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私たちが望む、私たちが引き継いだニッポン農業とは?【TPP―これでいいのか「農業改革論」】

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【TPP―これでいいのか「農業改革論」】 大震災の教訓ふまえ農業復権を JA全中専務理事 冨士重夫氏・東京大学大学院教授 鈴木宣弘氏【前編】

・遅れる被災地の復旧 将来不安高まる現場
・国は復興への答えを示せ
・JAグループも全力で支援
・価値観は転換したのになぜTPPなのか?
・非現実的な復興策とTPPとの関連づけ

 政府はTPP参加の判断時期を6月から先送りした。東日本大震災による被災地の農業者、漁業者への心情に配慮して、というのがその理由のひとつだ。ただし、参加そのものを断念にしたわけではなく判断時期を伸ばしたに過ぎない。
 一方、震災に配慮したとはいっても、現地では復旧への見通しも立たず、また原発事故で広範な地域が被害を受けているのが実態だ。
 こうしたなかJAグループは農業再生に向けた提言を5月12日に決めた。この「東日本大震災の教訓をふまえた農業復権に向けたJAグループの提言」では、震災を機に国民の間に効率化、競争力追求といった課題よりも安全で安心な暮らしを地域社会で助け合って築いていくことの大切さを重視する価値観の転換が起きていることを強調し、TPP参加検討は「直ちに中止すべき」と提起している。
 この困難な状況のなかから未来を開くため、農業と農村再生に向けてどんな議論が必要なのか。JA全中の冨士重夫専務と東京大学の鈴木宣弘教授に話し合ってもらった。

国民の願いは安心・安全な暮らし


◆遅れる被災地の復旧 将来不安高まる現場


toku1106100902.jpg 鈴木 大震災発生からから2カ月以上になります。私も現場を訪ねましたが、まだ言葉を失うような状況が続いています。
 まず、現場の状況がなかなか改善していないということについて、政府の対応も含め、これまでをどうみておられるか、お聞かせいただけますか。
 冨士 地震と津波の被害を受けた岩手と宮城、さらに原発事故も発生した福島と、大きく分けると二つの被災地があると思います。
 国会で1次補正予算4兆円が成立しましたが、農業関連は13001400億円ぐらいの規模。中身はとりあえずのがれき除去と農地の復旧、共同利用施設への助成と、復興組合をつくって自分たちでがれきを除去する場合に10aあたり3万5000円を交付するという休業補償的な対策などです。
 しかし、現場ではがれきの除去、あるいは塩水に浸かった農地の復旧といっても、いろいろなレベルがあるわけです。
 がれきといっても、車、油、家電製品などまで農地に流れ込んでところと、塩水に浸かったとはいっても比較的軽微で済んだところがある一方、宮城の名取や亘理地区のように地盤沈下でゼロメートル以下になって、まだ排水すらできていないところもあります。
 いずれにしても個人の力で復旧・復興などありえないわけで、これはもう国・地方公共団体が100%復旧させるようなことをしない限り、来年の営農もめどは立たないですし、農地の損害程度に応じた復旧・復興計画といったものがない。予算は措置したものの、あとは現場に丸投げしているだけです。
 一部では復旧に向けた取り組みも動きはじめています。たとえば仙台イチゴも大きな被害を受けて95%の苗が失われましたが、残った5%の苗を育てクリスマスに供給して仙台イチゴを復活させたいと青年部ががんばっています。
 そのためには夏までに苗の株を確保して、ハウスを整備しなければならないわけですが、その施設整備に対しては2分の1補助です。半分は地方公共団体が出せということですが、しかし被災地の自治体に金はないですよ。そうなると残りは全部自己負担ということになってしまう。それではハウスが建てられない。
 だから、この場合は、復旧・復興に向けたモデル的な取り組みなのだから、10分の9は補助するといった施策が必要だと思うんですよ。仙台イチゴをクリスマスに復活させよう、こういう取り組みは地域の希望の光になるわけです。それが先行して、もっと続こう、がんばろう、ということになる。
 ところが従来どおりの補助事業の延長線でしか考えていない。これではどうにもなりません。

