コラム

思いの食卓

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【秋貞淑】
食は、宗教なり・医なり・哲学なり...

 「幼い時両親を亡くし、親戚に引き取られた少年は、十歳の頃から飲酒をはじめ、喧嘩口論で生傷が絶えない日々を送る。十八歳の頃、酒代欲しさに罪を犯し、牢屋に入る。そこで、囚人たちの人相が一般社会の人の人相と際立って異なることに気付き、観相に興味を持つようになる。

 「幼い時両親を亡くし、親戚に引き取られた少年は、十歳の頃から飲酒をはじめ、喧嘩口論で生傷が絶えない日々を送る。十八歳の頃、酒代欲しさに罪を犯し、牢屋に入る。そこで、囚人たちの人相が一般社会の人の人相と際立って異なることに気付き、観相に興味を持つようになる。出獄後、巷の易者に自分の相を見てもらったところ、剣難の相であり、あと一年の寿命であって、それを回避する方法は出家しかないと言われる。即、禅寺を訪れて入門を志願したが、住職は断るつもりで、一年間、麦と大豆だけの食事を続けてから来ると受け入れると言う。青年になった少年は、命惜しさの一念で、麦と大豆を常食にして一年を過ごす。そして、禅寺に向かう途上、例の易者の所に立ち寄る。易者は、『剣難の相が消えた。何か大きな功徳を積んだに違いない』と驚く。青年は、禅門に入ることを止め、観相の道へと進む。」
 以上は、江戸時代の観相家、水野南北(1757〜1834年)の話であって、
 その著書『食は運命を左右する』(玉井禮一郎訳・たまいらぼ出版)から、表現の一部を変えた恣意的な抜粋である。
 私自身、観相や占いなどにはまったく興味がないが、この本を読んでみたくなったのは、その韓国語訳が韓国で話題になったことと、その意味深長なタイトルに惹かれたからである。
 相談者の食に対する思想や行動様式を探り、その人の運命を支配する要因を見出し、食への指南・警告を与える事例が収められていて、ともすれば、飽食・美食に走る我々現代人にも警鐘を鳴らしてくれる一冊である。
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 『家庭でできる自然療法』というロングセラーの著者であり、日本の自然療法の第一人者である東城百合子氏を知る人は少なくないはず。氏の一連の著書の中に『食生活が人生を変える』(三笠書房)という文庫本がある。
 東城氏も自然菜食・自然療法を用いて、死の淵から救われたという。時代的な隔たりはあるが、両者の本のタイトルに類似性がある。むろん、一方は「運命」、片一方は「人生」とあるところから、前者は食を宗教的レベルまで持ち上げ、後者は心理・精神的なレベルに留めた相違がある。しかし、両者とも、食べたいものを思う存分食べるという「本能任せ」は厳禁とし、量的にも種類的にも制限を設けるという「本能抑制」を強調する。
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 「本能との対決」で勝利したことが滅多にない私であるが、暇を見つけてはこの種の食に関する本をよく手にする。多いに納得し、僅かに実践する嫌いはあるものの、一家の食卓を用意する立場として、食に関するこだわりがないわけではない。
 世界の食糧危機は、全体的な量の不足というより、一部の国々に食糧が集中することや食糧の転用などがもたらす危機であろう。
 分け合うことは出来なくても食べ物をゴミにすることだけはしないように心掛けている。そのため、「栄養バランス」という美名に唆されて必要以上のおかずを並べない。「特売・安売り」などの表札に踊らされ買い溜めをしない。菜っ葉物はその日その日買う。
 あまり貧弱な食卓の時には、先ほどの本などで拾った短絡的な知識を用いて、即席の「食の哲学」を語り聞かせたりもする。

 

(2009.09.29)