特集

2012年新年特集号 「地域と命と暮らしを守るために」

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【特別対談】TPPの本質は「制度の米国化」 日本は稲作漁労文明を守るべき  榊原英資・青山学院大学教授―加藤一郎・JA全農前専務理事

・独自の制度が崩される
・米国の戦略を見抜いているか?
・文明を守るためにも農業が大切
・地方を大事にする国家戦略を
・TPPはもう結構

 榊原英資教授は政府がTPP参加を協議すると表明した当初から、慎重に対応すべきとの立場を表明した。対談でも改めてTPPについて「自由化か、農業保護か」という捉え方は間違っており、本質は「制度の米国化」だと強調、前のめりの姿勢を示す野田政権を批判した。同時に日本は稲作漁労文明の国であり、この文化を守り世界に発信していくことこそが重要だと強調した。日本で農業を営むことの意味と今後の課題が提示された対談となった。

◆独自の制度が崩される


 加藤 榊原さんはTPP議論の初期の段階から、これは農業だけではなく、金融、医療、保険を含め幅広い分野に関わる問題であることを見抜かれていました。
榊原英資・青山学院大学教授 榊原 ご指摘のように産業界や政治家は「自由化か、農業保護か」といった捉え方をしましたが、それは基本的に誤った認識だと主張してきたわけです。
 TPPの基本は米国と豪州がイニシアティブをとり、アジア太平洋地域の国の制度を、ある程度統合していくということですよ。今はまだそこまでは言っていませんが、いずれはEUのようにしていきたいという意図がおそらくある。それは悪い部分ばかりではないかもしれないが、米国が主導権を握るとどうしてもアメリカナイゼージョンになる。
 つまり、TPPの背後には「制度の米国化」がある、そう捉えるべきだということです。
 実際、明確に交渉は21分野だとしていますね。したがって農業だけではなく、いろいろな分野でさまざまな要求なり交渉が起こってくる。これにはかなり慎重に対処しないと。どの国も主権国家としてその国独自の制度がありますが、それが崩れる可能性が出てくるわけですから。
 私自身、米国との交渉経験がずいぶんありますが、米国は、自分が世界だ、と思っていますから、米国的な制度を必ず押しつけてくる。それにそう安易に乗ってはだめですよ、というのが私の意見で、TPPには少なくとも当面飛び乗る必要はない、どういうかたちになるかじっくり見ていればいい、ということから野田政権を批判しているわけです。
 加藤 私は日中韓FTA産官学共同研究の委員として昨年12月14日からの最終会議で韓国に行ってきました。日中韓FTAでは「センシティブ分野への配慮」「農業の多面的機能」「食料の安全保障」などが盛り込まれました。TPPよりもまずアジアのなかでの立ち位置を考えるべきだと思います。
 榊原 実は東アジアの域内貿易比率はすでに60%近くになっていて、日本の最大の貿易相手国はすでに中国です。しかもその状況は加速する。
 そうなると米国も豪州も東アジア統合のメリットを受けたいということになりますね。つまり、米国と豪州はここに入れてくれというのが本来の考えのはずで、日本からTPPに飛び乗る必要はない。むしろ米国は日本がTPPに乗ってきたことに当惑しているのではないか。なぜ!? と。事実、日本の参加に強い要望はなかったと聞いています。その意味でも政治家も産業界も正確に理解していないのではないかと思います。

 

◆米国の戦略を見抜いているか?


