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第57回JA全国女性大会 創立60周年記念特集
現地ルポ
JA埼玉県女性協

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【現地ルポ・JA埼玉県女性協】 運動の積み重ねがあるからこそ支援の輪が広がっていく

・何百人でも受け入れられる、という安心感
・県内全JA女性部が一致団結「避難所応援隊」を結成
・避難者から元気をもらえる
・栄養が偏りやすい避難所生活 健康を気遣ったメニューづくり
・自立への道筋をつくるための支援活動

 東日本大震災発生から早くも1年が経とうとしている。福島第一原発事故により故郷を追われ、避難生活を強いられている福島県民は、いまだに生活再建の道筋すら見えていない人がほとんどだ。町全体が避難区域に指定された双葉町は、役所の機能と町民が埼玉県加須市に避難する異常事態となった。避難先となった旧騎西高校には、今でも500人以上が暮らしている(平成24年1月12日現在)。JAグループさいたまは、県下JA女性部員を中心にさいたまコープと連携し、避難生活を送る人々に少しでも温かいものを食べて元気になってもらおうと、第一週を除く毎週木曜日の炊き出しボランティアを今も欠かさず続けている。その活動を取材した。

◆何百人でも受け入れられる、という安心感

 「避難者を乗せたバスが今、福島を出てこっちに向かっているそうです。女性部でも受け入れの支援をお願いできませんか」。
青木敏子さん(JA埼玉県女性協会長、JAいるま野女性協会長) 震災から約1週間後の3月17日、青木敏子さん(JA埼玉県女性協会長、JAいるま野女性協会長)の元に、JAいるま野からかかって来た電話はあまりにも唐突だった。いったい、何台のバスが、何人の避難者が、いつ来るのか、まったくわからない。何より、避難者が埼玉に来ることすら知らされていなかったところに、突然の要請。しかも、バスはすでに出発し、埼玉へ向かっているという。時間はほとんどない。
 「JAグループさいたまとしては、全国でもいち早く被災地に支援物資や食料を送っていた。個人的にも、そして女性部としても、何か活動ができないか、何か役に立ちたい、と思っていた」(青木さん)ところに受け入れの要請。どうしていいかわからなかったが、とにかく何かしたいとの思いから「やります!」と即答し、女性部員に声をかけていった。
 青木さん自身も驚いたのは、女性部のチームワークだった。
避難しているJAふたば女性部とJA埼玉女性協とで、福島の伝統料理を作る(2011.6.9旧騎西高校にて) 彼岸前という忙しい時期で、しかもガソリン不足によってどこのガソリンスタンドにも行列ができていたにもかかわらず、女性部員らは自宅の車を女性部の活動用に待機させた。。さらには避難者用の食事や弁当を用意し、即座に1週間分のメニューとレシピも作成。受け入れ先となった入間市の農林総合研究センター茶業研究所に畳を持ち込み敷き詰めるといった作業にも、JA職員もともに取り掛かった。
 結局、避難者がやって来たのは翌日。多くはさいたま市のさいたまスーパーアリーナ(アリーナ)へ向かったり、他の市区町村へ分散したため、JAいるま野管内へやって来た避難者は数えるほどだったが、精一杯の対応ができた。
 「結果的には数人だったけど、例え何十人、何百人来てたとしても平気だったのではないかと思う。そういう安心感や信頼感を与えてくれるのが協同組合の力なんだと感動した。女性部員だけでなく、JA役職員も含めて、みんなの気持ちが一つになった」と当時の熱い気持ちを思い出して語った。

(写真)
上:青木敏子さん(JA埼玉県女性協会長、JAいるま野女性協会長)
下:避難しているJAふたば女性部とJA埼玉女性協とで、福島の伝統料理を作る(2011.6.9旧騎西高校にて)


◆県内全JA女性部が一致団結「避難所応援隊」を結成


浅漬けを配膳するJA女性部員とさいたまコープ組合員 アリーナへの避難者約2000人のうち1200人ほどの双葉町民は3月31日に旧騎西高校へ移った。
 そこでアリーナでの活動を引き継ぐ形でさいたまコープが毎週木曜日、避難所となった旧騎西高校で生活する全員分の夕食の味噌汁と惣菜を作る炊き出しを始めた。JAグループさいたまとしても、県内全てのJA女性部とJA職員による「JAグループさいたま避難所応援隊」を結成し、5月19日からその活動に加わった。毎回3JAの女性部員やJA職員(今では2JA)が参加している。
 当初は6月末まで2カ月だけの予定だったが、延長に延長を重ねて早10カ月。「応援隊」の解散時期はいまだ未定だ。JAからの参加者は12月末までで延べ282人を数え、計25日間で1万3600食を超える味噌汁や浅漬けを作った。

