蔵)(「群馬県史」より転載)
蚕あがりの図(青木裕氏蔵)
(「群馬県史」より転載)

 広沢虎造の浪花節に登場する上州名物の3番目は、「長脇差」、それは上州無宿や博徒である。作家笹沢佐保の代表作で、一世を風靡した「木枯し紋次郎」も、上州無宿である。また上州を代表する博徒国定忠治は、幕府の役人である八州廻りから指名手配を受けて各地を転々とする「長い草鞋」を履くが、彼はその捜査網を見事にかいくぐって逃走を続けている。その陰には、3人の女性がいた。その中で際だっているのが、菊池徳という女性である。お徳は、忠治の子分五目牛村(赤堀町)の菊池千代松の寡婦であるが、逃走を続ける忠治、あるいは病床に伏せる忠治の精神的・経済的パトロンとなっている。彼女について、当時の代官羽倉外記は、「お徳は他の鳥を食い殺して生きる鷹や隼のような女性である」と紹介している。これは彼女の経済的感覚の鋭さを言い表しているものである。
 そこでお徳の生まれ育った地域の状況について、若干考えてみることにしよう。彼女は、群馬郡有馬村(渋川市)の農家に生まれ、幼少の頃から養蚕業の経済性について疑うことなくたたき込まれた生活を送っていた。そのため奉公に出ても、また正妻の座についても忘れることなく精進した。そして養蚕で得た利益を資金にして、金融業を営んで財産を築き上げていった。お徳が養蚕に注目したのは、馬場重久の著した『蚕養育手鑑』で、その経済性を会得したからである。それはお徳の生まれ育った地域の環境、母親の血を引き継いだ生得的な勘、あるいは日々の教育の賜であった。それに加えて馬場が住んでいた下村(吉岡町)と有馬村は、まさに指呼の間にあった。さらに『養蚕須知』を著し、次いで『開荒須知』を公にして養蚕の経済性を強調した吉田芝渓も隣り村に住んでいた。彼女の生まれ、育った場所は、養蚕業を主体にした農家経営が当然のことと考えられていた村方であった。

◆一家の主権は 断然、嬶天下に帰す

桐生の紗綾市に出かけた女性 桐生天満宮絵馬の部分(「群馬県史」より転載)
桐生の紗綾市に出かけた女性 桐生天満宮絵馬の部分
(「群馬県史」より転載)
 以上のことを見事にまとめたのが、横山健堂の『新人国記』(明治40年)である。この中で横山は「養蚕や機織りという仕事は、女性の手を借りなければとうていすることの出来ない仕事である。農家は女房や娘、言い換えれば女性の働き手があったので、毎日の生活費を比較的容易に手に入れることが出来た」と記している。そして横山は、「一家の主権、断然嬶天下に帰す」という結論を出している。
 終わりに次の詩を読んでいただきたい。

嬶天下 白絹子  (『横野乃華』第29号)
間抜けと怒鳴り馬鹿と呼ぶ
其勢の凄まじや
見ずや又もや
女房の声荒立てて
ああらあらあら皿飛びぬ
さても危し亭主の身
これを何と見やしゃんす
上州名物嬶天下

 ここに登場する「女房」は、単なる女房ではなく、「上州の女房」である。そして作者は、女房を陰で罵倒したり、自分を卑下したりしているのではない。一家の経済を支える女房に深い愛情と、感謝の念を表現しているのである。そんな働きのあるすばらしい女房に、真っ正面から「有り難う」と本音をいえない上州男児の斜に構えた言葉なのである。皆さん、いかがですか。

(2005.1.20)


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