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JAの活動:農協を創った人たちを訪ねて

【シリーズ・農協を創った人たちを訪ねて】[1]田中秀一氏・JA松本ハイランド元代理事組合長  今も「地域のなかへ」2013年11月12日

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・実践的批判者として
・健全な労組は不可欠
・中核的な女性育てる
・組織活動は仲間作り

 農業協同組合法が公布されて66年。戦後、農村に農協を設立したころ、運動にはどんな思いで参加し、その後の農協づくりを進めたのだろうか。当時を知る人々が少なくなっていく今、「農協を創った人たち」の軌跡を辿ることで、日本農業と地域社会、そして農協運動の未来が見えてくると思い、とある農協人を訪ねた。

シリーズ・農協を創った人たちを訪ねて

心豊かな生活めざす

◆実践的批判者として

田中秀一氏・JA松本ハイランド元代理事組合長 学校を卒業してから家で稲作と養蚕をしながら、戦後はまず青年団活動に熱心に取り組みました。農業振興については農政研究会という組織があってそちらで議論をしており、青年団活動はどちらかといえば演劇や合唱など農村文化活動に力を入れていましたね。
 やはり価値ががらっと変わった戦後復興のなかで、精神的な柱を求めていたのだと思います。そのときに結成した合唱団を平成13年に再発足させたのですが、当時のメンバーがまだ4人、平均年齢82歳で元気に歌っています。
 その後、地元の和田村農協の青年部に入り、振り返ると36歳まで続けることになりました。しかも青年部長のままで農協理事も務めました。
 戦後の農村は自作農中心に転換し、農業に対する取り組みがまったく新しくなったわけで、私にも新しい農業にしていかなければという思いがありました。
 そのなかで青年部は農協の民主化の役割を果たしたと思います。もちろん先覚者はたくさんいたわけですが、やはり変わりきれない面もあった。それを批判するだけでなく、自ら協同活動を組織し青年部の考えを打ち出す。私たちは“実践的批判者”だと位置づけていました。

◆健全な労組は不可欠

 一方で、青年部長のまま理事を務めた後、昭和40年に合併した松本平農協では総務部長兼常務を任されました。課題は労働組合です。そのころはストライキもありました。しかし、労使交渉といっても、労働組合側はまともにものを言わない。それで経営側の対応が不満だとすぐにスト、となる。だから、こんなものは交渉ではない、どんどん意見を言ってもらい近代的な姿にならなければいけないと思いました。
 人事でも、労組組合員は冷遇されるものという風潮がありましたが、私は人をまとめる力があるのは立派だと労組専従者を管理職などに登用した。理事会では反発もありましたが、職員としては労働組合に関わっていようといまいと対等だと主張しました。
 健全な労働組合は農協の顔だと思っていたんです。そのころ農協職員については協同組合運動の聖職者だというような考えもあったのですが、それはおかしい。戦後の農村をどうつくっていくかという共通目標を持った運動者としてどう連帯感を持てるか、それには身分をしっかり確立しなければならないと考えたのです。一方で職員には、個々の実務は企業的な面もあるが、事業全体として運動者としてあたっていかなければならないと強調していました。

◆中核的な女性育てる

若妻大学などの取り組みが中核的な人材を育て、今、JA松本ハイランドでは食農教育などで女性が活躍している(写真は農業協同組合新聞2011年1月25日号より) 戦後の課題の一つの女性参加がありますね。しかし、農協婦人部の事務局は実はずっと購買部に置かれていたんです。昔から“モノ売り婦人部”などと言われていましたが、まさに農協の体制自体がそうなっていたわけです。これでは女性の力を発揮してもらうことなどできないと、事務局を指導課に移しどんどん農協に文句を言ってくださいということも伝えました。
 最初は農協に意見を言うなんてという雰囲気もありましたが、昭和47年に若妻大学や健康を守る会を始めました。これは今でも続いていますが、農協運営に関わる中核的な女性がたくさん育っただけでなく、福祉や環境問題など農協が取り組むべき課題を広く明らかしていった活動だと思います。高齢者福祉活動はまさに農協を支えてくれた人への恩返しだという意識も組合員になかに出てきました。
 一方、役員としては何でも職員任せではいけないと、1年間、ろくにテレビも見ずに宅建取引主任者資格をとろうと猛勉強したこともあります。農業を離れる人が増えるなかで、その人たちの持っている農地をどうするのか、地域の土地問題に農協はどんな考えで取り組むべきかが課題になってきました。しかし、その実務を知らなければ事業提案もできないと考えたからです。
 今では、戦後、桑畑を抜根して開田した水田も区画整理が進みましたが、同時に農業から離れるという人たちのために住宅団地も整備していますが、その際も土地利用計画、農村計画に農協が関わってきました。当時は役員が地域の問題や新しい事業のアイデアを出すという気運はなかったのですが、私は経営者として筋道を示すことが大事だと思ったんです。

(写真)
若妻大学などの取り組みが中核的な人材を育て、今、JA松本ハイランドでは食農教育などで女性が活躍している(写真は農業協同組合新聞2011年1月25日号より)

◆組織活動は仲間作り

 私の父は「手間が肥やし」というほど農業に懸命に取り組んだ人でしたが、それは農業のなかに生活があるという姿でした。
 戦後の私たちはそうではなく「生活のなかに農業がある」ことをめざそうとしてきました。そのために農村文化をきちんとふまえた心豊かな生活を送ろうということでしたが、そのためには文化活動でも福祉活動でも何か目標を打ち立てなければなりません。組織活動はそのための仲間づくりだったと思います。
 これからも農村という地域社会を全体として捉える。そこにはまず人間がいて生活がある。そして農業をやって生きている人がいる。「地域のなかへ」は今でも課題です。

【略歴】
たなか・ひでいち 昭和4年長野県生まれ。JA松本ハイランド元組合長(初代組合長)。現在、松本市和田地区福祉ひろばを支える会会長を務める。

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