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種苗開発の裏話

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第8話 時代の変化と品種開発5 ハボタンの巻

 ハボタンのルーツをたどると江戸前期に渡来したとされる食用ケールにたどり着きます。
 ハボタンがその名前で紹介されたのは、博物学者山岡恭安が「本草正正譌」(1778年)で「ボタンナ、一名ハボタン」と記載したのが最初のようです。

◆ハボタンのルーツは食用だった

「たか」2号シリーズ ハボタンのルーツをたどると江戸前期に渡来したとされる食用ケールにたどり着きます。
 ハボタンがその名前で紹介されたのは、博物学者山岡恭安が「本草正正譌」(1778年)で「ボタンナ、一名ハボタン」と記載したのが最初のようです。
 牡丹と言えば、中国でも古来特別な存在として親しまれてきた花ですが、その中国でもハボタンは生み出されていません。ハボタンは100%日本人により品種改良が行われ、食用から観賞用へ大変身を遂げた園芸植物なのです。
 多くの葉根菜類同様ハボタンも、固定種の時代から「自家不和合性」という植物の持つ性質をうまく利用したF1品種へと発展してきました。
 ハボタンのF1品種は1972年発表のちりめん葉の矮性品種「さぎ」、丸葉の矮性品種「たか」という2シリーズが最初でした。1980年代にニュータイプハボタンとして開発された切れ葉を特徴とする「かんざし」「くじゃく」「さんご」の各シリーズには耐寒性が付与され、多様な草姿を持つようになったことから需要も拡大していきました。
 1990年代に入ると切花用品種の開発が進み、1996年に「晴姿」が発表されると切花需要は急激に拡大、今日ではオランダにおいても年間1000万本を越える生産が行なわれています。 かつて食用としてオランダから渡来し、「オランダ菜」とも呼ばれていましたが、時代は流れ、今やオランダの地で日本のハボタン品種が市場を占有、「お正月」とは全く縁のない欧米のリビングでも、ハボタンが斬新な花として飾られるようになりました。

(写真)「たか」2号シリーズ


◆歴史的な新品種開発となった「ルシール」

「ルシール」 さらに、2008年に生まれた照葉の切花用最新品種「ルシール」は、ハボタンではなくプラチナケール―と言う呼称を得て、ハボタンの枠にとらわれない新ジャンルを目指す品種として商品化されました。
 葉の表面にブルーム(白い粉)の付かない照葉タイプのハボタンを、プラチナケール―と呼んでいます。品種名「ルシール」は“光る”の意味のスペイン語に由来します。タキイ種苗は照葉タイプのハボタンの育成に関して特許を取得しています。
 「ルシール」の最大の特長は、名前の通り葉色の輝きにあります。他の切花用花材や花壇苗には見ることのできないメタリックな質感は、非常に斬新な印象を与えると同時に装飾効果も抜群です。プラチナケール―はハボタン開発の歴史に新たな1ページを加えることになったと思います。
 プラチナケール―の開発は、ある朝、タキイ研究農場の広い圃場の中にひときわ目を引く特異な1個体を見つけたことから始まりました。
 遺伝解析の結果、見つけられた照葉の性質が単因子優性に働くことを確認しつつ、各形質の固定化を図りました。しかし、この系統はいくつかの劣悪な性質も持っていたため品種化には問題点が多く、開発の道は決して平坦ではありませんでした。
プラチナケール なんとか試行錯誤を重ねた末に、やっと品種発表に至ることができました。最初の1個体の発見から数えると、いつしか15年の歳月が流れていました。
 通常10年近くの開発期間が必要な品種開発ですが、プラチナケール―の開発には、それ以上の期間が費やされました。開発が困難であれば、これを克服したときの達成感は特別なものです。
 さて、日本が世界に誇る園芸植物であるハボタン、次なる開発テーマは何か! 夢は果てなく広がります。

(写真)上:「ルシール」 下:「プラチナケール」

【著者】羽毛田智明
           タキイ種苗(株)研究農場次長

(2009.12.04)