特集

第55回全国JA青年大会特集
青年大会特集 食料安保への挑戦 (5)

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経済危機の本質を考える -克服の方向を求めて- (2)

鼎談 その2
「農業守れ!」は「保護主義」と無縁
今こそWTO論理への対抗軸を

◆日本農業の論難者たち  梶井 今は態度豹変者がかなり出ていますね。 内橋 「...

◆日本農業の論難者たち

 梶井 今は態度豹変者がかなり出ていますね。
 内橋 「転向」表明まで飛び出し、仰天しましたが、気になるところもあります。
 反省は大いに結構ですが、アメリカにおきましても過剰な市場原理主義の帰結としまして、人間の絆が断たれ、地域コミュニティの崩壊が急激に進みました。すると、今度は人間性の回復、絆の復権などとうたって新たな思想が台頭する。その一つがネオ・コン、すなわち新保守主義ですね。ブッシュ政権下でイラク攻撃を仕掛けた。
 今回も「転向」表明された経済学者の著作を読みますと、“古き良き日本”への憧憬が相当に強く感じられます。こうなる前の日本型経営は人間を大切にした、労使相互の信頼とか和があった、と。つまり会社共同体への回帰を説いておられる。
 しかし、以前から日本株式会社批判として私たちが繰り返し強調してきましたのは、当時もいまも企業一元支配社会で、個人は会社への献身、ロイヤリティ(忠誠心)を求められ、引き換えに企業内福祉を与えられた。ほんとうに個人は人間として尊重されていたのだろうか。世界にも稀な長時間労働、そして過労死が頻発するのはなぜなのか。
 古き良き日本的経営に帰ろうなどというのもまた市場原理主義に劣らず幻想ではないのか、と。そんな思いが致します。
 規制緩和一辺倒論に最初は異議を唱え、やがて「いや、やっぱりグローバルスタンダードだ」と豹変し、いまは再び市場原理主義批判派になった著名な元官僚もいますね。いまは学究者の肩書きですが……。
 日本での“圧縮された市場原理主義”の論理の正体はせいぜいこんな程度といえるのではないでしょうか。ジャーナリズムまたしかり、です。そのような人びとが日本農業を論難し、WTOを宗教にまで高める布教者の役割を果たしておられます……。
 宇沢 日本のジャーナリズム、とくに新聞・雑誌は市場原理主義者にかなりおさえられていますね。広告の面からね。
 振り返れば、日本は戦後の占領下でパックスアメリカーナの先兵となりました。米国はまず官僚を脅して手なづけ、意のままに使い、米国のための政策を押しつけました。

◆すり替え論理 見抜け

「虚論」にだまされない運動が求められている(写真は昨年12月WTO対策全国緊急集会後のデモ。都内で)
「虚論」にだまされない運動が求められている(写真は昨年12月WTO対策全国緊急集会後のデモ。都内で)

 その象徴は1990年に米国政府の強い要求で日本政府が10年間で430兆円の公共投資をするという約束をしたことです。それも、産業の生産性を上げるような投資はしないという信じられない約束ですよ。
 内橋 それをすべて地方自治体に押しつけましたね。
 宇沢 中曽根康弘政権の時です。均衡財政を守るということで全部自治体にやらせました。
 自治体は地方債を発行して公共事業を起こしましたが、地域開発と称して例えばレジャーランドのようなものをつくるといった全くムダな投資をしました。事業主体は第3セクターでした。
 その時、将来の利子支払い負担は地方交付税として政府がカバーすると約束しました。ところが、小泉政権はこれを無視して交付税を大幅にカットしたため地方財政は窮迫しました。
 大きな被害を受けたのは学校と病院です。病院の場合、診療報酬点数制でカバーされているのは病院が使う医療費のほんの一部です。あとは自治体が中心になって負担していたのですが、それができなくなって至る所で病院は崩壊寸前です。
 とくに被害が大きいのは農村部です。こんな状況に陥れたのは430兆円の公共投資です。
 内橋 今、「北海道夕張市のようになるな」とか“見せしめの夕張”などといわれていますが、住民サービスがどんどん削られて義務教育が崩れていく自治体があります。
 学校が統合され、通学に片道2時間、バスの定期代が1ヵ月4万円、それに授業料が月に2万円という地域もあります。
 宇沢先生が指摘されましたように深刻な地方自治体財政の危機。今度は「自治体財政健全化法」が今年度の決算から適用されることになりました。
 この法律では、直接、自治体が運営する上下水道、病院などの公営事業、公社や第三セクターなどに赤字がありますと、連結決算で財政状況が判断され、最悪の場合、レッドカードを突きつけられて夕張市と同じように住民への行政サービスがカットされ、住民は重い税負担を強いられるようになります。これまでは個々に独立の財政でしたが……。
 小泉構造改革のもとで、当時の竹中平蔵総務相の私的懇談会が多く設けられました。その一つ、「地方分権21世紀ビジョン懇談会」は、現代を「グローバル都市間競争の時代」などと定義づけ、「自治体破産制度を含めた市場原理を導入した自治体づくり」を提唱しました。これが政府の「骨太の方針」に反映され、法律になったものです。「自治体を倒産させる」という、このようなやり方は世界にも例を見ないものです。アメリカには存在していても、発動されたことは一度もない。「市場原理を導入した自治体づくり」を答申した私的懇談会も学者たちがリードしたものです。
 宇沢先生がおっしゃったように、小泉構造改革のもとでまさに「国のかたち」まで変わってしまったというべきです。
 梶井 私は分教場育ちだから分教場廃止は頭にきます。
 それはそれとして話を次に進め、危機の克服についてどこから手をつけたらよいか、何を一番問題にすべきかなどをお話下さい。
 内橋 WTOについて若い人たちに今、一番認識してほしいことは、「このままいくと金融・経済危機の中で再び保護貿易が起こり、世界経済がブロック化し、各国が戦争に向けて歩み出す危険がある」という警告などは、詭弁そのものであるということです。
 WTOを中心に、先般のG20でも保護主義台頭の危険性を前面に押し出して貿易自由化を世界に求めています。この論理をどう受けとめるかが、とても大事です。
 例えば農業を守ることが閉鎖的であり、ブロック化や戦争の道に通じるのか。これこそ論理のすりかえであり、トリックでありレトリックだと思います。
 ところが日本政府は先頭に立って、保護主義に陥ることを警戒せよといい、むしろ議論をあおる役割を果たしています。これは間違いです。

