JAの活動 シリーズ詳細

シリーズ:JA革命

2015.01.29 
【JA革命】第6回 6次化と耕畜連携のシンフォニー 平田牧場・山形県酒田市一覧へ

谷口信和・東京農業大学教授
・地域の自立と文化の創造
インタビュー「失敗バネに「日本一旨い豚」実現」
・農民運動に没頭
・飢えの経験が原点
・生協の信頼得る
・食料自給率向上へ

 山形県酒田市の平田牧場。会長である新田嘉一氏が、養豚業によって1代で育てあげた年商240億円の企業グループである。最高級の平牧三元豚という豚肉を生産し、加工によって付加価値を高めて得た利益は、地元庄内の産業、文化の振興のために使う。その、付加価値を高め、地域へ貢献するという経営理念は、地域にいて地域のための事業を展開するJAの理念・事業と重なる。新田会長は、地方の創生は「地域で自立できる人材を育てなければならない」という。経営者・リーダーとして学ぶべきところが多い。(聞き手は谷口信和・東京農業大学教授)

地域の自立と文化の創造

◆農業再生の方程式確立

 平田牧場の凄さとは何か。それは、“農業の6次産業化+耕畜連携=地域の自立と文化の創造”という日本農業再生の方程式を編み出したことにある。この方程式の3つの項をそれぞれ独立に実現した事例は各地に存在している。
 だが、3つの項を体系的に実現しつつあるのは平田牧場の独壇場であろう。

◆本当の6次産業化へ

豚舎見回る新田会長。今も肉質改善に意欲を燃やす 6次産業化とは農業が起点となって、加工・流通業を巻き込み、結果として農業が豊かになることだ。1次・2次・3次の関係(足し算か掛け算か)も大切だが、その結びつきを通して1次が豊かにならねば何の意味もない。平田牧場は真の6次産業化の旗手である。1964年に平田牧場を創業した新田嘉一氏が最初に行ったことは自らの豚肉の直販所開設だった。ピッグサイクルによる高騰・暴落の価格変動に抗し、畜産において外部からの参入が最も困難な屠(と)畜・解体・分割・包装・販売までを一貫して行い、消費者と直接に結びつく方法の構築だった。そうしない限り、いつまでたっても養豚経営の不安定性は解消されないと考えたからだ。

(写真)
豚舎見回る新田会長。今も肉質改善に意欲を燃やす

◆日本一の豚肉をつくる

 だが、6次産業化が成功するためには何よりも「日本一」と自負できるような豚肉を作り出さねばならない。そのために自らの「天性の舌」を頼りに豚の品種改良にチャレンジした。しかし、その話を語るには「最低3日は必要だ」と嘉一氏が身を乗り出すほどに失敗と苦難の歴史だった。
 チャレンジの第1段階は二元交配だ。69年にデンマークで購入したランドレースLに中ヨークシャーを交配して、当初はLW、73年からはデュロックDも加えてあらゆる二元交配を試みたが失敗の連続。
 第2段階はLWDによる三元交配への飛躍である。今度は農林大臣賞を受賞したが、追随者が次々に出現した。
 そこで、74年に到達したのが第3段階で、日本人の舌にあう鹿児島産バークシャーBを掛け合わせた平牧三元豚LWBの実現であった。

◆完全無添加ソーセージを開発

飼料用米配合の餌で育つ平田牧場の「三元豚」 平田牧場の本物志向は流通パートナーとしての生活クラブ生協との出会いによって一層磨かれることになった。71年に太陽食品を設立して加工事業に取り組み、製薬会社並みのクリーンルームを設置して無添加ハム・ソーセージの開発に乗り出したが、さっぱり売れなかった。それから苦節15年、86年に日本初の完全無添加ソーセージを生活クラブで売ることに成功した。その間には一時期平田牧場の豚肉の9割を納入したダイエーとの決別という深刻な危機があった。生産者を叩いて儲ける流通の旗手に我慢がならなかったからである。その危機を救ったのが生活クラブだった。

(写真)
飼料用米配合の餌で育つ平田牧場の「三元豚」

◆文化・教育事業に貢献

 99年に嘉一氏は息子の嘉七氏へ社長の座を譲るが、96年から平田牧場は飼料用米導入を通じた耕畜連携によって食料自給率向上を図るという高い志の実現に挑戦し始めた。
 戦争中の飢えに苦しんだ原体験をもつ嘉一氏が日本国の自立にとって食料自給が欠かせないと考え、また、嘉七氏が聞いた「落ち穂を食べた鴨の肉は美味しい」という言葉がヒントとなり、休耕田の利用に活路を見いだしたからだ。
 2004年からは遊佐町(JA庄内みどり)・生活クラブとの3者で「飼料用米プロジェクト」を立ち上げ、飼料用米普及のパイオニアとなった。こうして飼料用米導入により6次産業化と結びついた耕畜連携が実現し、日本農業再生の方程式が完成した。
 だが、嘉七氏の偉大さは単なる実業家としての成功に止まらない。事業で得た財産を酒田市の活性化のために惜しみなく寄付し、自らその実現に東奔西走した。酒田市美術館・相馬楼・庄内空港そして極めつきは東北公益文化大学。みな、嘉一氏の努力の賜である。酒田市の自立と文化の創造に貢献する平田牧場の貢献がそこにある。日本農業の誇りというべきであろう。

「失敗バネに「日本一旨い豚」実現」
インタビュー 平田牧場グループ会長・新田嘉一氏

◆農民運動に没頭

――一代で、養豚を中心とした企業グループをつくり、いま社長を引退し、会長としてグループを率いておられます。これまでを振り返ってどのような感想をお持ちですか。

新田会長 新田 平牧(平田牧場)は、いま外食系の事業も展開し、息子の社長がやっているが、豚の生産の基礎は私が社長の時に確立した。今の姿を見ると順調にきたように見えるが、アメリカのカリフォルニアで牧場や、中国のハルピンで養豚に手を出し、手痛い失敗もしている。だがこの失敗をばねに、常に挑戦してきたつもりだ。
 若いころは農民運動ばかりやっていた。庄内地方は当時の社会党系の農民組合が強く、その影響もあるが、世の中をよくするのだという思いと夢があった。

(写真)
新田会長

――養豚を始めた契機は?

