農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 生産者と消費者の架け橋を築く女性たちの役割

 生産者の女性たちへのメッセージ

インタビュー
農業の魅力―もっとアピールを
地元で穫れる旬のものが一番

宮崎総子さん(テレビキャスター)


 輸入増加などによる農産物の価格低下、また少子高齢化による担い手不足と耕作放棄など日本農業の現状は非常に困難。そんな中でJAは生産者と消費者の架け橋となり、安全・安心な農産物の提供や環境を守るなどの役割を果たさなければならない。その中心は農業女性たちだ。そこで第51回JA全国女性大会に向けた本紙特集「生産者と消費者の架け橋を築く女性たちの役割」で女性たちへのメッセージを宮崎総子さんから送ってもらった。TBSテレビ「奥様8時半です」をはじめとする多くの番組でテレビキャスターとして、圧倒的に主婦層に人気がある宮崎さん。テレビ番組の取材はもちろんのこと、義兄の俳優、仲代達矢氏が主宰する無名塾の舞台の演劇プロデューサーとしても全国各地を訪れた経験から、インタビューは優しい語り口ながら、内容の濃いものとなり、農業問題はもちろんのこと、それに深く関わる子供の教育環境や食料輸入の問題などに及んだ。


◆“花嫁の父”に感銘

宮崎 総子 氏

みやざき・ふさこ 立教大学文学部英米文学科卒。昭和41年フジテレビ入社。46年フリーとなり、個性ある実力派司会者・インタビュアーとして活躍。その間に最も人気のある司会者に贈られるMTV賞を受賞。無名塾のプロデューサーとして演劇制作も手がけ、主なものにはアーサーミラー作「セールスマンの死」、マルシャーク作「森は生きている」などがある。著書や講演、朗読、コーチング指導などでも活躍。

 ――テレビのお仕事はフジテレビが振り出しですね。

 「アナウンサーとして入社しました。当時は女性は25歳定年制という前近代的な契約がありまして…理由を聞くと『女の幸せは結婚にある』と言われましたね。(笑)
 結局、私はフリーになりまして、TBSの情報番組『奥様8時半です』の司会をするきっかけとなりました」

 ――女性司会者として長寿の記録をつくったわけですね。

 「はい13年司会しました。その間結婚、出産、離婚も(笑)。
 朝、子どもを保育園に預け、仕事をすませ、お昼には子どもを迎えにいきたかったのですが、保育園から『正しく生活することが良く育つこと、お母さまの都合でお預かりしているわけでありません』といわれ夕方まで時間をつぶしてました。子育ても若葉マークでしたから良い保育所で、いろいろアドバイス頂きいい形で、子育てと仕事を両立できたと思ってます。忙しい生活でしたが、当時のワイドショーは政治から芸能まで幅広い中身でしたから、番組出演を通して、社会勉強もできました。恵まれた時代でしたね」

 ――ほかにも数多くの番組を担当され、農家の話を聞くことも多かったと思いますが。

 「結婚式の朝、花嫁さんにお話しを聞く『花嫁の朝』という人気番組で、埼玉の大きな農家を訪ねた時の印象が強く残っています。『農家の娘は農家に嫁ぐべきだ』と言うお父さんの方針で、花嫁は高校卒業後ずっと家の農業を手伝って、近くの農家にお嫁に行くことになったのです」
 「娘さんは『最初は友達のように東京の大学に行きたかったので父を恨んだけど、農業の楽しさ、両親の苦労と喜びが理解でき、父のいう通りにしてよかった』とにこにこ話されたんです。涙で聞いていたおとうさんが感動的でしたね。お父さんは、東京に行ってサラリーマンと結婚すれば、里帰りしても農業を継いでいる弟と話が通じなくなる、家族で話が合わないほど不幸なことはないと思ってらっしゃったんですね。息子さんは、未来の日本の農業の指導者となるべく、外国の農業の大学に行かせたんです。農業人として農業に愛情と誇りを持っていて、見識がありますよね」

 ――農業者であっても娘を農家の嫁にしたくないという人が多い中で、いい話ですね。

 「そうですね。農業は大変だという意味では…北海道で農業機械を導入し過ぎ、借金返済のため結局農家をやめ、土地を売って、すこしでも収入の多い仕事に代えたと言う話を聞きました。先祖からの土地を離れなければならなかった気持ちを考えると辛いものがありましたね。今は近所の農家との共同利用が全国的に増えたようですがね」