 

◆国は復興への答えを示せ


toku1106100901.jpg 冨士 それから、二次補正予算がどういうかたちでいつ出てくるのか。復興計画の基本構想が出てくるのが6月ということですから、具体的な計画が固まるのは夏から秋ということですか……。こういう状況なわけですから、みんな将来不安を持っていますよ。どういうかたちで将来の農業が復活できるのか、何年ぐらいでそれができるのか、そういった不安です。
 やはり復興に対する答えを早急に示していくことが大事だと思いますね。
 鈴木 今までのルールや法律を超えた運用で、とにかく今は現場の希望の光になるように即座に必要なサポートをしていくことが大事なのに、なかなか機動的にできず、現場としては非常に苦しい状況が続いているというのはご指摘のとおりだと私も思います。
 原発事故の補償問題も同じです。非常に不安でこれから風評被害も含めてどうやって売っていけるのか、収入のめどが立つのか分からないのに、補償がどうなるのか、東電の責任か、国の責任かといった綱引きをまだやっているような状況です。
 結局、現場の今のつらさを分かって、即刻何かしなければいけないという気持ちが本当にあるのかということが強く問われると思います。
 このように国の動きが鈍いわけですが、JAグループとして農家のみなさんを支えるためどのような取り組みをしているのでしょうか。

 

◆JAグループも全力で支援


 冨士 農業基盤が喪失しているわけですから、農協の事業基盤も大きな損害を受けています。ですから農業者と農協の両方が大変な状況にある。
 われわれとしては、まず現場からの要望を徹底して国に要請していくことを引き続きやっていきます。復興計画についても現場段階の意見を反映させていくことが大事です。現場で復興計画を検討するときには、全中としてもサポートしていきたいと思っています。
 それからJAグループとしては、全農には災害対策特別基金50億円がありますから、それをまず販売品、購買品の損害対策に当てる。全共連にも75億円規模で農協の施設損害に当てるような積立金があります。農林中金は4年間で1兆円の金融対策をやります。
 全中では全国の農協と連合会から100億円の義援金を集めて、これを農業基盤再生、農協経営の再生に使ってもらおうと取り組みを進めています。
復興に向けたノウハウの支援、財政的な支援、これらを通じて支援していこうということです。
 一方、原発事故の補償問題は、各県ごとに協議会を作って賠償請求をまとめてそれを全国で集約していく事務サポートシステムをつくりました。そこで東電と交渉していくことにしています。
 いずれの問題も1年や2年で片づく問題ではないので、これから毎年毎年JAグループで支援すべきことを策定して取り組みを進めていくことになります。
 鈴木 東電も国も動かないのなら、後で支払ってもらえばいいのだから、まずJAグループとして使えるお金を使いやすいかたちで出せるようにしていただいて、被災者に対して、JAがついていますよ、と頼りになる組織である役割を発揮していただくことが期待されていると思います。

 

◆価値観は転換したのになぜTPPなのか?


