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【貧困を拡散した“WTO精神”】
貧困を拡散した"WTO精神" 鼎談その3

山村定住者に年金を 宇沢
脆弱化する日本経済 内橋
交渉中断はチャンス 梶井

◆大規模化を反省して 梶井 それを典型的に示すのは耕地の利用率低下です。1950...

◆大規模化を反省して

梶井 それを典型的に示すのは耕地の利用率低下です。1950年ごろは全国平均で150%くらいでしたが、今は100%を切っています。
飯沼さんはこう強調しています。日本の農法の本来的な発展方向は東南アジア全体と同じように集約的な方向であるのに、旧基本法以降は欧州の乾地農法をまねして労働生産性の追求一本ヤリになってしまった、これがそもそもの間違いだ、というのです。
内橋 大規模化追求一本ヤリで進んでいるわけですね。
梶井 今もそればかり追いかけています。本来の日本の土地に合った形の生産力の発展方法は追求していません。
宇沢 晩年の東畑先生は、旧農基法づくりの責任は調査会の会長だった私にある、ところがその後、農基法のもたらした害毒によって日本の農業は崩壊しつつある、先を読めなかった自分は農政学者として失格だ、といわれました。
梶井 私も聞きました。「自分は今後、農政について口は出さない」ともいわれました。地価のことを一番の問題にされていました。
宇沢 東畑先生は当初、飛行機で種をまくような米国式の大規模農業を導入しようと考えた。それに対する深刻な反省の弁に私は共感を覚えました。
そのころ私は、近代化の幻想は自然と人間を破壊しつつある、それは農村で顕著だ、これでは日本国家の存続は難しいと考えていました。私がここでいう国家は統治形態ではなく、自然と、そこに住み、生活している人々の総体をとらえたNationです。アダムスミスは経済学の原点である国富論の中でくり返しこの言葉を使っています。
梶井 宇沢先生は一定の人口を農村に定着させる提案をされましたが、具体的にはどういう内容ですか。現実には山村の集落がなくなりつつあります。
宇沢 文化功労者には年金が出ます。山村の定住者には山村文化功労者年金ともいうべきものを支給すればよい。一定の条件を具えた専業農家に1戸当たり年間100万円程度を出す制度です。ウルグアイラウンドで米価補助金が問題になっていたから、それを年金に回して財源とすることを考えました。

農産物の輸入自由化に反対し、北米自由貿易協定の農業条項見直しなどを求める農民や市民ら=08年1月31日、メキシコ市=「しんぶん赤旗」提供
農産物の輸入自由化に反対し、北米自由貿易協定の農業条項見直しなどを求める農民や市民ら=08年1月31日、メキシコ市=「しんぶん赤旗」提供

◆不均衡国家は危険

宇沢 支給対象は約60万戸、予算総額6000億円というのが当時の試算で、予算は米価補助金と同程度でした。相談したら大蔵省はOKだったので技術会議で提案しましたが、農林官僚は反対でまったく議題にしてくれませんでした。
梶井 山村に住んで地域を守っている、そのことに価値があるという考え方ですね。
内橋 今、進行中の事態の中で重大な問題は、日本が極めつきの不均衡国家に陥りつつあるということです。地方の農村と大都市の間の不均衡がものすごく進みました。なにしろいまや国土の52%が限界過疎地ということになってしまった。
それから企業間の不均衡です。日本型多国籍企業は120社ほどという数字もありますが、特徴的なのは上位30社ですね。外貨獲得高の半分ほどは30社が稼ぐ。GDPでは10数%を担っておりますが、雇用に占める割合は1%に過ぎません。
今回の戦後最長といわれた景気が特徴的でしたが、これらの企業は海外で利益を稼ぐ。日本国内の市場を豊かにする必要がない。従業員の給料も上げる必要はない。海外で稼いだ利益は現地法人に滞留させ、海外で再投資してしまう。こうして国内に還流してこないカネは07年度末で約17兆2000億円にのぼりました。
こうして日本型多国籍企業はいざなぎ景気を超える好況の中で、農業を含む地域産業との格差をますます広げ、1次産業と2次産業の格差もふくらみ、まさに不均衡国家の様相を加速させたわけです。
不均衡国家になってしまうと人びとの共通の価値観が失われ、社会統合が崩れてしまう。深刻な事態が加速しているのに、例えば、都市集中は悪か、などといった居直り議論が堂々とマスコミに登場したりします。
今、戦後最長などとはやした景気も一転、不況になり、米国の金融危機が波及して極めて深刻な事態です。普通なら輸出がダメになると国内市場がそれに代わって自律的に景気は回復していくものですが、国内市場が脆弱化しているため自律回復が望めない。非常に脆いというか危ない社会になりつつあるのではないかと恐れます。
農山漁村の過疎化が進む不均衡国家の中で、農村に住むこと自体が価値であるという共通の価値観が成り立つ、そういう社会になってくれればいいなとつくづく思いますね。

