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【金右衛門】
定年帰農にひとこと

 団塊世代に呼びかけて地元への帰農、就農させようとUターン政策を練る地方の自治体...

 団塊世代に呼びかけて地元への帰農、就農させようとUターン政策を練る地方の自治体が多い。団塊世代とは1947年から49年生まれ、終戦2年後のべビーブームに生まれた世代。3年間に700万人の人口増が記録されている人たち。2007年から60歳に到達し毎年徐々に定年退職していく。団塊世代の退職金が日本経済に大きな影響を与えるとも言われ、各業界が虎視眈々と狙っている。
 農業分野でも遅れまいと、労働力、主として担い手対策として団塊世代の地元へのUターンを期待している。「農業では食えない」のが常識だが彼らには退職金や年金があるから生活には困らない、地域に住んで、人口減少に歯止めをかけ、地域の再生に協力してほしいのが本音。農地や家、農業の経験もあり地域の慣習も知る地元農家出身の団塊世代に熱い視線が注がれる。
 新潟県で10年前にUターンした実例を紹介する。佐渡島は、長男に生まれたら地元の農学校へ行き、農家の跡取りになるのが当たり前の時代。Kさんも1932年生まれだから、その時代の考えを持った父親に育てられた。1945年終戦、中学校は新制高校になり、社会の混乱と同時に新しい時代の波が佐渡にも押し寄せていた。周りが皆農家で、そうでない家は非農家と呼ばれていた。トラクターが無い時代、ほとんどの農家は農耕用に牛か馬を飼っていた。牛馬耕。だから牛や馬を治療する獣医は村の名士だった。獣医にあこがれ大学の獣医学部に学ぶ。その時、父は未だ50代後半で働き盛り。息子が大学を終えて、大学院へ進みたいというと、父は大反対。学問をすれば帰って来ない。当時の父親の権力は強かった。「帰れ、しばらくは百姓を手伝わなくともよいからせめて新潟県内で就職しろ」と厳命。後継者の指名である。しぶしぶ農業高校の教師になる。以来40年の歳月が流れ、定年退職。父の意向に沿って、佐渡の農家を相続、職業欄に「農業」と書く身分になった。
 大学院への再チャレンジを始めたのは64歳になってから。今頃の米作農家は、農業機械で昔に比べ手数はかからない。2ヘクタール水田経営でも6ヶ月でお米は採れる。夏冬の農閑期に北海道の酪農学園大学の研究生になる。4畳半の下宿を借りて農業の傍ら佐渡と北海道を行ったり来たり。通学9年間。卒業論文は、「略―アカネズミ属と線虫類−中略―動物地理学的研究」、要するに佐渡の島ネズミを捕まえて冷蔵庫にしまっておき、大学へ持参して解剖した。その数2千頭、16種の線虫を検出した。指導教授は息子位、同僚の研究生は孫位の年齢差がある。ユニークな論文が認められて平成19年3月獣医学博士となる。74歳の博士号取得は学校始まって以来の記録。一方、70代半ばは佐渡の田舎では働き盛り、中核農家として周りの農家と同様、地域の世話役をいくつも引き受けている。

(2007.04.25)