◆体験教育の重視を

 ――著書の中には「羊も鳩も僕らの教科書」(新潮社)という本があります。あれは長野県の小学校における総合教育の取り組みなどを書いています。

 「1年かけてテレビの番組で取材したものをまとめたものです。クラスごと子供が選んだ、たとえば『羊を飼ってその毛糸を作る』とか『大豆を育てて豆腐を作る』と言うテーマに沿って勉強していくというもので、子どもたちに多面的な活動の場を与えることで、どこかで自分が発揮でき、子どもに自信が生まれるんです。」

 ――しかし最近は子どもたちが、実体験したり、自然に親しむ環境が失われていますね。

 「そうですね。私は東京で育ちましたが、母が自宅の庭でナスやトマトを作り、ニワトリも飼っていました。お正月前にはそれを絞めて、骨でだしをとって、身はおせちやお雑煮で食べました。今だと残酷、気持ち悪い、となるのかもしれませんが、そうしたことで生かされている現実を知りますし、ありがたい、感謝の気持ちが育まれたと思います。テレビ番組のナレーションをやって知ったのですが、ロシアでは中学・高校のうち1年間は農業や漁業などの実際の仕事を体験させる期間をつくっているそうです。日本でも絶対やったらいいです。変な受験勉強は子供を人間として壊していると思いますね」

◆芝居も農業も同じ

 ――姉上の故・恭子さん(ペンネーム隆巴)は脚本家・演出家で、俳優の仲代達矢夫人です。妹の宮崎さん自身も仲代さん主宰の無名塾でプロデューサーをされました。無名塾は地方の方々とのおつきあいがあるとか、農家の方々ともですか?

 「はい、無名塾のお芝居は全国の演劇鑑賞会の方々が支えてくださって100を超える公演をしますので、ありとあらゆるお仕事の方との交流がありますが、石川県の中島町の方々とは特別なつながりがあります」

 ――無名塾はなぜ石川県中島町(現在は七尾市)と縁ができたのですか。

 「世田谷の稽古場では大声を出してのお稽古はご近所に迷惑で肩身の狭い思いをしていたのですが、演出家の方に誘われ中島町を訪ねたところ、野山が広がる田園地帯で仲代が『こんな所で思い切り稽古ができたらいいな』とつぶやいたんです。それを聞いた町の方が『よかったらどうぞ』と誘ってくださったのがきっかけで、30年ほど前から無名塾の夏の合宿を始めました。
 はじめは宿もないので民家に泊らせていただき、そのうち広い家を貸してくださる方があってそちらに、農家の方々が野菜や魚を持ってきて食事をつくってくださって、親類のようなおつきあいが続きました。町の方もお芝居に触れ、今は全国的に有名になりましたが、能登演劇堂という演劇専用劇場が町に出来たんです。観音開きの舞台の後の壁を開けると野山が見えるという独特の構造です」
 「今も仲代の公演は必ず能登演劇堂からスタートさせます。この町ではどんなお仕事の方もみんな畑仕事をしてらっしゃるんですよね。みなさん長生きの方が多いです。秋に新米が出ると送って下さるんですが、天日干しだから、おいしいんです」
 「間近に農業をみて、大変と思いますが、収穫の喜びは格別で…芝居づくりとおなじですね」

 ――いま宮崎さんは朗読指導をなさっているとうかがいましたが。

 「はい、姉が始めていたものを引き継ぎ、10年になりました。また企業の方々にプレゼンテーションでの声の出し方をはじめとする話し方の指導もしています。
 話す事って大事なんですが、日本では教育してないんですね、だから力がありながら話し方が悪くて損をしている人は沢山いると思います。企業の方は話し方なんていままで考えたこともない方たちで、目から鱗でした、とおっしゃる方もあったのですが、ものすごく効果があって…話すことのプロを指導するより、意味があるかなと思ってます。自分の気持ちを話し方にのせられると言うことが出来るようになると素敵なんですよね。
 朗読のメンバーは先日姉の追悼をかねての発表会をやったんですが、素晴らしいものが出来ました。これも農業と同じで、こころを込めて作品を読む、毎回同じようですが、それを10年続けると、明らかに違ってくるんですね。自然で奥の深い良い読みとなる、積み重ねの大きさ、体験の大きさを感じますね。面白いことに人間も変わってくるんです。素敵にね」
「農業も一番頼りになるのは、農業大学などの知識ではなく、続けること体験すること、での発見ではないですか?」

