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コラム:正義派の農政論

【森島 賢】

2013.10.07 
「高米価」の要求は農業者のエゴではない一覧へ

 先日この欄に掲載した「TPPで1俵2200円の米がやってくる」の記事が、ネットの上で多くの反響をよんでいる。それらの反響について、発言したいことが、いくつかある。
 反響のなかには、農業者が高い米価を要求するのはエゴだ、という論評がある。今回は、この点について筆者の考えを述べたい。
 米価は決して高くないし、引き下げに反対するのは、農業者のエゴではない。

 米価は高くない。
 百歩譲って、かりに高いとしても、それを要求するのは、農業者のエゴではない。全国民のために、生命の糧である食糧を安定して供給するためである。それは、農業者の社会的使命である。農業者はこの使命感に燃えて、米価の引き下げを阻止しようとしている。
 もしも、米価を引き下げれば収入が減り、生活ができなくなって、誰もこの使命がはたせなくなる。だから「高い」といわれる米価を要求しているのだ。
 また、百歩譲って、かりにエゴだとしても、経済的弱者である農業者が、自分の経済的利益を追求することを、同じ経済的弱者である大多数の国民は、非難がましくエゴとはいわない。むしろ支持する。
 農業者が、労働者や中小企業者の、自分の利益追求を非難したことは、かつて1度もない。同じ経済的弱者どうしだからである。

 さて、米価が高いという説は、国際米価と比べて高い、というだけである。
 米のように国内価格が国際価格より高いものは、いくつもある。そのかわり、安いものも、いくつもある。各国は、国境を境にして、それぞれの歴史的条件のもとで、それぞれの価格体系を作っている。
 国境をなくして、地球を1つの価格体系にするという幻想、つまり、自由貿易は、資本の本来の要求である。資本にとって国境は邪魔ものでしかない。
 だが、アメリカでさえ、政治はこの資本の要求を退けている。国民が支持しないからである。たとえば、牛肉の輸入自由化を拒否しつづけている。アメリカでさえ、資本の力はこの程度だ、ともいえる。国民の力のほうが強い。
 このように、各国は価格体系を、国益にしたがって維持し、あるいは、貿易によって部分的に変えている。
 米価が国際的に高い、だから下げよ、と言いつのる説は、資本の論理に追従する説である。TPPなどを隠れみのにした財界の主張である。国益に従う主張は、TPPなどを利用した国際競争による米価の引き下げに反対する。国内価格と国際価格を比較することには、意味がない。

 米価の引き下げに反対することは、どのような国益になるか。
 それは、主食の国内生産の維持という食糧安全保障であるし、安全性の確保であるし、国土の荒廃の回避である。それに加えて、農村だけでなく、日本社会全体の安定の保持である。
 米価を引き下げれば、これらの国益が損なわれ、回復できなくなる。

 国内でみたとき、米価は決して高くない。パンと比較しよう。
 米の1kgは3560キロカロリーで515円、食パンの1kgは2640キロカロリーで429円である。(資料は本文の下)100キロカロリー当たりにすると、米は14.5円で、食パンは16.3円になる。
 米価はパンの価格と比べて高くはない。むしろ安い。
 だからといって、米のコストは引き下げなくていい、といいたいのではない。国際比較の無意味さをいいたいのである。

 問題は、目先の利益にまどわされて、農業者が「高米価」を要求することをエゴだ、と言いつのって、将来にわたり、国民にとっての国益を損じるのか、ということである。
 資本のこうした反国民的な主張は、断固として拒否しなければならない。
 経済的弱者どうしが、目先の利益に、目がくらんで、いがみあってはならない。それは、醜いことだし資本のたくらみに乗ることになる。
 被支配者を互いにいがみあわせ、「分割して統治せよ」というのは、古今東西の支配者の支配の要諦だという。国民の大多数である経済的弱者は、日本の支配者である財界の、この陰謀に乗ってはならない。
 米価引き下げには断固として反対しよう。

※資料は、文科省「五訂増補日本食品標準成分表」総務省「小売物価統計調査」


(9月30日付 TPPで1俵2200円の米がやってくる

(前回 農協への不当な批判に反論する

(前々回 安い米の輸入は歓迎しない

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