 加藤 私にも全農時代に肥料事業で米国に駐在した経験があります。そのときに感じたのは、米国人は個人としてはフレンドリーで機知に富みユーモアもあって楽しいけれども、こと利益や権利に関わる問題になると頑として譲らない、これは大変だなということです。野球の米国一を決める大会をワールドシリーズというぐらいですから(笑)。
加藤一郎・JA全農前専務理事 榊原 私は90年代の初めに日米保険交渉を2年ほどやったんです。その経験からも米国は交渉の際、必ず業界が後ろについて業界の利益をしっかり突きつけてくるといえます。米国は自国の産業、業界のために交渉すると割り切っているから非常に厳しい交渉になる。 とくに「制度の米国化」を主張してきます。ただし、これを米国は米国化だとは思っていない。グローバリーゼーションだというわけです。だから日本独自の制度が攻撃の対象になる。
 たとえば、米国では医療は基本的に自由診療ですから、混合診療の自由化は間違いなく主張してくるでしょうし、公共事業は昔から日米間の懸案事項となっています。日本では地方の建設会社を優遇する制度がありますから、これは不公平だ、米国の建設会社も入れろ、と言ってくるでしょう。
 このように日本はいろいろな分野でそれなりの理由があって独自の制度を築いてきたわけですが、TPP交渉ではこの改正を要求してくるのですから、あまりこっちから飛び乗るような話ではないわけです。
 ところが米国は日本のメディアを味方にするという戦略を必ずとってくる。だから日米交渉でいちばんつらいのは後ろから弾が飛んでくること、マスコミの論調で日本国内が米国的になってしまうことなんです。
 今回も産業界は本当に分かって賛成しているのか非常に疑問ですが、貿易の自由化に反対するのか、と言われてしまい、それにはなかなか反対できないという雰囲気がつくられてしまう。
 しかし、繰り返しますがテーマは自由化ではない。関税ゼロといいますが、平均的な関税率は日米ともに非常に低い。もちろん農産物などの例外はありますが、平均的には非常に低くそれをゼロにすることはほとんど意味がない。にもかかわらず、自由化か、保護かというレトリックにする。しかし本質は、制度の米国化、ということです。

 

◆文明を守るためにも農業が大切


 加藤 一方でTPP議論に関連して、産業界の人たちは農業もこれを機に構造改革をしなければならないと主張します。しかし、米国も豪州も農業の構造改革を必要としなかった国ですね。ヨーロッパから新大陸に移って、ここまでは自分の農地だ、と囲い込んだわけですから。しかし、アジアでは人が営々と暮らすなかで農業を続け、そのなかでどう農業の構造改革をするのか、非常に苦しんでいるわけです。最初から数千haの農地で農業をやってきた人たちから構造改革を言われたくないという思いも出てきます。
 榊原 日本、東南アジア、そしてインドの南あたりまでの地域は稲作漁労文明です。米を作って魚を食べて、という食生活が基本にある。
 一方、米国や欧州、豪州は畑作牧畜文明です。小麦を作って肉を食べる。明らかに文明のかたちが違うわけで、われわれ独自の文明を守るということは非常に大事です。欧州の多くの国は森を伐採して畑か牧草地にした。しかし、日本は豊かな森、そして田んぼを維持し森と水の国になりました。この日本の伝統的な環境を守るという意味でもやはり日本の農業は大事です。
 もうひとつ、これからは明らかに食料不足になりますから農業は成長産業です。というより食料不足時代を考えれば農業こそ成長産業にしていかなければいけないということなんです。
 加藤 ところが成長産業というと産業界からは、サクランボも桃も世界に冠たる品質で国際競争力はある、なぜそれをもっと輸出しないのかと主張します。しかし、米と、サクランボや桃といった嗜好品的な農産物は違いますし、やはり1俵3000円、4000円で米が輸入されたら作る人はいなくなる。米をやめて野菜や果物をつくれば、それはそれですぐに過剰になってしまうでしょう。
 日本の米も世界に誇れる品質だというけれども、私が駐在していた1980年代後半でさえカリフォルニアの国宝ローズと国産米の区別はつきませんでしたよ。
 榊原 私も米国に住んでいるときおいしいと思いました。つまり、米国や豪州が本気になって日本的な米をつくろうと思えばできるわけです。それを関税を下げて輸出されたらひとたまりもない。日本の米文化を破壊することになってしまうということです。

 

