提言

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TPP問題の本質 消費者こそTPP反対の声を  元秋田大学教授 小林綏枝

・「生卵」が食べられる国
・自給率13%がもたらす光景
・安全が保障される権利
・食料供給は大丈夫なのか
・悩ましい消費者
・山は青く水は清くあれ

 TPP(環太平洋連携協定)は農産物の関税撤廃だけではなく、自由貿易推進のために国内のさまざまな規制も緩和される懸念がある。その代表が牛肉の輸入基準緩和など「食の安全性」の問題だろう。TPPの本質を考えると、これは「食」の問題であり、国民全体に影響することだと分かる。広く運動を広げるための視点から、TPP問題を分析してもらった。

◆「生卵」が食べられる国

 昨年フィンランドの友人一家が日本に来た。高校生の双子と小学生の男の子を連れて。彼らにとって憧れの日本、見るもの聞くもの全て面白い。双子の一人は調理師になりたくて高校も調理を専門に学べる学校に行っている。成田に到着するや否や「寿司」「ラーメン」とせっつく。
 彼らと半月ばかり付き合って関東から信州まで歩いた。何よりも目をらんらんと光らせて日本の食物食材に関心を寄せる姿に、あらためて日本の食の素晴らしさを感じさせてもらった。
 そんな彼らが「ね〜知ってる、卵が生で食べられるのは日本とフィンランドだけなんだよ」と。真偽のほどは定かではないが、彼らはそう信じきっている。

 ◇    ◇

 思えば食関連の事柄に絞っても、「商品」たる食料品とその購入、摂取をめぐる消費者被害、消費者問題は数限りない。消費者が被った延々たる人体実験の上に一つ一つ問題点が明らかにされ、救済、解決のために多大なエネルギーが注ぎ込まれてきた。
 そもそもかつては物やサービスを買うことによって深刻な被害を受けるなどということはほとんどなかった。あったとすれば、それはよほどの不注意か物知らずの陥ること、良く注意して賢い消費者であれば避けられるはずのものと考えられていた。
 だから、初期の消費者問題への対処や消費者教育は、賢い消費者づくりが課題だった。しかし、もの皆商品化し、商品を買いそれを利用しなければ生きられない社会がやってきた。しかも商品は大量に生産され、不特定多数によって大量に消費される。地元の商店や地元の製造業者の商品を地元の消費者が買うのであれば、粗悪品や量目不足、古くなったものなどを売ろうものならいずれ顧客に見放されてしまい、結局その地での商売は成り立たない。近年こうした従来の「賢さ」だけでは防ぎようのない被害が、何の落ち度もない消費者に降りかかる。大切な自分のお金を支払って商品を購入し消費しただけなのに。これが今日的な意味での消費者問題である。
 森永砒素ミルク事件、カネミライス油事件などは、商品を買って消費するだけで被害者になることを世に広く知らしめた。しかも被害者は乳児を含み、原因が解明されるまでには長い年月の苦痛と将来にわたる被害、周囲の心無い偏見にさらされて。素人である被害者はそれに耐え闘わざるを得なかった。今日までには挙げれば切りのない多様で深刻な消費者被害・問題が我が国の歴史を綴っている。
 これに対処すべく被害者も、専門家も、市民も努力を重ねてきたし、評価は様々ではあろうが政治・行政側もそれなりの対応を図り消費の安全確保を目指す法も施行された。とはいえ食品やそれに関連するサービスをめぐる消費者問題は、もぐら叩きのように多様かつ複雑に頻発し続けている。これこそが消費者問題の特徴の一つである。