◆多国籍企業内の取引き

 貿易の実態は、国連貿易開発会議の資料などによっても明らかなところですが、現在すでに世界貿易の3分の1は、超国家企業ともいわれる6万社くらいの巨大な多国籍企業内での取引が占めています。
 次の3分の1はそれら巨大多国籍企業と、同じく巨大多国籍企業との取引です。つまり世界で行われている交易の実に3分の2までが、多国籍企業がらみである、ということですね。ですから、残りの3分の1がかろうじてお互いに“良き物は交換しましょう”という水平的な貿易の名に値する取り引きということになります。
 そういう交易が全てなら、国内の企業や農業を守るために関税障壁をかけた場合、それがブロック化の引き金になるかも知れません。が、現実は全く違うということです。
 自由なマネーの移動をブロックして規制したりすれば困るのは巨大多国籍企業であって国家でも国民でもない。保護貿易になるわけがありません。
 巨大多国籍企業が自由にさせろといっている中で、農業を守るために、それに待ったをかければブロック化や戦争につながるというのは見え透いたすりかえです。虚論に巻き込まれたり、だまされたりすると、どうなるかを考えてほしいと思います。
 また1929年の世界恐慌と現在のそれとの大きな違いはITとマネーが結合したITマネーの存在です。タイ・バーツに始まった97年の世界通貨危機も、キーボードの操作1つで膨大な額の空売りを仕掛けたITマネーが引き起こした出来事です。勝利をおさめたのはマネーであって国家ではありませんでした。
 このような「公共の撹乱」に対して世界的な秩序をつくるのがWTOの役割だったはずです。ガットの時代はモノの自由化を議論していましたが、WTOになってからはモノに加えてマネー、あるいは知的所有権の領域へと広がっていったのですから。

◆間違った世界市場化

 だから無際限な投機マネーの行動に対する新たなルールづくりが期待されていました。ところがWTOは結局、マネーのお狩場を世界に、イスラム圏へも広げるのに一役も二役も買ってしまった。いったいWTOは誰の利益代表か。見抜くことが大切です。
 梶井 WTOの本来の仕事はこちらじゃないの、と大きな声で指摘したいですね。
 内橋 WTOの役目は世界の経済交流のルールをつくることです。ガットの精神を受け継いで今度の危機でも何らかの歯止めをかけるべきでした。それをしないで間違った世界市場化へと走って危機を生んでしまった。本末転倒とはこのことです。
 オバマ大統領は北米自由貿易協定(NAFTA)に批判的です。メキシコやラテンアメリカの状況などをみて深く考えざるを得なくなったのではないでしょうか。正しい認識だと思います。
 そういう時代に入っている中で日本経団連を中心に日本の自動車メーカーなどは農業に対して、相変わらず門戸を開放せよ、貿易自由化に応じよ、日本のコメは滅びてもよい、日本に農業はいらない、などといい続けています。いま、その自動車産業がどのような非常事態に陥っているのか、逆説的とはこのことでしょう。
 梶井 今回のWTO農業交渉の初めに日本政府は、各国農業の共存を求めるのが我々の哲学だと強調しました。また効率の良い農業国だけが生き残るようなようなことは認めないと提起しましたが、その後の交渉では、そういった主張が消し飛んでしまっています。
 食料サミットで、各国は農業生産拡大のために投資をしなくてはいけないと決議したくらいですから、交渉再開に当たっては初心に帰ってもらいたいと思います。
 内橋 日本政府は現実の世界交易の構造をどこまで認識して事に当たっているのか。あるいは知っていてグローバルズ(多国籍企業)側の利益代表になっているのか。問いたいですね。
 梶井 宇沢先生は前々から農業農村は社会的共通資本として把握すべきであり、工業とは違うといってこられましたが……。
 宇沢 私は農業を産業的カテゴリーに分類することに以前から違和感を持っています。農村には農の営みに関わる大工とか鍛冶屋など、様々な職種の人が定住して、お互いの営みの基礎となっているからです。
(「鼎談 その3」へ)

(2009.03.04)