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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第9回 機能的だった「もんぺ」2018年6月28日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 「もんぺ」、若い人もご存じなのではないかと思う、それを履いた女性の姿が第二次大戦中・戦後の写真や映画などによく出てくるからだ。私たち数十年前の山形の子どもたちは農家の女性の作業着としてもんぺを見慣れていたのだが、そのもんぺについて70歳近くになってそれも北海道で勉強することになるとは考えもしなかった。

 北海道東北部オホーツク海沿岸のサロマ湖の近くに湧別という町がある。そこに「かみゆうべつチューリップ公園」があり、非常にきれいだというので、当時住んでいた網走から約60㌔、家内の車で(私は運転できない)行ってみた。たしかに見事だった(と言ったら富山出身の学生から富山はもっとすごいと怒られたが)。
 その公園の隣に「ふるさと館」という郷土史料の展示施設があったのでそこにも入ってみた。そのなかにこの地域の開拓や屯田兵の歴史の説明があり、この地域には山形と千葉の人が入植してきたとのことだった。その展示パネルの一つにこんなことが書いてあった。

 山形から入植したご婦人が「もんぺ」をはいて農作業をしていた。それを見た千葉の人たちが何とかっこ悪いことと笑った。ところが翌年にはその千葉のご婦人たちも山形のご婦人に学んで全員もんぺをはくようになった。仕事はしやすいし、開拓原野に大発生する蚊や虫に刺されないし、しかも温かいからである。

 なるほどそれはその通りだろうと納得したのだが、それ以外にももんぺは小用がしやすいこともあったのだと思う。ただしこの小用の話は、この上湧別の近くの紋別生まれの松田藤四郎さん(農業経済学者・当時東京農大の学長をしていた)とその後に話したときに思いついたことである。
 松田さんのご両親は山形の上山出身だということからもんぺの話になった。そして彼は言う、お母さんが立ったままほんのちょっと腰をかがめて、人に見られないように、着物を汚さずに、上手におしっこをしたものだと。私も言う、私の母もそうだった、田畑のど真ん中でもおしっこができた、あれはもんぺのおかげだった、こう言って二人で大笑いした。そうなのである、もんぺは本当に便利なものだった。これも千葉出身の女性がすぐもんぺを採り入れた理由になったのではなかろうか。

 このことでまず感じたのは、北海道に入植した人たちの受容力と先進性である。いいものは偏見を持たずにすぐに取り入れる(そうしなければ厳しい環境のもとで生きていけなかったということもあろうが)。当然のことながらそれは新しいものを先駆けて創り出すことにつながる。

 もう一つ勉強になったのは、その昔もんぺは全国共通の衣服ではなかったということである。
 山形の農家出身の私は小さい頃からもんぺ姿を見ていたし、戦時中には日本中すべての女性がもんぺをはいていたので、昔から全国各地にあったものだと考えていた。ところがもんぺは山形、秋田、新潟の一部の農村地域の衣服でしかなかったこと、東北発の文化であったことをこの湧別で知って驚いた。
 そもそもは最上川や雄物川などの河川に発生するツツガムシが入り込むのを防ぐために足元の方をズボンのようにつぼめたもんぺをはくようになったらしい。使ってみると、他の虫も防ぎ、寒さを防ぐこともでき、着物を着てるのに活動しやすく、しかも比較的簡単に仕立てることができる。こうしたことから女性のふだんの野良着となり、さらには非農家も含むこの地域の女性が何かの折りにはくようになって普通に見られるようになったのだろう。

 このもんぺに戦時下の政府や軍の関係者が目をつけた。当時はまだ着物を着用しているご婦人が多かった。しかしこれでは空襲などに遭ったとき消火活動はもちろん走ることもできない。そこで、和服にも合って活動しやすく、つくるのも容易なもんぺをはくようにと、政府が半ば強制的に勧めたのではなかろうか。それで、もんぺが戦時中全国の女性の制服のようになったのだろう(もちろんこれは私の推測でしかないのだが)。


 それはそれとして、このように農作業のときに着る着物=作業着=野良着は当時の農作業に不可欠のものであり、それぞれの地域の実態に合わせてつくられたきわめて合理的、機能的なものであった。しかしその昔はこの野良着を十分にそろえることがなかなかできなかった。

 

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酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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