特集

【2010年新春特集】 新たな協同の創造と地域の再生をめざして
対談 谷岡郁子参議院議員--加藤一郎JA全農専務

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【特別対談】環境の時代と「辺」の世界  谷岡郁子参議院議員、加藤一郎JA全農専務

・インディアンに国境はないのだ
・子どもは玩具の生産者だった
・諭吉は最後に幼稚舎をつくった
・「トマトという娘が生まれた」
・金メダリストは地元の食材から

 祖父も父も弟も教育者という家系に育ち、自身は32歳で中京女子大学の学長となった。史上最年少学長という記録はまだ破られていない。対談は加藤専務の進行で、何事にも線引きを先行させる西欧とは対照的な日本の「辺」の文化をクローズアップし、交流ゾーンの拡大こそが求められる方向であるとした。

生産者も消費者も生活者
線引きでなく共有と交流を

◆インディアンに国境はないのだ

谷岡郁子参議院議員

 加藤 谷岡学長はいろんなお顔をお持ちですが、きょうは大学の学長や参議院議員のお立場から少し離れて日本の文化、農業、地域社会などについて語り合っていただければと思います。
 日本には山辺とか海辺といった「辺」の文化があると学長はいわれます。これについてのお話から、まずお願いします。
 谷岡 愛知万博開催の話が持ち上がったころ、いろんな人たちと自然や環境の問題を話し合う機会があり、その中で会場探しには「辺」という言葉がたくさん出てくるため、なぜ?と考え、日本には辺の世界があるのではないかと思い始めました。辺は「へん」「べ」「あたり」と読みます。
 海の場合、護岸のない個所では満潮と干潮で海と陸の境目が変わり、山にしても季節によって自然は移動します。どうも、“このあたり”としか言いようのない部分があります。
 西欧では自然を支配すべきものと考え、都市計画にしても、すべて線で仕切ります。ところが昔の日本人は「べ」のあたりを自然と人間が交流する大事な場としてきました。「野辺の送り」という言葉もあり、「べ」では祭祀も行われたのです。
 また当時は里山の問題がクローズアップされ、生物多様性の一番豊かなのは里山のあたりであるなどといったことも話し合いました。そんなことから、西欧とは違った感覚で自然と付き合うのがこれからの知恵かも知れないと思いました。
 国際社会の「際」は「きわ」ですが、そのボーダーあたりをいかに幅広く共有するか。日本人の伝えてきた「べ」の文化、「べ」の思想が世界中に広がることが環境の時代にふさわしいのじゃないかとも考えるようになりました。
 加藤 私はカナダの駐日大使とお食事をした時に、この「べ」の話をしたところ、大使は欧米の国境はすべてラインであり、「べ」のようなあいまいな世界の概念はないとのことでした。カナディアンインディアンはアメリカインディアンとの間に国境を持ちません。西欧文化流の規定や線引きで、何か重要なものを失ってしまうような感じがします。「べ」はアイヌの言葉だという説もあります。伝来の起源をしらべると面白いと思います。

(写真)
谷岡郁子参議院議員 【略歴】たにおか・くにこ 1954年5月大阪府生まれ。カナダ・オンタリオ州立トロント大学文理学部卒業、86年中京女子大学学長、98神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科修了。博士(芸術工学)。2007年参議院議員(民主党)。


◆子どもは玩具の生産者だった

 谷岡 「べ」は縄文的思想かも知れません。支配し、支配されるということから、生かし、生かされるという分かち合いの思想へと敷衍させる議論が必要かも知れませんね。
 加藤 学長は「消費者」という言葉が嫌いだと話されました。生産者と消費者を常に線引きすることで何かを失っていくのではないかと思います。
 谷岡 どちらも生活者なんですよ。消費することも生活だし生産することも生活です。それを区切ったために消して費やすことしかできない人たちができてしまいました。
 子どもたちは玩具の生産者から消費者に変わってしまい、テレビゲームや模型などを買ってもらわないと遊べなくなりました。歴史の長い時間をみると、例えば子どもたちは石を飛ばすパチンコとかソリとかいろんなものを作る生産者でした。
 昔は生産者としての自信を持っていたのです。それは微力感です。それを消費者にしてしまった時に圧倒的な無力感を生み出してしまいました。微力感と無力感は大きく違います。
 微力な人間たちが分業して肩を寄せ合って文明を築いていくところが社会です。選挙にしても1人は1票ですが、それが集まれば国の行方を決めます。
 今、日本を覆っている閉塞感は自分たちが無力であると自己規定してしまっていることから出てくるのかなと思います。
 お百姓がすごいなと思うのは作物だけでなく土も畦道もため池も水路も作り、家も修理し、わらじを編み、炭を焼くなど身の回りに限られるとはいえ“百のこと”ができるからです。
 戦後日本が焼け野原から復興したのは多分“百の技”みたいなものが農村にあったからではないでしょうか。
 加藤 都市の生活は地方に支えられています。都市はそれをもっと認識すべき時期にきています。電力は発電する場所では価値が生まれず、送電されて始めて価値が生じます。水も食料も地方で生み出されます。その地方が疲弊し「田園まさに荒れなんとす」という状況の中で都市との格差が開いています。

