コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
TPPのための高齢者排除

 政府は、TPPなど貿易自由化の基本方針を、先々週の9日に決めた。その中で、農業者が高齢化しているので、今後の農業の存続が危ぶまれる、といっている。
 そして、農業を再生させるために、高齢者に引退を迫り、その農地を若い農業者に利用させ、大規模化して競争力を強める、という古くからのカビ臭い、そして遂に実現できなかった政策を、またしても持ち出してきた。そうして、関税ゼロの輸入自由化に備える、というのだろう。
 だが、この政策は、こんども実現できないだろう。そして、その責任を高齢者に押し付けるつもりだろうか。
 民主党は、年齢を問わず、全ての農業者を農政の対象にする、という理念を高く掲げて、昨年の夏に政権を奪った。この初志を捨てるのだろうか。そうだとすれば、せっかく奪った政権も捨てることになりはしないか。

 政府の基本方針では、農業従事者の高齢化、後継者難、低収益性等で、農業の存続が危ぶまれる、という。これが、政府の認識だが、的外れではないか。
 これまでも、そのように言われたきた。たしかに後継者難は深刻な状況にある。だが、ここで問題にすべきは、稲作農家の後継者難である。畜産や野菜や果実の農家は、それなりに後継者がいる。
 農業者の高齢化、後継者難、低収益性が問題なのは、米農家なのである。そして、政治として危機を感じるべきは、米農家がおかれている状況なのである。米は国家目的である食糧自給率の向上に直結するからである。
 いまの政治は、さまざまな農業を、いっしょくた、にして論じているが、それではこの難問に近づけない。

◇   ◇

 さて米だが、後継者難は低収益が原因である。低収益問題が解決すれば、後継者難は直ちに解決する。だから、問題は低収益と高齢化である。
 高齢化の何が問題か。高齢者を早く引退させ、若い後継者に任せればいいのか。そうではない。
 米農家に後継者がいない訳ではない。だが、米は低収益なので、米に専念していては生活費を稼げない。だから、米は高齢者の親に任せて、後継者は兼業で働いているのである。
 そうした後継者も、時が経つと高齢になり、定年になって退職する。その頃になると、親も年老いて米も作れなくなる。だから、定年になった高齢の後継者が、新しく米作りを始める。定年後の高齢者でも、米作りは充分にできる。
 このようにして、高齢農家が次々と新しく生まれてくる。そうして、次の世代に米作りを引き継いでいく。
 高齢化の構造は、このようなものである。今後、高齢化が進み、その結果、農業者が激減する、という想定は誤りである。
 高齢化が農業の存続を危うくさせているのではなく、高齢化で農業を危うく存続させているのである。そして、低収益に耐えているのである。

◇   ◇

 こうした高齢化の構造を破壊し、高齢者を無理矢理に引退させようとする政策は、これまで成功しなかったし、今後も成功しないだろう。
 高齢者が米作りに励み、食糧自給率の向上に貢献することは、社会的に高く評価すべきである。それを否定し、高齢者に米作りを止めさせる政策こそ否定されねばならない。
 また、高齢者を引退に追い込んで、いったい、どうしようというのか。高齢者に再就職の機会はない。まして農村にはない。だから、収入を減らし、生活水準を下げるしかない。
 それは正義の政治ではない。それゆえ、こんども手痛い反撃を受けて、またしても実現できないだろう。

◇   ◇

 だからといって、今のままでいいという訳ではない。高齢な小規模農家の非効率は是正されねばならない。是正の方向は、高齢者を排除することではない。集落営農など、協同の方向で組織することである。
 そしてもう1つ、いま政治に強く求められているのは、米作りの低収益性を是正する断固たる姿勢である。それは、TPPへの参加を目指した直接支払型の低米価政策ではなく、米価の力強い回復である。


(前回 いわゆる開国と農業は両立できない
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(2010.11.22)