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「ものづくり経営学」から見た日本農業・JAグループ

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【特別対談】「ものづくり経営学」から見た日本農業・JAグループ  東京大学 大学院経済学研究科教授・ものづくり経営研究センターセンター長 藤本隆宏氏―JA全農代表理専務 加藤一郎氏

・用水調査から判明した先人たちの知恵
・良い流れをつくるのがJAグループの役割
・地域ブランドの素材掘り起しが課題
・設計情報をつくり込み、選別工数を減らせ
・現場は“体育会系戦略論”でやって来た

 「ものづくり経営学」は製造業中心からサービス業や農業へと研究対象を広げて来た。加藤氏はそこに注目し、日本農業・JAグループの立場から、いくつかの論点を提起した。ものづくりの基本は「良い設計」と、その「良い流れ」で社会に貢献し、経済成果を得る活動―とされる。農業では「良い設計」で、ほ場を整備して作物を育てるが、それを顧客に届ける設計情報の「良い流れ」をどうつくるかが日本農業の課題と藤本氏は指摘した。またグローバル化への対応など数々の提言があった。

基本は「良い設計」の「良い流れ」をつくること

◆用水調査から判明した先人たちの知恵


東京大学 大学院経済学研究科教授・ものづくり経営研究センターセンター長 藤本隆宏氏 加藤 「ものづくり経営学」は徹底した現場・現実の重視にあると思います。まず藤本さんから、ものづくり哲学を語っていただきましょう。
 藤本 テレビなどで見ていると、工場でものを削るとか組み立てることがものづくりだと受け取られがちですが、私たちはもっと広くみています。最初は製造業中心の研究でしたが、その後、サービス業や農業にも対象を広げています。
 ものづくりは思想といいますか、考え方だと思います。ものづくりの基本は「よい設計」の「良い流れ」をつくることです。すなわち、ものに設計情報をつくりこんで、それを届けてお客を喜ばせ、こちらも利益を得て、雇用も確保する、そういう活動全体のことをいいます。辞書には「ものづくり」という項はないけれど現場ではそういう言葉遣いがされています。
 加藤 藤本さんは製造現場の実態調査を続けておられますが、その原点には大学時代に取り組んだ水利調査があると著作に書かれています。当時は「学生がただで自由に見られる生産現場は農業分野しかない」といった状況もありました。振り返っていかがですか。
 藤本 八ヶ岳の古い灌漑用水と印旛沼の近代的灌漑用水システムを調査しましたが、対比すると、水稲の生産性にあまり差はないのに土地改良区などの負担は印旛沼のほうが高いのです。合理的、近代的な人工水路は建設費がかかり、メンテナンスコストを増大させます。一方、八ヶ岳のほうは近隣集落が300年間も水争いを続けながらも、水路の補修では相互に協力しあい、水争いは暗黙のルールで調整され、用水管理が各共同体で維持されてきたのです。一方、印旛沼では、蛇口をひねって取水するため、共同体のコミュニケーションまでがなくなったといえそうです。地下の導管が老朽化した時のコストは莫大なものになります。先人が築き上げた知恵にある種の衝撃を受けました。そんなことから進化経済学系の考え方をとるに至りました。
 必ずしも計画されたものではなくても、あたかも計画されたシステムのように動くことが、灌漑システムでも、ものづくりシステムでもありうるわけです。

 

ふじもと・たかひろ
昭和30年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。三菱総合研究所を経てハーバード大学ビジネススクール博士課程修了(D.B.A )。現在は東京大学大学院経済学研究科教授、経営教育研究センター長。
 『ものづくり経営学―製造業を超える生産思想―』(東大ものづくり経営研究センターと共編著、光文社新書)など著書多数。


◆良い流れをつくるのがJAグループの役割


JA全農代表理専務 加藤一郎氏 加藤 経済のグローバル化が叫ばれていますが、藤本さんは各国の産業構造は均質化ではなく、異質化へ進むと、書かれています。農業はその国の文化、環境、景観に関連する異質性が強い産業です。食からみれば、米国はマクドナルドに見られるナショナルチェーン型で、どこに行っても同じ味を追求し効率性を第一義とするのに対し、我が国は日本料理に見られる素材を活かす地産地消の駅弁文化型で、多種多様を特徴とします。農業は“現場”からの視点が重要な産業ですが、“ものづくり”からみて我が国の農業をどう考えますか。
 藤本 製造業も農業も、ものづくりの基本は同じだと思います。違うとすれば醸造などと同じく生き物が相手であることです。我々は設計情報を材料に転写することをものづくりの基本としていますが、農業の場合は直接的には遺伝子情報があり、これが自己組織化により、自ら作物になっていきます。それを助けるために、人はほ場整備の設計をします。内容には土づくり、水利、作付などがあり、最後は生きものの生育を促進したり抑制したりの制御をします。
 重農主義の経済学者フランソワ・ケネーは、死んだ材料に働きかけをしている製造業と違って植物という生命体に働きかける農業は価値を生んでいる、と考えました。そんなモダンな考え方の人がすでに230年も前にいたわけです。
 要は、ほ場を管理し、作物を管理・収穫し、お客にまでつなげる付加価値の流れ、つまり設計情報の「良い流れ」をどうつくるかが日本農業の課題ではないでしょうか。
 優秀な農家は優秀な技術者ですが、顧客までの良い流れを作るのが下手ではないでしょうか。ターゲット顧客のニーズを明確にすれば「流れ」も見えてくる。価値を認めてくれる。別のいい方をすれば、顧客までの良い流れを作るのがJAグループの存在意義ではないでしょうか。
 今後さらに、グローバル化で個々の国や地域の特性、強み弱みがはっきりしてくれば、日本農業の得意分野も見えてくるでしょう。
 例えば中国の成都で見たのですが、小売店に並ぶ中国企業の70円と日本企業の400円の牛乳がどちらも売れ行き好調でした。大きな価格差を優に乗り越える消費者がすでにいるのです。
 顧客のニーズに応じた勝負のできる農場をどれだけつくっていけるかがポイントですね。


