コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
消費増税ではなく 高齢者の労働力化を

 千葉県の人口が100年ぶりに減少した、と先日の新聞各紙が伝えていた。いよいよ首都圏も人口減少に転じた。
 人口調査はセンサスともいわれるが、日本では第1回の1920年から、センサスといわずに国勢調査といってきた。それが今でも続いている。ここには、人口は国家の勢いを表すという、しっかりとした認識がある。統計マンの心意気といってもいい。
 かつては、国勢とは富国強兵のための戦力の強さ、つまり、兵隊の数だった。人口とは兵隊の数だったのである。だから、「生めよ殖やせよ」という標語さえ生まれた。殖やして、戦力を強めよといった。
 しかし、いまは平和憲法のもとで、この考えは否定している。だが、人口が国勢であることに変わりはない。
 すなわち、人口は、生産面からみると、労働力の大きさであり、消費面からみると、市場の大きさである。つまり、人口は国家の経済力である。
 だから、人口が減りだした、ということは、日本の経済力が衰えだし、国勢が弱まりだしたことを表している。政治は、このことを深刻に認識しなければならない。
 それなのに、政治は、少子化社会になったのだから、消費税を上げて、社会保障を維持する、という小手先のことしか考えない。いまこそ、国勢を回復する、という考えを検討すべきである。そのためには、農業のように高齢者に働いてもらうことが上策である。

 少子化のもとで、社会保障を維持するためには、消費税を上げるしかないのか。そうではない。
 まず検討すべきことがある。それは、少子化社会から脱出するための政策である。政治は、その青写真を示さねばならない。しかし、これには即効薬はない。だからといって、消費税を上げる、という政策しかないのか。
 少子化社会の、ここでの問題は、労働力人口が減少することにある。その一方で、平均寿命が伸びて、非労働力の高齢者が増加している。だから、社会保障制度が維持できなくなる、という。
 それなら、高齢者を労働力にすればいいではないか。そうすれば、労働力が増え、非労働力が減る。働くことは人間の聖なる使命である。この使命を高齢者から奪ってはならない。

 農村では、すでにそのようになっている。政府統計でみると、全国では、65歳以上の高齢者の就業率は20%しかない。それに対して、農家では、65歳以上の高齢者の就業率は、3倍以上の、実に72%である。
 だから、農業従事者の平均年齢は、65.8歳と高齢になっている。多くの政治家は、これを農業労働力の劣化だ、などといって騒いでいる。そうして、高齢者に対して引退を迫っている。そうして、心の冷たい一部の若者に媚を売っている。
 そうではなくて、政治家は、こうした政治が社会保障制度を劣化させていることを深刻に反省しなければならない。そうして、高齢者の労働力化を真剣に検討すべきである。

 高齢者が働くことは悪いことだろうか。
 たしかに高齢になると、体力は衰える。だが、まだまだ体力に応じて働くことはできる。労働効率は下がるかもしれないが、高齢者には、長年のあいだ積み重ねてきた技術もあるし智恵もある。
 だが、これまでの政治は、このような高齢者の労働を否定してきた。そうして、カネで計算した目先の効率だけを追及してきた。こうした効率主義の政策は、そろそろ止めてもらいたい。
 社会保障制度を再建するのなら、ここを反省しなければならない。

 民主党農政の初心は、年齢の如何にかかわらず、つまり、高齢者も若年者も、分けへだてなく、食糧自給率の向上に貢献する農業者は、全て農政の対象にする、というものだった。
 しかし、その後、野党のバラマキ批判に耐えかねて、この旗印は色あせてきた。そうして、高齢者を邪魔者扱いにする農政を復活させようとしている。
 こうした政策は、食糧自給率をさらに低下させて、国力を衰退させるだけではない。こうした考えは、社会保障制度を崩壊に導くものである。
 民主党農政は、初心に戻らねばならない。

 

(前回 TPPの2つの狙い

(前々回 TPP推進派の元官僚の妄言が日本を滅ぼす

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(2012.01.23)