◆輸入に頼るのは怖い

 ――食の話に移ります。輸入食料品をどう思いますか。国産農産物より安いから、つい買ってしまうという経済的な問題も抱えていますが。

 「私の住んでいるところは幸せなことに農家が多いんです。庭先に直売所があり、そこの野菜は味もよく、日持ちもします。昔の私は冬でもトマトを食べるという生活をしていましたが、このごろはその時期にとれる旬のものがやっぱり体に必要な気がしてきて、直売所にある野菜を食べるようにしてます。冬はカリフラワーや大根、最高に美味しい、ひと月続けても飽きません」

 ――地産地消費ですね。

 「そうですね。運賃もかかってないから、美味しくて、安い」

 ――米国産牛肉の輸入再開についてはいかがですか。

 「米国側のBSE検査がどうなっているかわからないから、二の足を踏みますね。
 食べなくて済むなら食べません。国産の豚肉で代用したりもできるから」
 「とにかく日本は周りが海だから近隣国との関係が悪化したら兵糧攻めになりやすい。輸入に頼るのは怖いですね」

 ――ところが自給しようにも農家は減る一方です。相続税が高くて土地を売らないと払えないという問題もあります。

 「私のまわりでもそういうことが起こってます。畑を売ってマンションを経営したりするわけですね。だけど先祖代々の農家には土に生き、作物を作り続けてきた遺伝子があるんじゃないかしら…。それがいきなりカネ勘定のマンション経営をしても、うまくいかなくて…失敗して…と言う不幸な話も聞きます。」
 「一方では幸せを農業に求めるサラリーマンもいます。私の前の夫も千葉で農業をしていて、娘に玄米やシイタケを送ってくれます。友人のご主人も畑を借りていて、野菜は買わないと言ってます。サラリーマンで組織の歯車になった経験があると、自分の仕事の結果が目の前に出てくるのは楽しいんでしょうね。人間のこころを育むのもものづくりですよね。農業は日本の食料自給を担う大事な仕事ですから、『農業は素敵!』などといった大々的キャンペーンでも繰り広げたらどうかしら」

 ――しかし農業では生活費を稼ぎ出せない。昔は農村の助け合いコミュニティがあったのですが、今はそれもない。政府はそこに気がついていないのです。

 「政治家は票集めに忙しくて自分のことばかり考えており、お役人のトップにしても他人の気持ちを考えていない。そういう環境で育っていますからね」

◆交流もっと活発に

 ――特に米価が安くて米どころが苦しいのです。今の日本農業は兼業で支えられていますが、役人はそこに目を向けません。最後に農家と消費者の交流についてお聞かせ下さい。

 「生協では産地交流などをしていますが、それは組織活動でしょ? もっと個人的に親子づれで交流できるような接点というか架け橋があれば楽しいと思います。私も以前は取材でよく農家を訪問して、縁側でお茶と漬け物を食べたりして…。そこで出た話で取材を変更したりもしました。」
 「今は農村女性の悩みをよく知りません。今の日本はこういうメリットがありますという結果の損得がわからないと動かない…無駄に見える余裕のある交流がしてみたいですね。都会生まれの人でも農山村の原風景に憧れるふるさと回帰の志向があるといいますから、地方の人たちとの集まりが持てれば『農村は素敵!』キャンペーンの面白いアイデアが生まれるかも知れません」


インタビューを終えて

 宮崎総子さんは脚本・演出家宮崎恭子さん(ペンネーム隆巴、俳優仲代達矢夫人)の妹さん。両親は呉市出身。父は判事から弁護士になり、東京に移られました。戦争末期に女子供は呉に疎開、赤ちゃんだった総子さんですが、原爆のきのこ雲を見たというお姉さんから原爆の話は良く聞かされたとのこと。
 都会っ子らしく早口。お聞きしたいことの要点は30分ですんでしまった。あとは座談。本当の豊かさのポイントは農業のようなものづくりにある、「農業は素敵!」のキャンペーンやれないかしらという。毎日の生活はお忙しい。早起きして犬の散歩、帰って家の掃除をする。車に乗ることが多いから、最近足を鍛えるため自転車を買った。趣味は、日本画で、花がテーマ。楽しいという。陶芸もする。家の中がじゃまになるほど作品がある。テレビで料理番組を担当していた経験からお料理も好き。食べてしまえばじゃまにならない。お姉さん亡き後、しばらく自分のお仕事を離れ無名塾を手伝う。大変だったのは切符売り。一つの席も空かないのがお好きな仲代達矢さんのために。朗読指導。プレゼンテーションの話し方指導も。パソコン得意。株の売買も最近始めた。
 今年はまずブログをはじめるそうだ。
 一人娘の仲代奈緒さんは歌手で女優としても活躍。 (坂田)

(2006.1.26)



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