コラム

目明き千人

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【原田康】
准組合員が多すぎないか

 組織が大きくなると組織を維持拡大が目的となり、"大企業として流石に立派"と一目置かれ、社会的に高い評価を得るための努力が二の次になる例が多い。わかりやすい例がJALと東京電力である。

 組織が大きくなると組織を維持拡大が目的となり、“大企業として流石に立派”と一目置かれ、社会的に高い評価を得るための努力が二の次になる例が多い。
 わかりやすい例がJALと東京電力である。「公共性」は後から付いてくるとの理屈で、組織内部と取り巻きの人たち、航空族と原子力ムラの人だけに通用する「社会的に認められ公共性のある優秀な企業」となる。他人様のことはよくわかるが、農協組織もこれ等のわかりやすい企業を他山の石としていろいろな意見や提案を受け入れる余裕を持ったらどうか。
 准組合員は員外利用、組合員以外の利用があまり多くなり競争相手や監督官庁から鉄砲玉が飛んできたのをよけるために始まったのではなかったか。信用、共済、生活の事業は農家・正組合員だけではなく地域の人たちの日常生活に便利となり、これらの人達の利用が増える努力をしたので鉄砲玉が飛んできた。
 「協同組合」の役割として地域の人達の生活、地域の自主的な活動をサポートするという機能が重視されるようになってきている。全国各地で農協がこの役割を担っている地域が多くなっている。地域の人達の生活を守る開かれた農協というのはキャッチフレーズとしてはよいが、ボランティア的な組織ならともかく、「事業を行う協同組合」としては性格をハッキリさせてその基盤の上に立って地域への貢献をするというのがスジであろう。
 准組合員は、農業協同組合の基本理念に賛同して出資金を出した人達ではあるが、農業とは直接関係のない人もいて幅が広すぎる。このような組合員が半数を占めるというのは理念の空洞化が起きる。
 日本の農業が直面している課題は国内、海外共によほど腰をすえて取り組まなければ農家がつぶされかねない情勢である。このような課題に個々の農家では対応が出来ない、協同組合という組織はそのためにある。組織は大きくて財政が豊かなほうが頼りになるが「誰のために」が明確であることが社会的に認められる必須用件である。
 農家を組合員とする、農業という産業に軸足を置いた「農業協同組合」が農協である。

(2011.09.28)