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【JAみやぎ亘理代表理事組合長】
岩佐 國男 氏

 「農協運動の仲間たちが贈る 第36回農協人文化賞」の震災復興特別賞を受賞した。

イチゴ産地の灯を守る

 

 冬でも比較的温暖なことから「東北の湘南」と称されるJAみやぎ亘理管内は、その気候を活かし、東北一の出荷量を誇る「仙台いちご」の産地です。日照量が豊富で冬場の降雪も少なく、地温を確保しやすい砂地の圃場であったことから、気温が氷点下になる時でも、イチゴは凍ることはありません。震災前には40億円を超える販売高で、県内はもとより北海道・東北各県の市場、また京浜地域へも全農みやぎと連携し、販売戦略に基づき有利販売に努めています。
 平成23年3月11日の東日本大震災でJA管内は甚大な被害を受けました。組合員の尊い命、住宅、圃場が一瞬にして失われました。管内の全耕作面積の78%、中でもイチゴ栽培圃場の95%にあたる96haが被災し、高台にほんのわずかなイチゴハウスが残されただけでした。3月はイチゴの出荷最盛期。生産者の落胆は言葉では言い表せないほどでありました。生きるすべを無くし、ただ空を見上げて呆然とするばかりでした。
 私も自宅と田、イチゴのハウスを失い、避難所に身を寄せました。何も無くなってしまった今こそJAが地域のために出来ることを全力で果たしていかなければならない。「何としても、必ず復興を成し遂げる」。避難所で夜空を見上げ、そう何度も誓ったのです。

 

◆JAが牽引役、営農再建決意

市場に並ぶ亘理のイチゴ 早期に営農を再開しなければ、生産者の生活はもちろんのこと、JAの存在も揺らぎかねません。農業が地域復興の牽引役になる。そのためにJAが先頭に立って農業復興に尽力していく決意し、何度も何度もイチゴ生産者と話し合いを重ねました。先駆者の方々が大変な苦労をして作り上げた東北一のイチゴ産地の灯を何としても守りぬかなければならない、という結論に至りました。
 一部の生産者は内陸部に代替地を求め、仮設住宅から通ったり、ハウスに寝泊まりしたりしながら栽培を再開しました。被災圃場の復旧には、JAグループ支援隊をはじめ全国のボランティアの方々が駆けつけてくれ、また定植用の苗は栃木県や福島県、県内の各産地が無償で提供してくれました。

(写真)
市場に並ぶ亘理のイチゴ

 

◆教えられた絆の大切さ

大型ハウスのイチゴ団地 皆さまのお力添えのお陰で、クリスマスにイチゴ出荷を間に合わせることができました。パックには一つひとつ「感謝の心」と書いたステッカーを貼り、ここまで支えて下さった全国の皆さまに対する感謝の思いを込めました。みやぎ亘理産の真っ赤なイチゴが市場に並んだ様を見た時の思いは今でも忘れることができません。万感の思い溢れ、涙が止まりませんでした。
 どん底から立ち上がるということはこんなにも大変で、生産者、JA役職員一丸とならなければ、成しえなかったことです。また、国・県・町などの関係機関、全国のJAグループの皆さまの応援があってこそだと思っています。当JA管内がここまで復旧・復興することができましたのも、全国の皆さまが励まし、農業生産と生活再建に大きな力を与えて下さったお陰です。
 どんなことがあっても諦めない、困っている人を助ける、思いやる気持ちの大切さ、尊さを教えて下さいました。中でもJAグループの仲間のつながりの強さに驚き、また心から嬉しく思いました。この大震災からの復興はJAの力なくして成し得なかったと言えると思います。農業で繋がっている全国の「絆」の太さ、強さ、大きさを改めて実感するとともに、この恩は決して忘れません。
 今年の元旦早朝、初日の出を拝みに海岸沿いに新たに造成された防潮堤に登りました。あの日、悪夢のように荒れ狂った太平洋を見、そして振り返って内陸部に建設された大型ハウスのイチゴ団地が立ち並ぶ様を見ました。ハウスの中には、真っ赤に実ったイチゴが出荷の時を待っているのです。あの12mを超える津波でガレキの山と化したこの地が、再び息を吹き返し、東北一のイチゴ産地としてよみがえったのです。

(写真)
大型ハウスのイチゴ団地

 

◆農家と一体で復興モデルに

 津波は今まであった全てのものを流し去りました。しかし、私たちが忘れていた大切なものを思い出させてくれました。それは「感謝の心」、そして「地域のために為せることをする」というとても簡単な、しかしとても大切なことでした。被災した者はそうでなかった者より大変なのは当然である、と受け止め、この出来事を後世にしっかりと伝えていかなければなりません。今後、さらに産地を盛り立てていくため、生産者とJAが一体となり、新たな農業と復興モデルとなる取り組みを進めていく所存であります。これからも各方面皆さまのご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

 

【推薦の言葉】

復興の道しるべに

 東日本大震災が発生し、東北一を誇っていたイチゴは、震災前の圃場面積95%にあたる91haが被害を受け、まさに壊滅的な状況だった。岩佐氏は生産者に対して、「諦めを語るのではなく、夢を現実にし復興の道しるべを示していこう」と決意し、地域農業の復興のシンボルとして「いちごの復興」を取り上げた。そして「2011年のクリスマスにいちごを出荷しよう」を合言葉にいちご産地の復旧・復興に取り組んだ。25年11月から本格的に出荷が始まり、出荷量も震災前の8割程度まで回復してきています。管内全体の整備が完了する平成27年度までに約70haの栽培面積が確保できる見通しとなっている。
 管内農業の復興はまだまだ道半ばだが、氏は極めて多忙な業務の中、JA役職員の先頭に立ってリーダーシップを発揮し、取り組みを進めてきた。長年培った技術、また頑張るという勇気と希望、そして感謝の気持ちを胸に、今も復興に向けたJAの取り組みの先頭に立って奮闘している。

【略歴】
いわさ・くにお
昭和16年生まれ。平成2年山下農業協同組合理事、9年みやぎ亘理農業協同組合理事、12年みやぎ亘理農業協同組合代表理事専務、18年みやぎ亘理農業協同組合代表理事組合長に就任。

(2014.07.16)