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コラム:正義派の農政論

【森島 賢】

2014.02.03 
新農政は政府の責任放棄一覧へ

 新しい農政で、政府は主食の米の減反をやめて、食糧の安定供給の責任を放棄しようとしている。
 農水省資料(本文下参照)をみると、「意欲ある農業者が、自らの経営判断で作物を選択する状況を実現する」ことで、「行政による生産数量目標の配分に頼らずとも、需要に応じた主食用米生産が行われるよう」にするのだという。
 個々の農業者の自由な経営判断で、主食米を生産しても、それを全国集計した生産量は、需要に応じた生産になる、という。つまり、供給不足もなく、過剰供給もない安定供給ができる、という超楽観的な政策である。政治は、そのことに関与しないでいいという。そんなことは、万能の神さましかできない。
 これは、超楽観的というよりも、神だのみを装った責任逃れである。

 いままでは、政治が主食米の生産目標を決め、その達成に協力した農業者に対して生産費を補償する、という手厚い政策のもとで、需要に応じた安定供給をしてきた。
 農業者は、この政策に協力すれば、生産費が補償されるので、安心して生産に励むことができた。
 それを4年後からやめる、というのである。

 4年後からは、政府は主食の米の安定供給についての責任を捨て、個々の農業者の自由な経営判断に任せるという。
 一部の市場原理主義者の口車に乗って、自由はいいことだ、と言いたいのだろうが、その結果、主食の供給が不安定になる。それは、農業者だけでなく、大多数の国民は望んでいない。

 4年後からどうなるか。
 個々の農業者がどれほどの米を作るか、は自らの経営判断に任せる、というのだが、個々の農業者の経営判断にとって、重要なことは、安定供給に貢献できるかどうかではない。そんなことは個々の農業者には分からない。最も重要なことは、米を作ることで、どれほどの収入が得られるか、である。
 昨年までは、安定供給のために、政府が策定した生産目標に協力すれば、生産費が補償されるから、どれほど作り、どれほどの収入になるかは、作る前から分かっていた。こうして、個々の農業者は安定供給に貢献してきた。

 4年後からは、米からの収入は、政府から補償金がなくなるから、米の販売代金だけになる。
 米の販売代金は、どうなるか。販売代金は販売量と米価を掛け算したものである。
 このうち、販売量は増やすだろう。生産費の補償がなくなるので、農業者は収入を維持しようとするからである。全国の農業者が勝手に増やすのだが、全国集計した量で、どれほど増えるかは分からない。
 販売量が増えるから、米価は下がるだろう。だが、どれほど下がるかは分からない。
 販売量も米価も分からない。まっ暗闇のなかで米を作ることになる。
 だが、掛け算した販売代金は、確実に減るだろう。それが農業に特有な「豊作貧乏」という経験法則である。豊作で販売量が増えれば、その割合以上に米価が下がるのである。だから、2つを掛け算した販売代金は減る。これが豊作貧乏である。
 主食の米を、こうした状況に陥れることになれば、わが国の食糧安保は危機に瀕する。新農政は、それを避けるために、今後4年の間に根本的な修正を加えねばならない。

 最後に2つ言っておこう。
 冒頭に引用したように、この行政文書は農業者を、意欲ある農業者と意欲のない農業者とに分けているようだ。
 これでは、農業者が主権者で、行政は公僕の集団であることを忘れて、公僕が主権者の農業者を見下げることになる。
 こうした態度は、農業者の心の深部に不快な滓のように滞る。意欲のない農業者が、どこにいるというのか。意欲を奪ったのは誰か。このような行政を手先きにして、悪者に仕立て上げた政治家である。
 もう1つは、いままで農業者が行政に頼っていた、とする前時代的考えが透けてみえることである。
 だが、そうではない。公僕である行政が、主権者である農業者に奉仕していたのである。
 言葉じりを捉えているのではない。こうした考えでは、新農政の主要な柱に据える、官主導の「農地中間管理機構」は機能しないだろう。
 これらを見逃す政治家もまた、やがて官僚から見下されるだろう。われわれが選んだ、われわれの政治家たちの奮起を期待したい。


農水省資料「新たな農業・農村政策が始まります!!」は コチラから


(前回 安倍首相が減反廃止の無責任演説

(前々回 米価下落の対策を急げ

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