◆地域ブランドの素材掘り起しが課題


 加藤 「良い流れ」は全農を含めたJAグループがつくっていかなくてはなりません。
 藤本さんは「ものづくりとは、ものをつくり込むこと」「設計者の意図」が重要であり、相性のよい設計思想で勝負せよといわれ、その基本を分類されており、その理論に基づき私は農畜産物を別表のように分類してみました。
 JAグループは戦後の食料増産の要請から行政の試験研究機関、指導機関などと一体となってオープン化とモジュラー化(組み合わせ型)をはかり生産性を上げてきたともいえます。そこで米、卵を別表の右下に当てはめてみました。消費者からみた汎用商品としてカット野菜など一般的なものも、ここに当てはまると思います。しかし米は主食でありながら、需給バランスなど厳しい現実に直面し、差別化をはかるため、今後は有機米、環境米などの別表左下のインテグラル型(すり合わせ型)に該当するものが増えると思います。またポテトチップスなどの原料など製造業の求めに応えた顧客別・用途別の契約栽培農産物などもこの分類になると思います。モジュラー型のクローズド系(囲い込み)ではブランド和牛や、また京野菜などの地域特産型ブランドなど、また品質基準の非常に厳しい全農しんたまごなどもこの分類になります。
 フランスのプロヴァンスのようにワインを含めて地域全体がブランド化している流れがあります。これがわが国でいう“六次産業化”ではないかと思います。左上のインテグラル型のクローズド系の分類に区分される農畜産物、加工品を地域で六次産業化を通じて付加価値を高めていくこと。地域ブランドの素材をどう掘り起こしていくかが、今後重要な課題になると思います。日本でも農水省は地域の料理人を表彰する料理マスターズ制度をつくりましたが、この制度はこれからの起爆剤になると思います。


◆設計情報をつくり込み、選別工数を減らせ


 藤本 一方、消費者の側を見ても、日本の伝統的な食生活はかなりインテグラルですよ。京野菜のような高級品が出てきた背景には、食生活がインテグラルなうるさいお客がいますが、工業製品もそうです。
 乗用車にしても評論家然としたうるさいお客が多く、客がものづくり現場を育てるともいえます。また車の設計には安全や環境や燃費の厳しい制約条件があって汎用部品の寄せ集めでは、狙った機能の精度が達成できないのです。それで最適設計された専用部品を使いますが、これを「すり合わせ」アーキテクチャといっています。
 農業の場合、米国のように粗放的で画一化されたやり方を目指すのは表の右下のプロセス・アーキテクチャかなと思います。
 一方、自分の農場に限れば画一的な生産方式だが、よその農場と比べた場合は特殊な最適設計の作り方をしているといったタイプは右上に分類されるかなという感じです。
 また、ほ場ごとにきめ細かく作付や管理パターンを変えていく高級作物は左上ですが、これはコストが高くなります。しかし、それを上回る価格を設定できれば、利益が出ます。付加価値は作付の遺伝子情報とほ場の設計情報から生まれますから、それを徹底的につくり込んでいくことが求められます。
 しかし、生産者名の表示農産物は増えていますが、その品質が本当に良いのかは、まだお客にはよくわからないものが多いといった段階です。
 また、作物に工業製品のような画一性を持たせるために出荷段階で選別に大きな工数を投入する農協がありますが、これはもったいない。例えばキュウリは曲がっているよりも真っ直ぐのほうが良いのだから、前もってほ場での管理工数を増やして事前に形状のばらつきを抑えた上で、選別工数は減らすべきです。
 そうしないと、農家の仕分け労力が大変ですね。形状の仕分け工数を減らして、その分を品質向上のための管理工数に回した方が消費者にとっては有難い。
 加藤 現場の組織能力を鍛えておけば、利益は後についてくるという「体育会系戦略論」がありますが、農業の現実は現場を鍛えてもうまくいきません。これについてはいかがですか。
 藤本 農協の組織能力が問われているところですが、それはかなりの部分、リーダー次第ではないですか。お客のところまでの付加価値の流れ全体が見えており、ビジネスモデルが描けているようなリーダーがいるかどうかですね。例えば郵便局もそうですが、良いリーダーのいないところはたいていダメです。

