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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第12回 「えやす」と礼節2018年7月19日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 かつての農家の生産は、家族総ぐるみの労働によって維持されると同時に、近隣の農家の結い、手伝い、共同作業等によって補完されていた。

 たとえば自分の家の田植えや稲刈り作業が終わると、まだ終わっていない農家に手伝いに行き、適期に終わるように助けてやる。当然それにはお返しがあり、自分が忙しいときに手伝いに来てくれる。これは「結(ゆ)い」と呼ばれた。
 ただし、病人などが出たりして労力が不足した農家に手伝いに行くなどというときは、そうしたお返しはない。いつか自分の家がそうなったときは手伝ってもらえるからお互いっこなのでそれでかまわない。これは「手伝い」と呼ばれた。
 こうした相互扶助の他に、牛を飼育していない農家の畜力耕をやってやるかわりに田植えの手伝いに来てもらうというような異なった作業の交換をする「手間替え」があった。
 地域によりこの呼び方や内容は違っている(たとえば結いを「よい」とか「ゆいっこ」と言ったり、村ぐるみの共同作業への出役も含めて結いと呼んだりするところもある)が、ほとんどどこの地域にも近隣の農家がお互いに手伝いあうという慣習が存在していた。
 当然こうした労働は無償である。一種の労働交換による助け合いだからだ。
 しかし私の生家の地域では必ず昼飯、夕飯をごちそうした。夕食のとき手伝ってくれた人の家に呼びに行くのは私たち子どもの仕事だった。
 「おばんかだっす(今晩は)、ごはんだがら(ご飯だから)きてけらっしゃいど(来てくださいって)」

 しかしそう言われてもすぐには来ない。すぐにごちそうになりにいくと「えやす」(「卑しい人」)と思われるかもしれないからである。遠慮していることを見せるために、物欲しげに見られないようにするために遅れていくのが礼儀=エチケットである。2回ぐらい迎えに行くとようやく家に来る。次の日の仕事もあるから、酒(どぶろく)はコップ2~3杯だけにしてご飯となる。ご飯のお代わりのときには自分からお代わりをくれとは絶対に言わない。「お代わりしてけらっしゃい(ください)」と言われたときに初めて茶わんを差し出す。しかもその茶わんの底には必ずちょっぴりご飯を残しておく。遠慮しているという気持ちがわかるように、がつがつ飢えている、「えやす」だなどと思われないようにだというのだが、もう腹一杯というときには全部きれいに食べる。そうするとお代わりはもう要らないということがわかる。しかし、ごちそうする側は一応お代わりを勧め、される側は「たくさんだっす。ごっつぉうさんでしたっす」と頭を下げ、食事は終わりとなり、お茶が出てくる。これが食事のときのエチケットだった。

 こうした礼儀作法は他にもいろいろあった。そしてそれをまもるようにと私たちは子どもの頃からきつく言われてきた。
 他人に笑われるようなこと、恥ずかしいこと、卑しいことはするな、たとえ欲しくとも他人の前で物欲しそうな顔はするな、他人からものをもらったりするな、もしももらったらきちんとお礼を言え、またそのことを親に必ず報告しろ(後でお礼のあいさつをする必要があるから)、立ったままご飯を食べたりするな、ぺこぺこ頭を下げたりするな、目上の人にはきちんと挨拶しろ等々、繰り返し厳しく言われたものだった。
 人に変に思われないように、人の目を気にするように、そして恥をかかないようにと教育されてきたのである。

 しかし、こうした礼儀や節度も、人間としての誇りも、衣食足りてこそのことだった。礼節をまもりきれない場合も多々あった。

 敗戦直後のお腹を空かした子どもたちがそうだった。私の通っていた小学校の校舎を接収して兵舎としたアメリカ兵が道路にばらまくガムやチョコケートを争って拾って食べ、「ゲブミーチューインガム」と言いながらアメリカ兵の乗るジープの後を追いかけた。乞食のような真似をするな、えやすいごど(卑しいこと)はするなと厳しく言われていた私はそれをうらやましく眺めるしかなかったが、できたら私も食べたかった。
 大人のなかにもその貧しさから「えやす」になってしまう人、卑屈にならざるを得なかった人もいた。

 

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酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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