コラム

「林佳恵のぎっしり、にっこり!村の知恵袋」

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【林佳恵】
土の恵みを布で現す

気節凌霜(きせつりょうそう)天地知 姿の美しい もうひとつの華
お手玉をひろげませんか。

 山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡の国指定史跡「松ヶ岡開墾場」は、わたしが東京を離れて、...

 山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡の国指定史跡「松ヶ岡開墾場」は、わたしが東京を離れて、訪ねる頻度の、最も多い場所です。
 連載6でふれた、おそらくは日本で一番小さな直売所「ひょうたん」がその史跡内にあります。
 松ヶ岡開墾場は戊辰戦争を無敗で終えた庄内藩が明治政府の廃藩置県による藩士の方途として開かれた地です。養蚕製糸事業のための開墾による桑園造成は、風雨もいとわず行われたそうです。明治5年から明治7年までに、なんと311ヘクタールの桑園、62万5293本の桑苗が植え付けられた由。出羽三山の一つ、月山の麓の原生林を一変させた力の源は、戊辰戦争で心ならずも賊軍と され降伏せざるを得なかったところにあったようです。
 庄内藩は敵の戦死者を埋葬し、回向(えこう)したとの事実が郡義武著『秋田・庄内戊辰戦争』(新人物往来社)に書かれてあります。なんと、そこには、わたしが街おこし事業で関わり、日除け暖簾をデザインして作った秋田県横手市の旅館「平利」の創業者、平田吉蔵の名が…。埋葬のために尽力した人物として登場していました。

気節凌霜(きせつりょうそう)天地知

 農業によって生計の途をたてる士族授産の開墾は全国各地で行われたそうですが、松ヶ岡の記録には、開墾士が生計の途を期待するという記述がどこにもないそうです。この気概に西郷隆盛から送られた言葉は「気節凌霜天地知」(きせつりょうそうてんちしる)。苦労は語らずとも天と地の知るところと労をねぎらった由。開墾記念館には元藩主酒井忠篤の書「天地知」が箴(しん)として掲げられています。史跡内に移築された本陣を管理されている開墾士の子孫の方々の端然とした居住いに、その箴は今も受け継がれてあると感じます。

姿の美しい もうひとつの華

干し柿・トウガラシ

 さて、どうも松ヶ岡のこととなると筆に力が入ってしまいます。本題、「ひょうたん」へ。ここの小さなスペースは美味しい食べ物でぎっしり。そんな中、目が吸い寄せられたのは干し柿。それも食べられない、見るだけの干し柿。きものの残り布を活かした飾りです。思わず手が伸びて、もごうとしてしまう、わかっている筈なのに…。おおっ唐辛子、まいりますね。直売所で食べられない食べ物を買うなんて。生まれて初めての体験です。食べ物の色をリアルに再現しているわけではないのに、それはまさに干し柿で、また唐辛子なのです。唐辛子のまがり具合、秀逸至極ではありませんか。作者がどれほどの慈しみを、地の恵みに寄せておられるのか、胸が熱くなる程、伝わって来ます。(写真1、2)
 レジに向かおうとしてまた釘付けに。ティッシュケースが並んでいます。余り布を

ティッシュ入れ

使われたのでしょうか、色も柄もとりどり。釘付けの理由はその姿の美しさです。 非の打ち所の無い仕立てなのです。たかがティッシュケースと言うなかれ、 小さなものだからと手を抜かない、その姿勢に脱帽です。蓋でもあり、取り出し口の丸み、カーブの美しいこと。ティッシュペーパーが入った姿に皺もたるみもありません。これらの布の作品は石井孝子さん母娘の手になるもの。わたしの事務所の季節の彩りとして、訪れる人たちの中で人気者です。(写真3)

お手玉をひろげませんか。

お手玉

 得意とはいえませんが、わたしはお手玉が大好きです。お手玉が売られていると、しばらく売場から離れられません。写真はそのようにして集まったものの一部です。(写真4)残念ながら直売所で見かけたことがありません。お手玉を子供たちにも体験してもらい、ゆくゆくは地域で競技会…なんて、是非、直売所で実現してほしいものです。

(2007.11.09)