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コラム:小説 決断の時―歴史に学ぶ―

【童門冬二(歴史作家)】

2017.09.17 
実績をすべて捨てて再起 二宮 金次郎一覧へ

 国連は毎年あるテーマを設定して、世界中で関心を持ち改めて考える契機をつくる。数年前に「国際協同組合年」というのがあった。協同組合の意義をもう一度考えて、その振興を図ろうという試みだ。日本ではたまたま東日本大震災が起こったので、政府もマスコミもこの「協同組合年」を積極的に活用できなかった。

◆名君に見込まれる

 日本では、イギリスやドイツでの「世界初めての協同組合」の存在を知りつつも、
「大原幽学の先祖株組合や二宮金次郎の五常講の方が歴史的に早い」と論議された。二宮金次郎の五常講は、後の信用金庫の基になり、またJA共済の源流だと言っていい。つまり、
「道徳と金融の融合」を図ったところに世界に無い特色がある。渋沢栄一が日本で最初の銀行をつくった時に、「論語とソロバンの一致」を行員に求めたが、金次郎の五常講も趣旨は全く同じだ。
 金次郎は小田原近くの栢山(かやま)村に生まれたが、大洪水に遭って家・財産・土地の一切を失った。しかし金次郎はそれに負けることなく、家を再興し藩主の大久保忠真から表彰された。忠真は名君で老中(総理大臣)を務めていた。しかし藩としては常に財政難に悩まされ、その再建に苦労していた。金次郎の存在を知った忠真は、
「小田原藩の財政再建を彼に託したい」と考え脇にその考えを示したが、武士たちに反対された。
「農民に財政再建を頼むのは大久保家の恥です」ということだ。そこで忠真は、
「それでは、実験的に分家の財政を再建してもらおう」と考え、金次郎に下野国(栃木県)桜町を領地とする分家の赤字解消を命じた。
 この時金次郎はそれまで蓄えた一切の財産と、さらに土地も家も売り払って非常な決意をして桜町に赴いた。が、桜町の農民たちは堕落し、土地は荒れ果てていた。悪いことに、小田原藩から派遣された役人が、この堕落に輪をかけて、酒と博打を自ら率先して行うので、村役人の中でもこれに従う者が沢山いた。土を耕すよりも酒と博打で暮らす方がはるかに楽だったからである。金次郎はこの状況を見て、
(土地の再興よりも、むしろ農民の心の再興の方が先だ)
 と思った。改革には三つの壁がある。モノの壁・しくみの壁・心の壁だ。三つの中でも特に心の壁の破壊が一番難しい。心の壁の破壊とは、とりもなおさず"意識改革"のことである。金次郎は、
(心の壁が壊せれば、あとの二つの壁を壊すのはたやすい)と考えた。だから彼の改革作業の進行は、
「心の壁を壊しながら、同時に他の二つの壁を壊して行く」という手法だった。しかしこれがなかなか上手くいかない。金次郎はいろいろな手を考える。たとえば、
「善行者の表彰」だ。これは彼自身が藩主の大久保忠真から、「親孝行と家の再興に特段の努力をした」、ということで表彰されて嬉しかったので、これをそのまま桜町でも実行しようと考えたのである。親孝行・兄弟愛・主人によく仕える者などを選んでは、褒美として農業に必要な馬とか肥料とか種籾とか農工具などを与えた。貰った農民は喜んだが、怠け者の農民は羨み逆に金次郎を憎んだ。
「一部のおべっか使いの農民ばかり可愛がっている」という僻みだ。金次郎は、そんなことは無いと言って否定し、
「今怠けている者も、心を入れ替えてよいことをすれば褒美をやる」と告げるが、なかなか信用しない。小田原から来ている派遣役人も、金次郎の改革が成果をあげては困るので、陰でしきりに悪口を言う。特に、
「農民のくせに、たとえ分家といえども大名家の財政を再建しようとするなどは生意気だ」と悪しざまに罵る。意外とこういう発言は、怠け者には効果をあげる。村の中は、金次郎の言うことに従い、せっせと復興に励む者と、依然として酒と博打に身を持ち崩す者とに分かれた。
 そして、怠け者の行動の方が意外と影響力を持ち、特に若い者はそっちに傾いた。金次郎に共鳴し、その改革を補助する村長もしまいには匙を投げた。
「二宮先生、せっかくのご努力ですがこの村は駄目です。再興は無理です」と泣き言をいった。

◆おまえの敵はおまえだ

実績をすべて捨てて再起 二宮 金次郎金次郎は考えた。そして、
(この状況を一変させるのには、思い切った手を打たなければだめだ)と考えた。結果、「私が身を退こう」と決断した。つまりはっきり言えば、
「改革現場からの逃亡」である。逃亡先を金次郎は成田の不動尊を選んだ。ある夜、村の長だけにこのことを告げて桜町から抜け出た。そして成田の不動尊に行った。住職に話すと一堂を与えられた。堂の中には不動明王の画像が貼ってあった。金次郎は二十一日間、この不動明王と向き合って暮らした。不動明王は体から炎を吹き立てている。住職は、
「これは、お動様が世の中に対する怒りを示すものです。そしてその怒りによって世の中の悪を正し、きれいな社会にしようと明王は努力されているのです」と説明した。この説明は金次郎を奮い立たせた。金次郎が成田へ来た動機の中には、
「わしがいなければ、村人はさぞかし困るだろう」
 という気持ちがなかったとは言えない。御堂にこもった金次郎はやがて、
「この考え方はわしの驕りだ。わしは増長している」と反省した。不動明王の怒りは"公"のものだ。しかし金次郎の怒りは"私"的なものだ。大きな差がある。
「わしは不動明王にとても及ばない。心を改めて学ぼう」
 と心を改めた。そして、原点に戻って今までやって来た自分の実績を全て忘れ去ることにした。あれもやったこれもやった、ああも言ったこうも言った、しかし村人は言うことを聞かず協力しないというような考え方をしていたのでは、この改革は成功しないと反省したからである。その意味では金次郎は、
「自分がいなければ困るだろう」
 と考えること自体が、改革の大きな阻害要因になっていると思った。
「わしの敵はわし自身だ」
 金次郎はそう感じた。そしてそう考えると気が楽になった。今までの実績にこだわり、それを楯にして村人たちを責めるようなことをしていたのでは、限りがない。自分がやったことをすべて忘れ、ゼロ状態に置いて再び出発することが大事だと悟った。そういう金次郎を不動明王は、怒りの眼の底に慈愛の色を湛えて見続けてくれた。金次郎は不動明王に感謝した。
 そういう金次郎の心が伝わったのだろうか、二十一日のお籠りが済んだ翌日には、村の長をはじめとして桜町から数十人の農民たちが迎えに来た。そして、
「二宮先生、もう一度改革の指導をしてください。われわれを見捨てないでください」と頼んだ。金次郎は喜んでその要望に応じた。かれ自身も、
「わしは昨日までのわしではない。新しく生まれ変わった二宮金次郎だ」という新しい気持ちを生んでいた。金次郎が帰村後の復興作業は面白いように捗りはじめた。

(挿絵)大和坂 和可

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