 ◇    ◇

 我々は日々多様な商品を購入し、利用して暮らしを成り立たせているのだから、一つ一つの商品についての専門的知識は持ちようがない。つまり「賢さ」にはおのずと強い限界が存在する。こうした個別の問題への闘いの中で食の安全を求める消費者運動が発展し強化され、日本の食生活の安全性を高める上で大きな成果をあげてきたのである。
 問題は山積し、次々と新しい問題の発生もあるが、先の卵の例にもある通り少なくても日本国内において食物を消費する場合、誰もが、何処で買っても問題なく食べられるような状況がやっと作り上げられた。そして特別の食物にアレルギーを持つ人等は、表示ラベルでチェックできるしその信頼度もかなり高い。限界はあるもののラベルがうそをつくことはほとんどないという環境に我々は到達している。


◆自給率13%がもたらす光景

 現在の食料自給率は40%、この数値の上昇を国民は望んでいる。だからこそ民主党は50%達成を掲げ選挙に勝利したのだ。それを何とTPP参加により13%にするという。唖然呆然である。ともあれ現在の40%の状況下でも産地偽装、無認可添加物使用、無登録農薬使用、残留農薬、放射能照射農産物、O157、狂牛病、口蹄疫等々主に輸入食品をめぐる違反や問題は枚挙にいとまがない。問題が後から後から出現し山積する。
 これが13%になった暁には一体どんな光景が我が日本を覆いつくすことか。TPPは決して農業だけの問題ではなく、まして他の諸産業の問題だけでもない。まさに日々商品としての食料に生命の維持を託す消費者の問題なのだ。
 これまでの犠牲と努力のお陰で今日本ではほぼ安心して食物を消費することができる国となったが自給率13%となると消費の安全は図りがたい。一つの事件・被害が起こり、原因を究明し、責任を突き止め、補償を勝ち取り、被害防止のための法制度に結実させるためには人の一生を掛けるほどの歳月と努力が必要である。
 こうして構築された国民の財産ともいうべき食の安全を確保する体制を守りきる覚悟あってのTPP参加なのか。一体内閣は87%もの輸入食品から多様に降りかかる国民の被害を想像したことがあるのだろうか。
TPP問題は「国民の食」の問題だ。幅広く運動を広げる必要がある。写真は昨年11月の山形県の3000人集会(提供:JA山形中央会) TPP参加に際して日本国内の安全基準を守るべく水際の監視体制を強化するといった話は、一向に聞こえてこない。国内での監視体制の強化も聞かない。まして年々増大するアレルギー患者等への配慮などあろうはずもない。13%では素性の知れた安全な食物を求める患者の需要には答えられまい。
 ましてそこには「金に糸目を付けぬ」金持ちの需要も殺到するはずだから、価格は高騰し果たして必要な人の手に必要なものが入るかどうかは極めて危うい。消費者の有する重大な権利の一つ、「選択の自由」も有名無実となろう。真っ当なものが高くて買えないのならば、事実上の選択権はないのだから。

(写真)
TPP問題は「国民の食」の問題だ。幅広く運動を広げる必要がある。写真は昨年11月の山形県の3000人集会(提供:JA山形中央会)


◆安全が保障される権利

  今から3年前の2008年1月に起こった「中国製毒入り餃子事件」は象徴的である。
 この事件は解明の経過や方法をめぐっても不気味であった。結果は「一従業員の不満が引き起こした」と知らされた。もしこの餃子が日本国内で製造されたものであるならば、毒物の種類から混入の手口、犯人の処分や製造過程責任者の処分、企業の操業の停止は勿論、今後の改善策等々、手に取るような報道がなされ、関係者もそれに答えるであろう。ところが中国であってはなす術もない。捜査途中での包装用ラップのアナなどに振り回されるばかりであった。こんな事件や被害が日常茶飯事になる恐れがないとは誰にもいえない。
 米国は牛肉の輸入拡大、20カ月以上の牛や禁じられている部位の輸入も当然要求してくるだろう。安い牛肉料理を提供する業者はそれに呼応するだろう。食費しか切り詰めるところのない消費者の中には、安い牛肉の輸入を望む人も出てこよう。折角築いた食の安全環境が13%と共に音を立てて崩れ行くのが見えるようだ。
 すでに国内外から何度も出ている声の一つに、何故外国で安全性が保証されている添加物や農薬の使用を認めないのか、使用量も国際基準に合わせるべきだというものがある。だが基準を緩めて消費者の利益になることはない。ただそれまで日本人の口に入ったことの無い許容された数値の添加物や残留農薬が体内に取り込まされるだけだ。