高性能、模倣困難、輸出可能、国際競争力あり
◆現場は“体育会系戦略論”でやって来た


 藤本 「体育会系」という言葉は、試合に出て負けても愚直に鍛錬を繰り返していることをいい、それが日本の製造業現場の持ち味です。試合とは国内市場や世界市場の例えです。
 日本の優良生産現場は円高にも耐え抜き、気力は萎えていない。ところが弱気な社長は早々とレッドカードを出して工場を中国に移したりしています。“強い現場、弱い本社”です。
 農家も農協も合併で大きくなったところがありますが、小さかった時の単なる拡大コピーみたいな組織はかえっておかしくなるおそれがあります。大事なのはあくまでも、付加価値の「良い流れ」であり、経営の質です。
 加藤 最後に全農の設計思想として期待するものをお話下さい。
 藤本 「良い流れ」づくりの指導ができる人材をいかに増やしていくかですね。この世界は汎用技術だから、製造業やサービス業で苦労をしてきた人たちの中からセンスの良い人をつれてくることもできます。製造業の退職者の中にもそういう人はたくさんおりますよ。
 グローバル化すれば最終的に関税撤廃となりますが、いきなりでは無理だから、その前にまず知識や組織能力や生産思想の面で、他産業の良いところをどんどん取り入れて開かれた農業の形にすべきではないかと思います。
 農業生産法人を見ると、ほかの産業で経験をつんだ人たちのいるところが結構うまくいっています。単に良いほ場があるというだけではなく、それをお客につないでいく「良い流れ」が感覚的にわかっているのです。そうした成功例をどんどん広げていくことですね。
 また、他産業の成功例の中にはたくさんのヒントがありますから、良いものはどんどん導入することです。攻めるという気持ちが必要です。
 例えば思いつきですが、中国には9月になると、日ごろお世話になっている人に「月餅」というお菓子を贈る日本の歳暮に似た慣習がありますが、月餅は大きいので、持て余して使いまわすこともあるようです。
 これを日本のモモとかサクランボなどの果物に代替させたらどうか。それにはスーパーなどと組んだ仕掛けが必要ですが、成功すれば中国の人口からして、とてつもない規模の需要が生まれるかも知れません。贈答品だから値段は高くても質が良ければ通用するかも知れません。
 相手の食生活まで考えて攻勢的に「良い設計」「良い流れ」を世界に提案していくことです。


◆現場とは「設計情報」が流れる空間


 「ものづくり」とは設計情報(顧客にとっての付加価値)を、ものにつくり込み(媒体に転写し)、市場までの「設計情報の流れ」をつくり「良い設計・良い流れ」で顧客や社会を満足させ、結果として売上げを得る経済活動のこと。ものづくりの「現場」とは設計情報が流れる空間を指す。「媒体」が鉄や樹脂のように有形なら製造業、空気や電波のように無形ならサービス業だが、「良い設計」と「良い流れ」を志す意思と能力は双方に存在しうる。
 ものづくり経営学の重要な概念の1つにアーキテクチャと呼ばれる「設計者の発想」がある。製品に要求される機能を、製品の部品にどのように配分し、部品間のインターフェースをどのようにデザインするか、に関する基本的な設計思想のことだ。
 アーキテクチャ分析の対象はあらゆる人工物に及ぶが、基本類型はモジュラー(組み合わせ)型とインテグラル(すり合わせ)型である。(藤本教授の著作などから抜粋)。

 【特別対談】「「ものづくり経営学」から見た日本農業・JAグループ 


対談を終えて

 トヨタの張会長、林取締役との茨城の生産法人TKFを舞台として三年間にわたる「トヨタの生産方式」を農業の生産現場に活かす非公式な勉強会の記録を綴った一冊の本「野菜づくりとクルマづくり出逢いの風景」がまわりまわって藤本教授との出逢いの機会を作ってくれた。東大ものづくり経営研究センターの目指す目的も新鮮で興味深いものがある。「インテグラル」などの用語に最初は難解さを感じたが、藤本教授の徹底した現場主義は製造業を超える生産思想であることがわかり、「強い現場、弱い本社」のくだりには胸を刺されるものがあった。新聞紙上でこのところ「貿易立国日本」の文字が踊っているが藤本教授と対談するなかで「ものづくり技術立国日本」の方が正しい表現だと感じている。製造業も農業も「ものづくり」では共通している。「農商工連携」が新たな時代を築くものだと確信した。
(加藤)

(2010.12.14)