対談 谷岡郁子参議院議員--加藤一郎JA全農専務(=12月東京・議員会館にて)

(12月東京・議員会館にて)


◆諭吉は最後に幼稚舎をつくった

 谷岡 今の状態はどちらも不幸ですよ。子どもたちは自然の中で世界を知り、自分の命を感じることができるのですが、都会のコンクリートの箱の中では命が枯渇し、心はすさむしかないのじゃないかなと思います。 そこから登校拒否や切れる子が生まれてきます。都会には何でもあるように見えて実は一番大切なものがないのじゃないかといえます。
 私が出産した時、赤ちゃんを抱いていて、ふと気づいたのはこの子がほしがっているのは私の乳房から出る母乳であり、きれいな空気や水であり、それ以上は何も必要としていないという非常に単純なことでした。
 そして、この子の母乳は無料だけれど私にしか出せないし、また空気も無料だということなどを考えて、買わなくていいものこそ、かけがえのないものだということを忘れてしまっているんだと思いました。都市民はかけがえのないものを供給してくれている地方への感謝を忘れているのだと思います。
 それから都市は若者を地方から奪ってきました。例えばトヨタは最初のころ、農村青年の器用な手や勤勉性を使って大きくなりました。他の会社もそうです。挙句の果ては農山村の過疎化です。大企業はその代償を見詰めるべき時代にきています。
 加藤 都会に出てきた農村青年の次世代には、ルーツを失った世代が誕生してきています。そこを考え直さないといけません。
農業も密閉型の植物工場があり、ビルの中でも野菜を栽培できますが、太陽と大地と水で生育されたトマトと、人工光線と溶液栽培されたトマトは何かが違っているのではないかと思います。また、密閉型には、生物多様性の概念もありません。この辺は根本的に考え方を変えていかないと日本の国のあり方自体が変わっていくような気がします。
 谷岡 人間は五感という最高のセンサーを持ちながら、なぜ鼻や舌を使わないで賞味期限などという表示を信じるのかというのも不思議ですね。私はいい教師であろうとし続けたけど、自然という教師には絶対に勝てないと痛感しています。
 福沢諭吉は大学からつくり始めましたが、高等教育だけの間違いに思い当たって最後に幼稚舎をつくりました。人間は文明的存在、知的存在である前に命であり、けものであるとし、獣性を養わないと進化はないんだとしました。


