JAの活動 シリーズ詳細

シリーズ:農協のかたち

【太田原高昭 / 北海道大学名誉教授】

2014.09.02 
自主改革を成功させよう一覧へ

・改革会議WGの乱暴、稚拙な論
・画期的だった組織・事業改革
・自立した協同組合への体制整備
・改革の歴史に確信を持って
・「世界の農協」相応の論議を

 規制改革会議の乱暴で稚拙な提言を受けて、政府は6月に規制改革実施計画を閣議決定した。この計画を、いま全国の農協が検討している。
 一方、1991年の全国農協大会では、組織・事業改革を決議した。この改革がいま進行中である。
 2つの異質なものが同時進行中だが、自主改革というのだから、政府の計画は大会決議による改革の中で検討すべきものだろう。政府案は徹底的に批判すべきもので、改革がこれにとらわれてはならない。
 大会決議による改革の内容は、バブル破綻後の広域合併による農協経営の自主再建であるが、行政区域を越えた農協・連合会に再編したことによって、行政からの自立の条件ができた。
 歴史的にこの改革をみると、農協発足直後の再建整備、1970年前後の「米麦農協」からの脱皮、に続く第3の大きな改革である。前の2つの改革と同じように成功させねばならない。
 この改革は世界が見守っている。日本の農協は、世界の協同組合人が仰ぎ見る希望の星なのである。

◆改革会議WGの乱暴、稚拙な論

 降ってわいたような政府の農協改革は、6月24日に閣議決定された規制改革実施計画を踏まえて、JAグループの討議にかけることとなっている。その出発点となった規制改革会議農業WGの「農業改革に関する意見」があまりに過激であったために、それを受けた自民党や農水省の文書ではややおとなしくなった感があるが、それでも方向性は変わっていない。「小骨は抜いたが大骨は残った」という状態にあるのではないか。
 この連載は、こうした事態を予測して、わが国の農協が現在のようなかたちをとるに至った歴史的経過を確かめておくために書き綴ったものだが、それにしてもWG文書の乱暴さは予測をはるかに超えていた。私はそれへの批判として急きょ別稿を書き下ろして出版した(『農協の大義』農文協)ので、詳細はこのブックレットを参照してほしい。
 ある人が「新自由主義にかぶれた学生の卒論構想レベル」と評したWG文書のような乱暴で稚拙な考えが、農協の自己改革をめざす議論の中ではまず徹底的に批判されなければならない。そうでなければ自己改革とはいえないからである。では改革の中身はどうするのかというと、JAグループは現在重大な自主改革に取り組んでいる最中なのだということを忘れないでいただきたい。
 それは言うまでもなく1991年の第19回全国農協大会で決議された組織・事業改革である。もう20年以上も前のことだという人がいるかもしれないが、この改革は現在なお進行中なのである。単協の広域合併と連合会の統合を決めたこの改革方針は、それまでの「農協のかたち」を大きく変える画期的な意義を持っている。

 

◆画期的だった組織・事業改革

 それは大きく言って二つある。一つは農協経営の自主再建である。広域合併と連合会統合の必要性は様々に説明されてきたが、私はバブル経済の下で多くの単協に累積されていた不良債権の処理が、この改革の隠れテーマだったと思っている。連合会についても単協の大型合併が進む中で全国連直接加盟の圧力が強まり、県連の存続が見通せなくなっていた。
 その意味で、この改革は第二の再建整備・整備促進であったとみることができる。しかし、この時期、大銀行が同じ原因から倒産と合併を繰り返し、そこに10兆円を超える巨額の公的資金が投入されたのに比べると、国民に迷惑をかけることなく自力再建を通した系統農協の取り組みは高く評価されてよいのではないか。
 この改革は、全中を先頭とする強力な指導の下に推進されたが、それでも未合併の農協は少なからずあるし、全国連に統合していない道県連もある。これを改革の不徹底と見るのではなく、組織の在り方を最終的に決めるのは組合員であり、それが地域農業にとってよりよい選択であればお互いに認め合うという協同組合としての関係が生きている証左とみるべきである。規制改革会議の言う中央会の画一的指導などというものは存在しないのである。
 もう一つは、どれだけ意識されていたかは別として、この改革が行政からの自立の条件を作り出したことである。