(写真)
浅漬けを配膳するJA女性部員とさいたまコープ組合員


◆避難者から元気をもらえる

 震災直後は、多くの企業や団体が炊き出し隊を結成していたが、長期に渡って継続的に活動を続けているのは稀だろう。
 秩父や飯能など遠方から来る女性部員もいるが、帰る時には一様に「また来させて頂きます」とお礼を言う。自分たちが心をこめて作ったものを美味しそうに、喜んで食べてもらっている姿を見てやりがいを感じる一方、足も延ばせない、プライバシーも確保されない窮屈な避難所でも明るく、元気に、努めている双葉町の人々とふれあうことで、自分たちも元気をわけてもらえるという女性部員も多い。
 こういった助け合い活動が続けられるのも、これまでの女性部運動の積み重ねがあったからだ。農協祭や食育運動、サークル活動などの経験から、何も言わなくても装備をそろえ、役割分担も自然に決まる。何より、手際の良さは他には負けない。
 また、さいたまコープとは何年も前から地道な交流活動をしており、それゆえ連携もスムーズだった。


◆栄養が偏りやすい避難所生活 健康を気遣ったメニューづくり

 さいたまコープとJAグループの応援隊の炊き出しは、旧騎西高校で避難生活をしている人たちに温かいものを食べさせてあげたいという思いから始まったが、今では彼らの健康管理にも一役買っている。
 避難者の食事は基本的に3食とも仕出しのお弁当だ。また、旧騎西高校が避難所になった当初は地元のボランティアだけでなく、外食チェーン店なども数多く炊き出しに訪れた。
 栄養の偏った弁当食によって避難者の健康被害が懸念される中、善意ではあるものの、カロリーの高い炊き出しなどが続いたため、避難所では夏頃から高血圧や糖尿病などの患者が増えてしまったのだ。中には症状が重くなり、今でも避難所で厳しい食事制限を課せられている人もいる。
 こういった状況を受けて、避難所側では夏以降、炊き出しの支援を次第に断るようになった。しかし唯一、コープとJAだけが炊き出しを継続しているのは、彼らが医療生協などとも連携して避難者の健康を第一に考えたメニューを提案してきたからだ。このような細かい心遣いによって、コープとJAの支援活動は避難者との信頼関係を構築してきた。単に「おいしいもの」を届けるだけでなく、健康状態のケアにも気を配りながら、避難者を応援している。


◆自立への道筋をつくるための支援活動

 アリーナからずっと支援活動に携わっているさいたまコープの村田敦志さんは、「最終的にはみなさんが自立して、一日でも早く、この避難所から脱出してもらいたい」との願いがある。
 当初1200人が入った旧騎西高校だが、福島の仮設住宅や斡旋住宅に移住したり、行政の支援も受けて働き口や住居を見つけるなどして、10カ月の間に約700人が避難所を出て行った。
 今、避難所に残っているのは高齢者や障害者、重い病気を持っている人、またはそういった家族を抱えている人たちが多く、直ちに避難所生活を終えるのは容易ではない。しかし、避難所を出るのが困難であれば、せめて避難所内の生活だけでもボランティアに頼らず自分たちの力でやってほしい、というのが切実な願いだ。
 10カ月もの間炊き出しを続けているのは、避難所内で自炊し、自分ら配膳するという生活パターンの道筋を示すためでもある。
 その思いは少しずつ実を結び始め、当初はボランティアに任せきりだった双葉町の人たちも、最近は自主的に仲間に入り配膳などを手伝う人が増えてきた。
 避難所で1人暮らしをしている南場陽子(75)さんは炊き出しも含めて、毎日さまざまな活動に参加している。「双葉にいた時からボランティアとかやってたから、体を動かさないと気持ち悪いのよ」との照れ笑いの一方、「寂しい、故郷に帰りたい、と言ってうつむいていても仕方がない。一生懸命支援してくれる人たちがいるから、その思いに応えなくちゃ」と、力強く語った。
 同じく活動に参加する双葉町の女性は、「当番制だと義務というか、やらされている感が強くなるし、うつになったり、落ち込んだりしている人を無理に引っ張り出せない。だから、自主的にできる人だけでもやろう、と手伝い始めた」と話した。
 この日で応援隊への参加が5回目だというJA越谷市の女性部員は、「感謝されるのは嬉しいし、活動するのも楽しい。だけど、最終的には私たちが要らなくなる日が早く来てほしい」と願っていた。

JAいるま野女性協のタオル一本運動。毎年使っていないタオルを7000本ほど集めて福祉団体などに提供しているが、今年はその中から1200本を旧騎西高校の避難所へ寄贈した。

(写真)
JAいるま野女性協のタオル一本運動。毎年使っていないタオルを7000本ほど集めて福祉団体などに提供しているが、今年はその中から1200本を旧騎西高校の避難所へ寄贈した。


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女性部の活動で勇気をもらった

石田惠美
JAふたば女性部双葉支部

石田惠美さん 今は福島県いわき市に移り住んでいる石田さん。震災直後は埼玉県行田市に避難しており、昨年6月には旧騎西高校に避難していたJAふたばの女性部員らとともに「避難所応援隊」に参加し郷土料理を作った。
 応援隊への参加を、「まだ生活が落ち着かず漠然と毎日を過ごしていたが、埼玉のJA女性部の活動を見て『そうだ、私たちもこういうことをやっていたじゃないか』と思い出し、勇気とやる気をもらった」と振り返る。
 今後の活動については、「避難所で暮らす人たちも、それぞれ自立しようと動き始めたと聞いている。本来なら組織をあげて活動したいが、まだまだ生活は落ち着かない。今後も県内外で復興イベントなどが予定されているので、少しずつでも集まるよう呼び掛けていきたい」と抱負を語った。

 

(2012.02.02)