◆途上国の利害を軽視

宇沢 私は成田闘争の調停を政府と反対同盟の双方から頼まれ、現地に入って農民の心を身近に感じましたが、全国から支援に来た人たちも、その心に感動して25年以上も闘ったわけです。
政府が一応の解決をみたとした後も、私は支援者たちの生きざまを全うする道として新たな共同体を成田につくろうとしました。かれらには共同体という言葉に拒否感があるので私はそれを「農社」と名付けました。
「社」はもともと「耕す」という意味でしたが「耕作の神」から、それを祀る「やしろ」に転化、さらに村人が集まって物事を決める場所に変わりました。今は社会とか会社などと広く使われています。しかし農社の立ち上げは農水省の反対などもあってうまくいっていません。
内橋 中山成彬国交相が「空港拡張が進まなかったのは(地元住民の)ごね得」と失言して辞任しましたが、これは国のためにはおとなしく農地を差し出せという、本来的に大事なものを軽んじる思想ですね。スリ替えの議論もここまでくると…。
WTO問題も同じだと思います。世界同一基準で市場化・自由化していけば世界から貧困が消滅するという世界市場化の戦略ですが、世界の現実は全く逆です。キャッチフレーズ通り実行したメキシコでは農家が貧困化し、貧困の拡散、世界化が進む。貧困の解決でなく、貧困の拡散を進めているのがWTOの本質です。日本人はこの事実をよく理解しておらず、WTOといえば何か神様のように崇めてしまっているように見えますね。
梶井 ドーハラウンドでも途上国の発展を最優先すると閣僚会議で宣言しましたが、実際の交渉は途上国の利害を軽視して進めたため結局は途上国の反乱で決裂してしまいました。
内橋 ウルグアイラウンドの後、NGOはWTOの主な命題をアセスメント・ラウンド(各種政策の再査定・再評価の場)にせよ、と求めました。新たに自由化を進めるとか強制するといった米国主導のWTOではなく、過去やってきたことが、いかなる結果を生んでいるのか、その全てを検証し直せ、と唱えたのです。
これに対してWTO自身は逆に先鋭化していきました。背景には、私の推論ですが、1970年代から今日にかけて米国の産業構造に大きな変化が生じたことがあると考えています。
かつては農業がかなりの割合を占め、国家戦略の中心に農業戦略があって、日本に対しても強硬な農産物の市場開放要求が出てきました。ところが、その後は構造が変わり、金融・保険・不動産・リースなど、まさにマネーが主たる産業になっていきます。