 鈴木 ところでこうした苦しい状況であるにもかかわらず、TPP問題が農業の復興と絡んで再び出てきています。
 これだけ地域経済が疲弊して苦しんでいるときに、さらに追い打ちをかけるようなTPP参加は無理で、白紙撤回するのが常識的な考え方だと思っていましたが、どうも6月に判断することは先送りしたけれども、経済界や経済関係省庁は11月に正式にTPPが発足するのであれば、そこに滑り込ませればいいではないか、との思いをかなり強く持っているようです。
 こういう動きに対してどう考えていますか。
 冨士 ご指摘の見立てどおりだと思っていて、非常に危機意識を持っています。
 われわれからすれば、もともと大震災が発生しなくても断固反対です。
 経済界は日本経済の実態や貿易自由化の実相、あるいは未来について意図的にゆがめて議論を展開し、参加を主張していたわけですが、そこに東日本大震災が起きたことで、まさにわれわれが主張していたことが国民に正当に評価されることになったと思っています。ところが財界やマスコミがこの状況でもTPP参加を主張するというのは常識を疑う。感度が完全にズレているとしか思えません。
 今回のJAグループの提言では、震災によって価値観の転換が形成されつつあり、それをきちんと認識すべきであるということを主張しています。
 さまざまなリサーチ会社が震災後にアンケートをしていますが、そのなかに「震災後に日本人として改めて思ったことは?」という調査があります。答えの第1位は「他人への思いやり」。2位が「家族や親類への愛情」、3位が「地域、地元の結束力、団結力」です。暮らし方についての回答では「心豊かにゆとりを持って暮らしたい」、「日本の伝統的な暮らし方を大事にしたい」などが上位にあがっています。
 つまり、今まで効率化、合理化、競争力強化だと言って進めてきた経済運営に対し、人間の暮らし方からするとそれはおかしいと気づきはじめていたんですが、この大震災でまさにそこに改めて思いを致して価値観が転換しつつある。
 こういう国民の価値観の転換が起きていることをふまえたうえで、安心して暮らしていける生活をどう確保していくかが改めて問われているわけで、そのうえで農業政策なりエネルギー政策を考え、貿易政策も整理していくことが求められているわけです。にもかかわらず相変わらず従来の論理、主張でTPP推進を、というのは信じられないですね。

 

◆非現実的な復興策とTPPとの関連づけ


 鈴木 しかも東北沿岸部の農地が大きな被害を受けたことについて、「いい機会だ」というような言い方さえ出てきています。この機会に大規模区画をつくって、だれでも農業をやれるようにし企業が入って経営すればそれで新しい農業ができる、これを全国モデルにすればTPP参加もできる、というようなことを言っている。
 被災地が自分たちでどう立ち直ろうかと苦闘しているときに、これからは企業が入って大きな農業をやるのだから、どこかへ行ってもらってかまわない、などと、今言うことは人間の心の問題としても非常に情けない思いがします。
 しかも、それを全国モデルにするというわけですが、これだけの大きな被害を受けて初めて大規模区画ができるというのなら、全国モデルになるわけがない。その論理の飛躍は無茶苦茶です。
 しかも、かりに2ha区画で整備してみても、そもそも1区画100haの豪州とどうせ競争できるわけがないのですから、そこにも話の飛躍がある。震災に絡めて都合良く勝手に話をつなげている。驚くべき論理です。
 冨士 本当に驚くべきことですね。現場を見ていないですよ。津波被害を受けた大船渡や南三陸のリアス式海岸の入り江のような地域はもともとそんな大区画農場など作りようがない土地条件なわけです。
 一方、宮城県の名取や亘理といった地域はもともと広大な平場の農地であって、米プラス施設園芸をやってきたわけです。そういう現実をふまえて考えなくてはならない。株式会社や外部資本が参入して農業をやればいいというのは、まったく頭のなかだけで考えた現実と遊離した話です。
TPP―これでいいのか「農業改革論」】 大震災の教訓ふまえ農業復権を JA全中専務理事 冨士重夫氏・東京大学大学院教授 鈴木宣弘氏 鈴木 こういうなかで、先ほど紹介のあったJAグループの提言では国民の価値観の転換をしっかり受け止めてどういう農業を作り上げていくか、農業再生の対案を示されていますね。
 冨士 政府の再生実現会議では震災前の議論から「強い農業」といっていました。しかし、「強い農業」とはどういう農業なのか。われわれの提言では「持続可能な農業」だと言っています。それは日本の地形、農村集落の現状と実態をふまえたうえで農業を考えていくことが基本だということです。
 そうなるとわが国の水田農業集落では20ha未満が過半を占めるわけですから、どんなに農地をまとめても1集落2030haが平場の経営規模ではないか、という考えです。


後編につづく

(2011.06.10)