コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
戦争を知らない世代が平和を歌う

 やっと10月の末に刊行される「戦争を超えて―語り部的現代史」(春秋社)の原稿を書き上げた。さまざまな資料を読んだが、改めて国と国との外交は国民は蚊帳の外に置かれ、国の利益を追求し続ける、だから本当に平和な世界を作り上げていくためには、個人外交しかないことを教えられた。
 嬉しいことに戦争を知らない世代の歌手が、個人外交を見事に成功させてくれている・・・。

 やっと10月の末に刊行される「戦争を超えて―語り部的現代史」(春秋社)の原稿を書き上げた。さまざまな資料を読んだが、改めて国と国との外交は国民は蚊帳の外に置かれ、国の利益を追求し続ける、だから本当に平和な世界を作り上げていくためには、個人外交しかないことを教えられた。
 嬉しいことに戦争を知らない世代の歌手が、個人外交を見事に成功させてくれている。
 吉岡しげ美さん(60歳)は33年間、女性の詩人の詩に曲をつけピアノを弾きながら歌い続けている。毎年七夕コンサートと銘打って女性の詩人の平和への祈りを託した詩を作曲して歌ってきた。
 与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」茨木のり子の「わたくしが一番きれいだったとき」のこの2曲はいつもレパートリーの中に入っている。
 6年前に乳がんの手術をし、命を取り留めて以来、命の大切さを前面に打ち出し、以前にもまして中国を中心にアジアの国々との個人外交を志し、アジアの諸国でコンサートを開くようになった。
 与謝野晶子の「君死にたもうなかれ」茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」を現地の人に翻訳して朗読してもらい、その後ピアノを弾きながら日本語で歌うと、ぽろぽろと涙をこぼし、歌い終わると立ち上がって拍手をしてくれるのだという。
 中国には七夕伝説のもととなっている街、鎮江市があるが、その街に頼まれて七夕伝説の歌「星ものがたり」を作詞作曲した。人口300万のその街で毎年平和を願ってのコンサートが開かれているが、今回栄与市民となった。
 東京で開催される七夕コンサートには、中国の京劇の役者、張紹成が見事な演技を披露し、二胡の奏者が素晴らしい音色を聞かしてくれる。11月16日、サントリーホールで「いのち咲く」を歌い上げることになっている。
 平和を紡ぐ個人外交には文化が必要だということをそのたびに教えられる。
 シャンソン歌手のクミコさん(55歳)は平和への願いを込めた曲「INORI」を各地で歌い継いでいる。この曲は被爆後に12歳で死去し、広島の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんのその死に祈りを託した曲である。佐々木さんはもっと生きたいと願って折り鶴を折り続けていたという。シンガーソングライターの佐々木裕滋さんが歌にし、より広げたいとクミコさんに託し、2月にCDを発売した。
 肉親でも被爆地出身でもない自分が「INORI」を歌うことにクミコさんは後ろめたさを感じていたが、クミコさんを勇気づけてくれたのは、広島で大やけどを負い米国で治療を受け、その後介護士としてアメリカに永住している笹森恵子(78歳)さんだった。
 ロサンゼルスで平和運動を続けている笹森さんは、ニューヨークで開かれた日米文化交流会イベントで「INORI」を聞き感涙にむせび、7月30日クミコさんをロサンゼルスに招きチャリティーコンサートを開いた。
 原爆を落とされた国と落とした国。被害者と加害者の関係を乗り越えて、平和を願う祈りが舞台から客席へと連鎖していくのが感じられた。個人外交は文化あってこそと痛感したクミコさんは、最近は平和を前面に打ち出した歌をコンサートで歌い続けている。今戦争を知らない世代の歌手たちが、個人外交の前面にたっていてくれる。
 農作物の育成を通しても立派に個人外交は成り立つ。国と国との外交にあおられることなく、ねぇみなさん、ものを育てるという最高の文化を生かして、個人外交の主役になりましょうよ。

(2010.09.08)