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【大分大山町代表理事組合長】
矢羽田 正豪 氏

 「農協運動の仲間たちが贈る 第36回農協人文化賞」の営農事業部門を受賞した。

農業に夢と未来を託す

 

 大山町は50年くらい前までは自他共に認める日本一貧しい村でした。その原因は諸条件に恵まれていなかったことです。ところが、その貧しかった農村が現在では住民の70%以上の人がパスポートを所持して毎年海外旅行に出かけ、週休3日の農業で文化を創造し、余暇を楽しむまでになりました。

 

◆少量で多品目、高付加価値で

 大山町農協は組合員戸数わずか600戸の小さい農協ですが、職員、従業員を合わせ約300名雇用しており年間7億円近い人件費を支払って多角的に事業を運営しています。
 耕作面積が狭いため売り上げを求めていくのではなく、いかに使えるお金を手元に残すかという収益率を求めた農業を目指してきました。町内で生産された農産品の99%が農協を通して集荷販売されています。それは農協と農家との非常に強い信頼関係があるからこその数字だと考えています。
 農協は地域で何ができるか、また農家は農協に何を求めているのかを農家の方々と車座になって膝を付き合せじっくり語り合うため、私たちは現在も1年に一回町内の36集落に出かけ集落座談会を開催しています。
 そして組合員との絆を深め理解を得るため、毎月の定例理事会は午前中に会議を終え、午後は役員・職員共に作業着に着替えて村に出ます。農協の堆肥工場で年間1500t生産している堆肥を農家の人と一緒になりその散布を行うためです。もちろん、堆肥も作業手間も無償です。
 今は大学を出た子供たちも農業後継者となって農村に残ってくれますが40〜50年前には高い教育を受けた者は農村にはいませんでした。そこで高い教育を受けていなくても豊かな教養を身につけることができるようにと始まったのが「梅栗植えてハワイに行こう」のキャッチフレーズで開始した体験学習の旅でした。

  

◆海外に出かけ豊かな知恵を

村おこしの原点、ハワイ旅行 第1回の昭和43年から現在まで続けられています。
 知らない、行ったことのない国に行って、あらためて自分の姿を見つめ直し、違う衣食住と異文化に触れて驚いたり、そんな出会いと体験学習の旅です。
 費用はまずすべて農協が支払い、旅行から帰って5年間で返済する仕組みです。つまり5年払いの旅行ローンで旅をするのです。ただし金利なし、無利子のローンです。年に2回、春の農産品代金の中から10分の1、秋の農産品代金から10分の1を返済することとしました。これで皆さん気軽に体験学習の旅に参加できます。おかげ様で目的地もハワイだけでなくアジア、ヨーロッパ等へ広がってきています。
 世の中、知恵の勝負です。付加価値を高め新しい農業を組み立てていくのは知恵であると思います。条件に恵まれなかった大山の農業が今日まで続き、発展しているのは、知らないものを見、知らないことを聞くなどの体験学習に多くの者が参加し、その中から知恵や経験を積み重ねてきた結果ではないでしょうか。
 平成2年の夏に農産品の直売所「木の花ガルテン」を開店しました。そして10年後の平成13年の春にビュッフェスタイルの150席の農家もてなし料理レストラン・百のご馳走「オーガニック農園」を木の花ガルテンの中に併設オープンしています。
 農産品直売所は現在大分市に3店舗、別府市に1店舗、福岡市に2店舗、小郡市(福岡県)に1店舗の合計9店舗あります。また150席のレストランも大山の他に福岡市や大分市に3店舗出店しており4店舗運営しています。

(写真)
村おこしの原点、ハワイ旅行

 

◆懐かしい自然交流の里開園

 隣町の里山20haを買い取り、今まで世界のどこにもない、新しい発想の多面的な楽しい交流の場づくりを5年前から「五馬媛(いつまひめ)の里」と称して始めています。
 都市で暮らす人々に農村の安らぎを味わってもらい心の癒(いや)しの一助になれるものと思っています。里山には季節ごとに、春の梅、椿、花桃、桜から始まり、一年中樹に咲く花々が咲き誇り美しい樹々の彩(いろどり)りが楽しめます。
また山野草が育ち古代米の田んぼにはトンボが舞い、季節ごとの野菜も一年中栽培されている風景の里山。そして花を楽しみ新鮮な空気を吸い、里山の自然にふれて一日中遊ぶことができる懐かしい心地良い場所となることでしょう。
 私たちには自然環境と生命体を大切にして地球にやさしい農業に取り組みイキイキとした活力ある農村を次世代に引き継いでいく義務と使命があると心得ています。
 この町に若者が残り農業を引き継いでいくためには夢や希望が必要です。夢や希望が無ければ意欲は湧きません。その夢や希望は自分たちでつくり挑戦していくものです。

【推薦の言葉】

「梅栗」農協さらに発展

 「梅栗植えてハワイへ行こう!」のキャッチフレーズの村おこしで知られる大分大山町農協。矢羽田氏は、新規事業のキノコ(菌茸類)栽培を担当。1976年4月には新たに設立したしめじ茸の周年ビン栽培工場の初代工場長としてこの事業の立ち上げに奮闘し、成功させた。施設や装置を利用したキノコ栽培は、天候に左右されず、耕地面積が狭くても、高さ、空間、スピード、回転率で競争できるうえ、周年栽培で毎日出荷して収入が得られるという大きなメリットを組合員にもたらした。
 「梅栗」運動を始めた組合長の矢幡治美氏の薫陶を受けた同氏が職員や役員としてその置かれた立場、立場で、さまざまな困難を乗り超え、リーダーシップを発揮してきた。広報誌やWebサイトを使った情報発信を小まめに行いつつ、組合員と集落座談会など頻繁で密度の濃い、顔と顔を合わせたコミュニケーションを大事にしている。

【略歴】
やはた・せいごう
昭和22年生まれ。39年大分大山町農業協同組合入所、51年食品加工場設立初代工場長、57年食品加工場と外商を総括する渉外部長、平成13年大分大山町農協参事就任。15年大分大山町農協理事参事就任。20年大分大山町農協専務、22年大分大山町農協代表理事組合長就任。

(2014.06.30)