 

◆自立した協同組合への体制整備

 系統農協は整然とした3段階機構と全農民が加盟する組織率の高さを誇ってきた。しかしそれは行政補完組織としての体制でもあった。3段階機構は国―都道府県―市町村という行政の3段階に対応したものであり、全農民の加盟はそうしないと行政の代行ができないからである。
 わが国の農政は農協に行政代行させることで成り立ってきたのであり、これがなければ集落レベルで農家を動かすことはできなかった。食管制度がその最たるもので、法律上は国の業務である米の集荷から保管、配送まで、検査を除いて農協に丸投げしていた。補助事業にしても減反政策にしても同様で、これを人件費換算すれば膨大な金額となるだろう。
 行政はこうした農協頼りの在り方から「自立」したいようだ。しかし農協を抜きにして血の通った農政を行えるかというとまず無理だろう。農協を使い捨てにしようという今回の改革案は、ますます農家から離れようとする農政の方向性を示している。しかしそうした方向をたどるならば、農水省自体が不要とされる時が遠からず来るであろう。
 それはともかく、系統農協もいち早く行政補完組織を卒業しようとしている。2段階広域化という改革は、行政機構との直接的対応関係をやめることになるからである。行政と農協の関係は対等平等なパートナーであることこそ望ましい。そのためには、行政代行のためではなく、自前の求心力と組織力を強化しなければならない。自立した協同組合としての事業力と教育力が問われることになる。

 

◆改革の歴史に確信を持って

 政府の「農協改革」は、系統農協に自主改革の能力なしとの前提に立っているようだ。しかしそれは農協改革ではなく、農協つぶしとしかいえない。農協自体は戦後67年の歴史の中で変遷を積み重ねてきた。その中で改革と呼べるエポックが三つある。
 一つは発足直後の再建整備である。これが政府主導で行われ、自主改革の反対物であったことはすでに見たとおりであるが、底辺で重要な変化が起きていた。再建に必要だった増資の83%は組合員の出資だったのであり、国は増資を達成した農協に奨励金を出しただけだった。多くの組合員にとって、新生農協も統制機関としてきらわれていた農業会の看板かけ替えにすぎなかった。それが「オラが農協」に変わったのはこの時期以外に考えられない。
 次が総合農協と専門農協の合併が進んだ1970年前後の時期である。農基法農政の下で優位に立ったかに見えた専門農協が農産物自由化によって失速し、総合農協に吸収合併される経過についてもやや詳しく見たが、専門農協の施設と人員、ノウハウを取り込んだ総合農協にとってもこれは大きな改革となった。「米麦農協」と言われた総合農協が、営農指導と販売の力をつけ、多様な農産物を取り扱えるようになったのはここからである。
 そして三つめが現在進行中の組織・事業改革である。これが成功すれば日本型総合農協の新しいかたちが出来上がるのであり、失敗は許されない。幸い、広域農協にはようやく広域にふさわしい優れた組合長が輩出するようになった。この改革は、かたちだけでなく人材の面からも農協の新しい時代を拓こうとしている。政府が余計なことをする必要はない。

 

◆「世界の農協」相応の論議を

 私は本紙7月20日号に、国際家族農業年にちなんで、日本の家族農業と総合農協が世界の希望であることを述べ、次のように結んだ。「日本政府のなすべきことは、自国の小規模農業と総合農協に自信と誇りをもち、それを活用して、アジア・アフリカの農業の持続的発展と世界の食糧保障に貢献することである。」
 系統農協においてこれから組織的に展開される自己改革についての論議が、農協は世界の希望にふさわしい活動をしているか、組合員のために、地域と国民のために、そして世界のために、もっと出来ることはないかという観点から行われ、新しい前進の契機となることを祈って、この連載を閉じることとする。

 

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