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コラム:正義派の農政論

【森島 賢】

2013.12.02 
新しい米政策が目指す競争力強化は小農切捨て一覧へ

 新しい米政策の目的は、競争力の強化だという。いったい誰と競争し、誰を打ち負かそうとしているのか。
 TPPで妥協して、米の関税を下げ、いよいよ輸入米と競争しよう、というのだろう。そうは言っていないが、それが本音だろう。だが、米価をある程度下げたところで、とても競争できる状態ではない。
 この点は、この欄でたびたび述べたので、ここでは、そのために何をするか、という点に焦点をあてよう。
 初めに言っておこう。競争して相手を打ち負かす、という思想は、協同組合の「万人は一人のために」という思想と相容れない。協同組合の思想は、たがいに切磋琢磨して、すべての人と共に生きていこう、というものである。一人でも取り残されてはいけない。
 ここでは、競争力強化のため、という口実で、何をもくろんでいるか、を問題にしよう。

 競争力強化のために、大規模化するのだ、という。
 ここには、大規模経営には競争力がない、小規模経営のほうに競争力がある、という認識がある。この認識は正しい。
 だから、市場競争に任せていたのでは、大規模化が進まない。それゆえ、政治が市場に介入して、大規模化を政治的に進めるために、政策として取り上げよう、というのである。ここに問題がある。

 小規模経営と大規模経営の競争力を比較しよう。下の表である。

小規模経営と大規模経営の米の経営費と生産費 この表から分かるように、生産費は大規模経営のほうが小規模経営よりも少ない。だからといって、大規模経営のほうが市場競争力がある、とはいえない。この点を誤る論者は少なくない。
 もしも、大規模経営のほうに市場競争力があるなら、市場で放置しておけば、しぜんに大規模化される。政治が介入しなくてよい。だが、そうはならない。
 では、大規模経営のほうが生産費が少ないのに、なぜ市場競争力がないのか。

 農産物のばあい、生産費で市場競争力が決まるわけではない。市場価格が下がったときに、どれだけ耐えられるか、どれだけ生産を続けられるか、で市場競争力が決まる。
 生産費は机上の計算したものに過ぎない。実際に支出した金額ではない。経営内で自給したものは、あたかも支出したかのように擬制して計算したものである。家族労働費と自己資本利子と自作地地代がそれである。実際に支出した金額は、それらを生産費から差し引いた経営費である。

 大規模経営のばあい、他に収入がないので、自給した家族労働費が実現されなくては生活できないし、自己資本利子や自作地地代も実現されなければならない。それゆえ、生産費が償われなければ生産を続けられない。
 しかし、小規模経営のばあいは、他に収入があるので、家族労働費などが正当に評価され、実現しなくても生産を続けられる。経営費が償われれば、生産を続ける。正当に評価されないことは、社会的正義に反するが、しかし、実際にはそうなっている。
 つまり、比較すべきは、大規模経営の生産費と小規模経営の経営費なのである。

 実際はどうか。
 前の表で示したように、小規模経営の経営費は10229円で、大規模経営の生産費の11848円よりも少ない。つまり小規模経営のほうが市場競争力が強いのである。
 だから、政府は市場原理に反して大規模化を計ろうとしている。

 そのための方法は何か。政府は、市場に任せておけないので、大規模化のために小規模農家の切捨てようとしている。
 それは、市場原理に反しているだけではない。兼業者と高齢者の切捨てである。
 兼業者が余暇を利用して、農業に励むことは悪いことか。労働力の有効な利用として、社会的に高く評価されるべきではないか。
 高齢者が体力にあわせて、農業を続けることは非難すべきことか。これも高く評価されるべきだろう。
 大規模化という兼業者と高齢者の切捨て政策は、この点で反省すべきことである。
 そうではなくて、小規模経営と大規模経営とが互いに切磋琢磨し、旨くて安い食糧を供給することこそが、目指すべき道である。


(前回 新しい米政策は米価下落と窮迫販売を招く

(前々回 減反交付金は半減の7500円―そして0円へ

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