コラム 詳細

コラム:グローバルとローカル:世界は今

【三石誠司 宮城大学教授】

2017.12.29 
(063)大いなる反省:何が食べられる野草か一覧へ

 今年最後のコラムにあたり、少し情緒的な文章を記す。筆者は前職のJA全農に21年11か月、その後、宮城大学に移り11年9か月、合計で33年8か月の社会人生活を過ごしてきた。前半3分の2が農業協同組合、後半3分の1が大学教員として食と農に関わる仕事をし、それなりに問題意識を持ち、毎日を過ごしてきたつもりである。気が付けば前職入会時の定年の歳(確か57歳)に到達しただけでなく、現職においても定年退職まで10年を切り、既にカウントダウンが開始されている。
 最近の趣味とも健康維持とも言えるものにオヤジ散歩があり、自然豊かな杜の都の各地を毎日(目標8000歩)ふらふらしているが、歩くたびに回りの景色と足元を見ながら考えることがある。

 身近なところでは大学キャンパスの近くにある太白山である。ここを歩いていても自分には何が食べられる野草で、何が食べられない野草なのかほとんど見分けがつかない。フード・セキュリティを専門分野の1つとして掲げてはいるものの、それはあくまでも国際貿易を中心としたマクロの視点での需給や貿易、流通という点からである。グローバルな状況はわかってもローカルな草木には手も足も出ない。
 唯一の例外がトウモロコシやソルガム(こうりゃん)である。こちらは仕事の性質上、生育のかなり細かい部分まで特徴を理解していると思う。これらを含め自分で植物を育てた経験は、小学生時代に球根のクロッカスとバケツのグラジオラス、あとは朝顔とヘチマ位しかない。米国の中西部の畑には日本のどこの畑よりも数多く入り込んだと思うが、それとてビジネスの視点から生育状態や品質を確認するためである。

  ※  ※  ※

 一方、3年前に88歳で他界した農家出身の父は完璧な実践派であり、東京都下にある猫の額のような小さな庭で、数年前に筆者が数えただけでも19種類の食べられる野菜や野草を自然な形で育てていた。恐らく最盛期にはもっと多かったのではないかと思う。
 初孫(娘)が生まれた記念に杏を植え、次の孫(息子)が生まれた記念に金柑を植えた。杏の木は亡くなる半年ほど前にカミキリムシにやられて切らざるを得なかったが、それまでは見事な実を付けてくれた。手入れが十分に出来ていたなら今でも残っていたと思う。四半世紀の間に幹の太さは私の二の腕位にまで成長していた。金柑は今でも健在だが、実が付いたと思うとどこからか野鳥が来て食べてしまう。今でも毎年、機会を見て剪定の真似事をし、ついでにいくつかは味わっている。
 帰省のたびに出てくる味噌汁や揚げ物は、よくわからない、あるいは名前しか聞いたことがない、正確に言えば野菜なのか草なのか不明な植物が出されることがあるが、その多くは母が庭から直前に摘んできたものである。父の晩年は東京都下でもコメと魚と肉を除けば野菜はほぼ自給自足に近かったような気がする。これはとても真似が出来ない。
 「お前は、トウモロコシやこうりゃんを何百万トンと動かしていたかもしれないが、庭の草木の区別すらつかないだろう。困ったもんだ」と言いタバコを吸っていた姿を今でも覚えている。父が他界した後、これらの多くは枯れ、今ではドクダミやシソ、ほとんど手入れの不要なサボテンなど、ほんの数種類が残るに過ぎない。

  ※  ※  ※

 さて、将来、食料が不足するような状況が来るのか来ないのかは筆者にはわからない。わかるのは、もし不足するような事態に陥ったとき、カップ麺や菓子類、コメやクッキーなどは明確な食料だとわかっても、山や野原、あるいは公園などに生えている野草を見て、食のシステムの一部を教える大学教員である筆者には、食べられるかどうかの区別が全くつかないということだ。人として、生存に必要な食べ物の取得・判別方法を学んでいない。もしかしたら、これは現代の教育の本質的な問題なのかもしれない。
 ちなみに、本来、共有地等を別にすれば、誰の所有地でもない山や野原などは現代日本には存在しないはずであり、山は誰かの所有物、野原も誰かの所有物である以上、そこにある野草を勝手に取ることは窃盗になる。逆もしかりである。公共の施設内に勝手に草木を植えることは、それがよかれと思っての行動でも、実は他人の敷地に手を加えることに等しい点をよく理解しておく必要がある。空き地には空き地としている所有者の理由があるのであり、空いているから自由に使おうという訳にはいかないということだ。
 その一方で、地籍調査を元にした検討によると現代日本には所有者不明土地が推計面積で約410万haも存在するという。これは全耕地面積(444万ha)にほぼ等しい。幸い、相続未登記農地のほぼ全て(94%)は事実上の管理者がいて実際に耕作が行われているというが、限られた国土の中で、この問題は今後の大きな課題となるであろう。かなり雑な類推だが、全耕地面積と同じ規模の所有者不明土地との話を聞くと、大量輸入と大量廃棄と同じようなものに感じると言えば言い過ぎであろうか。
 いずれにせよ、せめて筆者自身としては、歩きながら植物の区別がつく位の知識を身に付けたいと思う。

 

本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

三石誠司・宮城大学教授の【グローバルとローカル:世界は今】

一覧はこちら

このページの先頭へ

このページの先頭へ