コラム

今村奈良臣の「地域農業活性化塾」

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【今村奈良臣】
計画責任・実行責任・結果責任

―時間軸を踏まえて近未来を展望する―

 昨年の夏、石川県能登の珠洲市にある金沢大学能登学舎をを訪ねた折、JA能登わかばの田中雅晴組合長から、一通の文書の綴りを見せられた。その文書というのは、私が29年前に書いたという地域農業改革と活性化についての提言書ということであった。胸騒ぎを覚えつつ開いて読んでみた。間違ったことを書いていないかどうかと不安だった。これを書いた背景や事情については後で述べることにして、まず、その提案についての文書の全文を示しておこう。

 昨年の夏、石川県能登の珠洲市にある金沢大学能登学舎をを訪ねた折、JA能登わかばの田中雅晴組合長から、一通の文書の綴りを見せられた。その文書というのは、私が29年前に書いたという地域農業改革と活性化についての提言書ということであった。胸騒ぎを覚えつつ開いて読んでみた。間違ったことを書いていないかどうかと不安だった。これを書いた背景や事情については後で述べることにして、まず、その提案についての文書の全文を示しておこう。

◆南大呑地区の地域農業改革への提言(昭和54年8月)

 提言一、「住むに値する村づくり」を合言葉に南大呑地区のあるべき姿を全員で追求しよう。
 提言二、土地基盤整備(圃場整備)の成果を生かし、水稲単作、日稼ぎ体制から脱却し、新しい地域農業を再建しよう。
 提言三、南大呑地区の農業経営の規模は零細であり(平均44a)、自然条件としても立地条件としても必ずしも恵まれたものではない。しかし、反面では創意工夫を発揮すれば非常に大きな潜在的可能性を持っている。それを生かす方向は集約的な複合農業の方向であろう。
 提言四、複合農業の柱となる作物を確定し、作付体系のメニュー(類型)を作り上げ、地域の事情および農家の労働力の保有状態に合わせ推進体制を作りつつ、そのマーケティング(販売戦略)には農協が総力を挙げて取り組むべきであろう。
 提言五、無駄な農機具の過剰投資を抑制し、耕作が困難になってきた農家の農地の効率的利用を図るために、農作業の受委託、農用地の利用権設定による賃貸借の促進を組織的に進めるべきであろう。
 提言六、農家の生活を潤いのあるものにするために、農家の自給力を高めるように努力すべきであろう。そのためには野菜や豆類の作付の拡大、それらの加工による自然食品の摂取などに積極的に取り組むべきである。これは、個々の農家の範囲でもできることであるが、すべての農家に容易にできることではないので農協で委託加工施設や冷蔵・冷凍施設などを設け、組合員の生活改善に資するような方向が取られるべきであろう。
 提言七、農水産物加工を中心にした地場産業を育成し、地区内で生産される農水産物の付加価値を高め、地域振興の拠点を作りあげるべきだろう。
 提言八、集落構造改善のために集会施設整備と集落道整備を行う一方、南大呑地区のシンボル・センターを建設し、ここに南大呑地区の住民が必要とする諸機能の集積を行いつつ、各地区、各階層の住民にとって憩いの場であり、話し合いの場となるセンターを作るべきであろう。

◆今でも通用しそうな提案だった

 田中さんからこの29年前の提言をいきなり見せられた時には、誤った提言をしていなかったかと胸騒ぎしながら読んでみたが、大筋では間違いないこと、若干の表現の修正を行えば現在でも生かせると実はほっとした次第である。
 提言作成の背景と経緯を簡単に述べておこう。
 今から30年前の昭和54年、私の教授であった故阪本楠彦東京大学教授を団長に、東大の大学院生たち多数を連れて、能登半島の内浦にある南大呑農協(当時。現在はJA能登わかばに合併)管内で農村実態調査を行ったことがある。農村、漁村、山村を含むこの地区で詳細な実態調査を行ったが、当時、南大呑農協の組合長をされていた岡野之也さんが、「農村実態調査を行った以上は、その調査にもとづき、この地区の将来進むべき方向について、提言としてまとめてほしい」と言われて、当時、阪本教授の助教授であった私が提言書を書く羽目になった。
 故阪本楠彦先生は実におおらかな先生で、調査の打ち上げの夜は、私ともども大学院生たちと地域代表の皆さん方と大酒を呑み「岡野組合長の言われている提言書を書くのは助教授の仕事だ」と言われ、翌早朝起きて、1時間ほどで提言書を書き上げたことを想い出した。

◆提言は今でも活かされている

 当時は、ちょうど、新農業構造改善事業が始まろうとしていた時期であったので、この提言を新構造改善事業の計画書に活かそうというねらいがあったのだと思う。前記田中雅晴組合長は、当時南大呑農協の専務理事をされていたとのことで、そういう回想を重ね合わせる中で私の記憶もよみがえってきた。
 さて、南大呑農協では、この提言をもとに、昭和55年に農協の中期振興計画を作り、具体的に実行に着手したと田中雅晴組合長は話された。南大呑管内には水産物も多彩にあったので、かぶら寿司やエビせんべいなどの加工品作りにも取り組んだ。かぶら寿司は今でも3500万円から4000万円の売り上げがあると言われていた。また、その延長線上で、農協は直売所も立ち上げ活況を呈しているとのことであった。
 この時点では、私はまだ定式化できていなかった農業の六次産業化(一次産業×二次産業×三次産業=六次産業)をここでは早くも実践していたというわけである。

◆計画責任・実行責任・結果責任

 私はこれまで、機会あるごとに「計画責任、実行責任、結果責任」ということをJA関係者や市町村の関係者に説いてきた。「絵に描いた餅は食えない」と昔から言われている。計画づくりだけではダメで、それを実行し、成果を見届けることが重要で、良い結果が得られなければ、当初の計画を見直し、新しい計画を作り直す勇気と努力が必要だ、と説いてきた。
 今回、30年前の計画書を見せられ、改めて計画責任、実行責任、結果責任の重要性と必要性を自らの胸に刻み込んだ次第である。

イラスト:種田英幸
イラスト:種田英幸

(2009.04.10)