◆「トマトという娘が生まれた」

加藤一郎JA全農専務 五感によって世界を知ると同時に不思議を感じることが知識への欲求となるのだから、基礎として健全な獣性を持たない人間は学ぶ力を持っていないとしたのです。知識の集積だけではその知識を使いこなせないというわけです。
 コンピューターの世界に例えると、メモリーがあってもOS(オペレーティングシステム)がないとどうしょうもありませんからね。
 それで慶応の幼稚舎では今でもはだしで運動会をやっていますが、諭吉としては、そこが“お受験”の極みになろうとは思ってもみなかったでしょう。
 加藤 学長は歌手の加藤登紀子さんと昔からの友人ということですが、登紀子さんは私との対談で「農的生活は時代の最先端」といわれました。学長としてはどう思われますか。
 谷岡 私の父が大阪の学校法人の理事長を引き受けた時に隣接地が売りに出たので、そこを買って農園にし、生徒に農業をやらせました。
 家庭的に問題があるなどで、すさんだ子が多かったため、農的な生活で命の営みと格闘させることにしたわけです。
 その農業体験を書かせた作文の中に「きょう、ぼくの娘が生まれた。トマトという娘が生まれた」というのがあって、この子は何か根源的なことをつかんだなと感じたことがあります。命を生み出す仕事をした時に何かみずみずしい暖かい心が生まれたのだろうと思います。
 加藤 中京女子大というと、女子レスリングをはじめスポーツの強豪というイメージが強いのですが、金メダリストの選手たちは海外でどんな食事をしているのですか。
 谷岡 “愛”を食べさせていますよ。
 加藤 えっ、「愛」ですか。
 谷岡 金メダルを獲らせるのは愛のこもった食材や料理なんです。愛知では抗生物質の入っていない卵とか無農薬の野菜などを近くの農家の方々が持ってきてくれています。
 選手たちは〈私の血となり肉となっている食べ物は特別なんだ。これで勝てないはずはない〉と自信を持つのです。

(写真)
加藤一郎JA全農専務


◆金メダリストは地元の食材から

 北京オリンピックの時は、金メダルを獲れといわれる選手たちの強いストレスを和らげるため、普段と同じ食事を摂らせました。そのために食材も調味料も水もすべて日本から運び込んだのですよ。
 それでも吉田沙保里なんかは何ものどを通らないほどのプレッシャーを感じていたので三重県出身ということから水も食材も三重から運び、伊勢うどんを食べさせたりもしました。
 また減量を終わった伊調馨には雑炊をつくるとかね。そうした選手それぞれの好みなどにあわせて食事をつくった仲間たちの愛情が金メダルに実ったのではないでしょうか。
 加藤 農的生活の話の続きになりますが、日本農業の将来はどのようにあるべきかについてのお考えがあれば地域社会の問題を含めてお聞かせ下さい。
 谷岡 これからは農的生活みたいなのがすごく大事ですね。命を育む行為の尊さを体験している人たちがつくる「辺」の世界が必要なんだろうなと思っています。消費者と生産者の間に境界線を引かない交流の世界を取り戻すことが大事です。
 都市の元気な高齢者が日曜日だけでも故郷に戻って農業を手伝うとか、その孫たちが年間1ヶ月ほどは過疎地の小学校に行ってみるとか、そういう「辺」的な交流の場をつくることを可能とするシステムはどういうふうにあり得るのか、などと政治家として考えています。
 また農村でこそ豊かな生活ができる、子どもたちも元気に育つというようにしていく富の再分配が大事です。いまは再分配の仕方が間違っています。
 若者が農村で生活していけるような環境をいかにつくるかですね。それは農業者のためだけでなく、自然の中でこそつくられ、育まれる人間としてのOSを取り戻すことになるのではないかという気がします。
 加藤 最後にJAや全農への期待があればお願いします。
 谷岡 耕作放棄地が増えていますが、都市の人たちが、これを借りて農業をしたいと思ってもつてがありません。借り手と貸し手がお互いに信用できる相手を仲介するのはやはりJAではないでしようか。
 都市と田舎に境界線がある状況の中で、お互いに「辺」の交流をつくっていく結節点として一番見晴らしの良いところにいるのがJAです。ぜひ私たちと一緒につなぎ役をやっていただきたいと期待しています。

 

対談を終えて 

 対談を終えて、まずそのバイタリティと教育・自然・文化へ強い思いに圧倒された。人々が社会を形成していく上で、画一的な価値観では割り切れない。中京女子大学では、入学試験でも、学業より、五感・感性の鋭い人を優先すると聞いた。谷岡学長は「できない子はいない。まだ、できないだけ。」この教育方針に感動した。そこには、線引きで区分するのではない日本の文化の特徴「辺」の概念に共通するものがある。農業との関わりで「自然に勝る教師はいない」と我々が忘れかけていたことを再認識させられた。都市と農村の格差の是正や、閉塞感のある現代日本で、国民の「微力感」を奪って「無力感」を植えつけてきたのは、画一的な生産者・消費者という区分だとする主張はまとを得ている。食という命を支える産業である農業と人を育てる教育は、まさに国を形成する基本であり、谷岡学長のご活躍を祈念したいと心底、思わずにはいられない。(加藤)

(2010.01.06)