◆食料供給は大丈夫なのか

 チュニジアを始め諸国の政情が不穏である。一因は食料価格上昇をはじめとする生活不安にあるという。地球規模の気象変動も不気味に進行中のようだ。自然条件も政情も不穏なときに果たして国家存立の根幹を成す食料の輸出を協約があるからと優先してくれる国がどれだけあるだろうか。先ずは自国の民に十分に食料が行き渡ってからの輸出となるはずだ。もし政府がそうしないならば、民衆は自力でこうした飢餓輸出を止めるであろう。
 まして日本、本当に全国民が輸入に頼る食生活を始めたら、1億2千万人余が必要とする食物ときたら想像を絶する量となる。それが絶え間なく日々港に着き、倉庫に確保され末端の小売市場まで行き渡らなければならない。それだけではない。山襞の中に残された高齢の「買い物難民」の食も保障しなければならない。
 TPPによる国民の消費生活の保証には困難がありすぎる。特に意識が高くなくても、安全に気を遣わなくても、誰でもが安心して生活を営める現状の食環境を何ゆえ捨て去って、かくも不安な体制に移行しようとするのか。


◆悩ましい消費者

 これまでも事あるごとに消費者の安全への不安はその購買行動に反映されてきた。中国産の野菜や製品は「出来るだけ買わないようにしよう」と決意する。でも財布が窮屈になると「ま、良いか」とスーパーのかごに放りこむ。消費者の心は揺れやすい。なぜなら余りの値段の違いがつい安全や国産への思いを断ち切ることもあるからだ。中国産のニンニクや椎茸、竹の子に惑う心はほとんどの人が経験済みではなかろうか。冷凍餃子事件や農薬づけの冷凍ほうれん草事件などが起きる度に決意は固くなり、暫くするとまた緩む。
 今はまだこの程度ですんでいるが仮に自給率13%となった暁には国産の食品自体を探すのが困難となるだろう。もはや消費者の心はゆれるゆとりも持ち合わせなくなる。なかなか内橋克人氏の指し示すような「自覚的消費者」には到達できない人も多いはずだ。決意だけでは済まぬところが悩ましい。どうしたらよいのだろうか。


◆山は青く水は清くあれ

 ここは一番、消費者も、いや消費者こそ声を大にしてTPP反対の声をあげるべき秋だ。もしこの協定が施行されたならば北海道の農業は壊滅すると言う。沖縄のキビ畑も全く立ち行かない。まして本州、四国、九州の農林業が存続できるはずはない。まさに国土、故郷の喪失である。こうした中に「競争力」を付けたごく少数の農業経営が成立し輸出に成功したとしよう。しかしそんなことは最早国民の幸せとは何の関係もないし、何れその経営も国際競争に敗れて敗退するに違いない。
 2005年の見聞だが、スイスの酪農家はスイスブラウンの牛乳を200ml800円相当で中国の金持ち用に輸出していた。手厚い保護下にあってこれだけの価格を実現している酪農経営と太刀打ちできる農業が実現しうると本気で考えているのだろうか。美しい自然と国土を守りながら、真の農業発展の道筋を見つけ、消費者も生卵を食べ続けながらその道を切り開いて行きたいものだ。


元秋田大学教授 小林綏枝【略歴】
こばやし・やすえ
 1938年長野県生まれ。法政大学社会学部卒業。国民生活研究所、国民生活センターを経て、1995年から2003年まで秋田大学。生活経済論。

(2011.01.31)