◆地方を大事にする国家戦略を


 加藤 ただ米国にしても農業を大切にする国にはそれなりのポリシーがあると思います。たとえばリーマンショック後に米国の倒産法11章が話題になりましたが、実はこの法律の12章は農業の倒産について定めています。倒産すると債権者は当然、農業機械を差し押さえ売り払ってしまおうとするわけですが、そうなれば食料生産の継続ができなくなるからと、農業機械を整理の対象にしてはならないと規定している。農業という国の基幹産業について他産業と同じ倒産法でいいのか、というのが米国にはあります。日本は大規模化が必要だといいながら農業経営の再生に向けたさまざまな優遇制度が規定されている法制度がありません。
 フランスの農地政策も日本の農業基本法と同じ時期にできたものですが、たとえば農業委員会のような機関が農地の先買い権を持っていて、農地を意欲ある農家に引き継いでいくという政策で農業を育てていった。フランスは栄光の30年と言われますが日本は自給率がどんどん下がった30年でした。国家として農業をどうするかという信念がこの国に本当にあるのかという思いです。
 榊原 フランスは地方が豊かですよね。その地方は基本的に農業で成り立っている。しかもそれぞれの地域に食文化が根付いていて、その地域で穫れたもので食事を作ってくれるおいしいレストランがある。農業と食が一体化して極めてレベルの高い食文化を維持しています。地方を国策として大事にしており、これは非常重要なことだと思います。
 加藤 震災からの復興問題で漁業権を株式会社にもという動きがありますが、この問題に関心を持ったドイツの友人から、そもそも日本に漁業権という考え方を教えた国はどこか知っているか、と問われました。
 実は明治政府が欧州を視察した際、ドイツのライン川には漁業権がありそれを日本に持ち込んだという。有限な水産資源を漁民が代々引き継いでいけるようにと漁協をつくり漁業権を与えた……。ドイツの友人はこういう話をし、漁業権を株式会社にも認めることでいいのか、効率性より、地方の住民の暮らしと持続性を重視すべきだと言われました。
 経済の観点だけでなく、日本の地方文化、食文化、まさに稲作漁労文明のなかでTPP問題を考えることが大事だと思います。

 

◆TPPはもう結構


 加藤 最後に協同組合、JAグループに対する期待があればぜひお聞かせください。
 榊原 日本が持っている伝統的な文化を大事することはとても重要なことだということです。その胆にあるのが稲作漁労文明。それを守るだけではなく、むしろ外に発信していくべきじゃないか。
 というのも日本人は世界でいちばん健康なんです。平均寿命がいちばん長い。それから肥満度をみると、先進国のなかでいちばん太っていない。日本の肥満人口は全人口の3%。米国は全人口の31%で日本の10倍です。これはおそらく食べ物の違いなんです。
【特別対談】TPPの本質は「制度の米国化」 日本は稲作漁労文明を守るべき 最近強調しているのは、21世紀のキーワードは「環境」「安全」「健康」の3つだということです。この3つとも日本は世界のトップランナーです。21世紀の成熟国家として世界に誇れるべきものを持っているわけですね。
 ここをきちんと認識すべきであって、もうアメリカナイゼーションはいい、TPPは結構だ、と言わなければなりません。
 加藤 ありがとうございました。

対談を終えて

 昨年は東日本大震災にみまわれ、その復旧・復興対策をどうすべきかという大きな国難に直面しているさなか、突然、TPP交渉という国の姿の根幹に触れる問題が提起された。山田前農水大臣から、「榊原氏はTPPに慎重派なのか、賛成派なのか、立ち位置を、確かめてくれ」との依頼があった。氏は「これは農業問題だけにとどまらぬ問題である」と明確に断言され、ホッとしたことが今でも思い出される。氏はその後、各方面で、この問題を取り上げて本質にせまる論点を提起されてきた。
 かって我が国はバブル崩壊からの過程で高度成長からの制度や価値観の変更を迫られた。今年は、氏が主張する二十一世紀の成熟国家日本として、日本のあるべき姿を見据えながら「環境」「安全」「健康」をキーワードとした制度設計、価値観の変更に向き合う年となる。
(全農前代表理事専務、ジュリス・キャタリスト代表取締役 加藤一郎)

(2012.01.11)