 新田 家は小さな地主だったが、父が出征した時、田んぼを小作人に預けたので、母と5人の子どもは、毎日の食べ物にも困ったことがある。あんなみじめな思いをするような戦争は絶対いけない。この思いが、その後の中国との交流や東北公益文化大学の設立などの原点になっている。
 当時、父も一般の農家と同じように、農家は農地を守り、米を作っていればよいという考えだった。

◆飢えの経験が原点

 しかし、こういう考えでは自分の未来はないと考え、父の反対を押し切って31歳から豚の飼育を始めた。将来は、食生活の変化で必ず肉の消費が増えると考えてのことだった。もともと負けず嫌いで、「必ず日本一の美味しい豚を作ってみせる」という決意だった。

――そこで大変な苦労を重ね、霜降りで甘く柔らかい「平牧三元豚」、「金華豚」というすばらしい豚をつくりましたね。

 新田 私はある時期に、自分の仕事や地域の活性化について、政治にも行政にも期待しないと決めた。要は農家として自立することだと思う。「日本一の豚」はその思いで取り組んだものだ。中央や親方日の丸、大資本ばかりに頼り切り、商品の品質向上や流通の開拓を怠った農家に自立の道はやって来ず、大きな波に飲みこまれ、やがて農地をも失って行くだろう。

――そういう会長の心意気を理解してくれる人もいたのですね。

 新田 ある時、農林漁業金融公庫(現在の政策金融公庫)の総裁が突然来て、「あなたは日本の畜産を救っている。あなたにこそ頑張ってもらわないといかん」といって、20億円を融資しようと言ってきた。当時、全国的に畜産経営は、飼料価格の高騰で経営が悪化しており、平牧は、生産者や農協に頼まれ、これを買い取ったり、これと提携したりして救済していた。公庫はそれをちゃんと見ていてくれた。資金繰りにこまっていたので、本当にありがたかった。

◆生協の信頼得る

――販売にも苦労されましたね。

趣味で集めた絵画の前の新田会長(右)と谷口教授(平田牧場本社で。数多くの名作があり、自由に鑑賞できる) 新田 自分が一生懸命育てた豚が、なぜこんなに安いのかといつも疑問に思っていました。特に防腐剤など化学物質無添加のソーセージやハムの生産には追加的な経費もかかり、生産者は生活もかかっている。これを消費者はなぜ理解してくれないのかという思いがあった。当初は、農協の力にも期待したが、結局、自分でPRするしかないと思った。
 一時、大手のスーパーと取引したが、「買ってやっている」という態度に我慢できず、平牧の9割近い取引を打ち切ったこともある。これを救ってくれたのが、美味しくて体によい豚肉の価格は当然高くなるということを理解してくれた生活クラブ生協だった。
 ただ生協も、私が付き合っていたころの世代とは異なり、裸になって生産者と一緒に幸せになろうという気持ちがかつてよりは失われているように感じる。
 いつだか、取引のある生協で人手がないというから、平田牧場の従業員を派遣したこともある。一心同体だから助け合おうという思いだった。だがいまはそういう気持ちがなくなっている。一般の会社と同じサラリーマンになってしまったようだ。
 相手のためにやってやろうという気持ちがない。生協も大きくなると変わったと思う。若い人は、作る人の苦労を知らない。もう一回、原点に戻って考える必要がある。
 その意味で、いま日本で、心の教育が欠けている。自分の信念がないから、何とかしなければという気概がない。勝ち負けにこだわり、他人のことを思う心が最も大事だという教育がなくなったのではないか。

(写真)
趣味で集めた絵画の前の新田会長(右)と谷口教授(平田牧場本社で。数多くの名作があり、自由に鑑賞できる)


◆大学創設し、自立できる人材を育成

――若者の教育のため東北公益文化大学を創り、理事長をやっておられますが、どういう人材を育てていますか。

 新田 「この地域で自立した人材を創る」というのが目標です。庄内に4年制の大学がなかったので、高校を卒業すると若い人は外に出て、戻ってこない。これに危機感を持っていた。20年前から有志が集まって構想を練っていたものです。
 地元の人間が地元の大学に進み、そして地元で働き、地元が活性化される。それは日本全体を活性化することにつながるはずだ。

◆食料自給率向上へ

――地元の主要な産業である農業の活性化が必要なのでは。

 新田 いま日本の食料自給率は4割に過ぎない。世界の主要国で5割を下回っている国などない。財界の人と話す時、もし何かあったらどうするのか。いくら車があっても、車は食べられないよと、言っているのだが、飢えの経験のない者にはこのことが分からないようだ。
 危機感を持つなら実行しなければならない。その一つとして「飼料用米プロジェクト」を立ち上げ、豚の飼料を、輸入トウモロコシから飼料用米へ切り換えることを進めている。少しでも自給率向上につながればと思っている。農家がこれまで努力して守ってきた田んぼである。遊ばせておくのはもったいないし、そこに力を注ごうという農家とは、できる限り共に助け合っていきたい。

一覧はこちら

このページの先頭へ

このページの先頭へ