◆変質進んだWTO

内橋 私は、虚の経済と呼んできたのですが、マネーがらみのセクターがGDPの構成比率で約20年間で2倍に膨れ上がり、05〜07年あたりで21.8%でしたから、今は米国GDPの4分の1までもがマネー関連で占められているのではないでしょうか。
80、90年代にはマネーが国家戦略となり、マネー資本主義化が進んだのです。それが今、世界中にばらまかれた汚染マネーが世界経済を恐慌寸前の危機に追い詰めているわけです。
一方で、製造業は3分の1くらいとなり、生産の海外移転でおよそ4000万人の雇用機会が国内から奪われたといわれます。農業の割合も1%以下に低下しました。
経済の急速なマネー化と歩調を合わせるように米国は投資の自由化に力を入れ始めました。多国間投資協定(MAI)をOECDやWTOで通すことを考えるようになります。
WTO的グローバリゼーションが強引に進められる時代への変質ですね。
議会も知らない間に190ページにも及ぶ膨大なMAI要項が策定され、まずOECDを舞台に実現すると同時にWTOを巻き込むという世界戦略が進んでいました。97年には協定締結のスピード化を図り、通商交渉の全権を大統領に委任するファストトラックが議会に諮られる直前までいっておりました。
幸い世界のNGOがストップをかけてつぶしましたが、通っていたら大変なことです。
MAIとは何か。要するに世界的な投資の自由化ですね。米国発のマネーは世界のマネーとなり、どの国もバリアを設けてはならないというものです。
もしMAIが成立しておれば日本でどんな事態が起きるか、私なりに解釈したものを少し紹介しますと、たとえば地場産業への制度融資とか、環境を守る公的な施策の実施などはすべてMAI違反になります。進出外資への徹底した内国民待遇の保障が要求される。国内企業を優遇する公的支援なども外資への差別として糾弾されます。内外の資本を差別なく均等に扱え、と。投資に対する絶対的自由の保障を求めるのがMAIの精神でした。 
外資が、進出先の特定の政策を国内産業の優遇策とみなせば、その国の政府をWTOに提訴できる、相手政府にペナルティを課すことができる、そういう権限を与えようとしたのが米国の本意でした。
今でもWTOは提訴を審理する法廷を持ち、罰則を課すことができる、そうした機能をさらに強化しようとしたわけですね。
WTOの本質はマネー資本主義により変質させられている。当時、WTO事務局長は、MAIを指して「統合された世界経済の憲法」と定義づけました。結局、世界のNGOがMAIをつぶしましたが、ほとんどの日本人はこのMAI騒動のことを余り知らないし、また「WTO違反」などという言葉に権威を感じて、恐れおののいているのが現状ではないでしょうか。WTOの正体を見抜いて農業交渉にも臨むべきです。
米国のほうはMAIで失敗したため多国間協定を進めるという戦略を放棄し、今度は2国間協定であるFTA、EPAの締結に力を注いでいくようになりました。
梶井 農業交渉失敗で中断しているのを良い機会にWTOの正体をより多くの人たちに知ってもらうことが大事ですね。
内橋 NHKスペシャルの「ライスショック」という番組で東大の先生が「コメは安い国から買えばよい。そのための外交が求められる」とコメントしました。台湾の実情ルポも紹介されたのですが、台湾ではWTOに加盟後、世界中からコメが入ってきて「世界のコメのショウウインドウ」になった。他方で小農家の経営が成り立たなくなり、ムラは廃墟になっていく。その人物は「日本の台湾化は避けられない」などとコメントを続けていました。番組での私の発言とは全く逆の主張です。
これからはこういう市場至上主義者らがまさに“遅れたWTO”の口移しで日本の農業・農政を論じているという現実を、しっかり見据えてかかることが重要ではないでしょうか。

鼎談を終えて
“その意味で米国は非常にアンフェアなことをやってきたし、また今もそれを続けています。ところが、ほかの国がやることについては信じられないような文句をつけ、厳しく追及します。WTOでもそうです。…よその国を“ならず者国家”などと呼びますが、米国自身が無法者国家です。そういう国を相手にしているということを日本人はもっと認識する必要があるだろうと思います。”
アメリカの名だたる大学の教授をされた碩学の御注意である。こうした“認識”をもっともっとひろめる必要がある。
内橋先生が話されたMAIのことなど、問題にしたこともなかった。投資協定を貿易協定のなかに入れることの是非をスティグリッツが論じている(「フェアトレード」第10章アジェンダに載せるべきでないもの)のを読んだときにも、“これ、途上国での問題だな”と深くは考えなかった。
“もしMAIがWTOを通過していれば…地場産業への制度融資とか、環境を守る公的な施策などはすべてMAI違反になります。…国内企業を優遇して外資を差別している―として文句をつけてくるのです”というお話を聞いてびっくりしたというのが正直なところ。
両先生からは、今回、あらためてたいへん有益なお話を聞かせていただいた、というのが率直な印象。有難うございました。(梶井)

(2008.10.17)