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シリーズ:緊急連載-守られるのか? 農業と地域‐1県1JA構想

【田代洋一横浜国大・大妻女子大名誉教授】

2017.10.27 
3段階で「内なる合併」JA香川県(1)一覧へ

 10月6日号で問題提起したこのシリーズは、以下、隔週で、概ね合併の早い順に事例紹介していく。まず奈良県とともに1県1JA化のトップを切った香川県から。

◆合併の経過

 香川県にはかつて183の農協があり、一時は20農協構想があったが、1969年の47農協への合併でストップした。昭和50年代には行政規模への合併や郡単位農協も検討されたが、合併を経験した農協は賛成するものの、未経験の農協は反対だった。
 その背景として日本の農協運動をリードした故宮脇朝男氏が、県中央会会長として1973年に打ち出した「県単一農協基本構想」がある。この構想はオイルショックでとん挫したものの、組合長たちに「どうせ合併するなら県単一に」という意識を植え付けた。
 1990年代に全国的に合併機運が高まるなかで、香川県では、1993年2月の県農協45周年大会で単協と県連を統合する県単一農協構想が提起され、組織的な検討に入った。しかしながら1991年に高松市内の1農協で不正融資が発覚しており、それに足を取られた。 この問題も1997年に全国支援を受けつつ近隣農協に事業譲渡することで解決し(島しょ部の合併もあり45農協へ)、合併論議に弾みがつき、1999年には2農協(後述)を除き合併予備契約調印がなされ、2000年4月に香川県農協の設立となった。

 

◆なぜ県単一農協なのか

 前述のように宮脇構想時代から県単一化による自己完結力と効率性の追求が掲げられていた。その土台には、県土面積が最小で全県一日経済圏となっており、地形的、気候的あるいは経済合理性を貴ぶ県民意識的にも大きな地域差がないといった香川県の特質があげられる。しかし、なぜ1993年なのか、なぜ2000年なのかの説明には十分でない。
 全国的には、1991年の第19回全国農協大会で、広域合併(21世紀までに1000農協化)による自己責任体制の確立、事業・組織2段制への移行が提起された。県単一農協は、先の香川県の特徴を踏まえた、広域合併の香川県版とも言えよう。
 加えて1990年代はバブル崩壊に伴う住専問題の表面化、それに巻き込まれた農協系統金融の危機、グローバル化にともなう金融自由化と金利低下、それらを踏まえた2001年のJAバンクの法制化に向けての動きがあった。後述するように信用事業依存度の高い県農協陣営がそれらの動きに敏感だったことは想像に難くない。
残る2農協との合併

 残るのは、一つは高松市農協で、貯金額260億円、賃貸住宅建設等への融資で貯貸率45%という「信用組合に近い」存在だった。それが固定資産の簿価評価での合併に反発した。しかしバブル崩壊による不良債権の発生、自己資本比率の低下、信連の単協への奨励金の貯金額に応じた傾斜配分措置等をうけて、2003年には合併した。
 残るのは県西地域を拠点とする豊南農協で、こちらは「最も農協らしい農協」といわれ、土日曜当番対応をするなど野菜等の営農指導に力を入れており、決算前奨励や事業利用分量配当も行っており、それが合併により維持できなくなる懸念があった。2013年の合併時には貯金620億円、内部留保80億円、自己資本比率45%と信用面でも安定していた。
 しかし組合員の高齢化や後継者難、職員採用の困難、内部留保でいつまで食いつなげられるかといった不安、加えて主力のレタス価格が県農協よりも低くなるといった事情も重なり、また組合長が行政経験者に交代したこともあり、2013年に合併に踏み切った。こうして93年の提起から20年を経てようやく県単一農協が完成した。

 

◆合併の音頭取り-県中央会

 非合併の2農協に対して機会をとらえて合併を呼びかけたのは県中央会だった。1997年に県単一JA調査研究協議会が立ち上げられたが、その事務局を担ったのも中央会で、要員6名を配置している。その後98年からの県単一JA合併推進協議会、99年からの設立委員会の事務局(「設立準備室」)を担ったのも中央会で26名を配置した。
 このような経過からして合併のイニシアティブを握ったのは中央会と目されるが、中央会としては、農協が47と多数あったために、「音頭取り」の役を担わざるをえなかったともいえよう。

 

◆単協と県連の調整

 県単一農協化の大きな目的の一つは単協と県連の資源・機能の統合だった。しかしながら非合併農協が残ったので、中央会、連合会(信連、厚生連)は存置することとなった。経済連・青果連・施設連については県農協に包括承継し、非合併農協は県農協の機能を利用することとした。
 存置する県域組織については法制度上必要な機能・要員のみを残し、他は全て県農協に移した。残る要員は中央会7名、県信連59名だった。中央会はその後に監査機構の発足に伴い拡充して現在は18名体制である。結果的に中央会、県信連は統合前の半数になった。
 中央会の主な機能は、経営指導(内部統制、不祥事防止)と代表・調整機能等である。
 県信連は余裕金運用、JAバンク基本方針による信用事業秩序維持の機能を担っている。
 県信連と単協では余裕金の運用基準が異なり、単協が信連を包括承継してしまうと外貨建ての運用ができなくなるなどして、大幅に収益が減少する。香川県信連は有価証券の運用にたけており、それらの単協への還元率は全国トップクラスである。またリスク管理は「単協の30年先をいく」とも関係者はみている。
 後述するように県農協は合併後に県の業務改善命令を受けており、不祥事防止には組織外部(県信連や中央会)の眼も欠かせない。
 以上のような理由から県信連を存置したことが香川県の大きな特徴である。しかし県農協は信連からの還元率が高いので、自ら貸し付けするインセンティブに欠け、全国トップの貯金量を誇りながら、貯貸率は10%と低い。

 

◆組織整備の第一段階・支部体制

 一つになった県農協の内部組織をどう組み立てるか。この「内なる合併」が県農協が最も腐心した点であり、大きく三段階に分かれる。
 第一段階は、支部体制である。組合員数2000人を基準に旧43農協を28支部(高松市農協の合併後は29支部)に再編した(うち複数農協が共同で設立した支部が10支部)。そして合併初年度に限り、35名の支部常務が置かれ(支部長常務と支部常務の二人が置かれる支部もあり)。支部常務は一定の貸付権限を引き継いだ。地域特性を発揮するという大義名分だが、旧農協にそれなりに配慮した措置だと言える。
 支部常務も含めて理事52名の体制だったが、2001年度からは経営管理委員会制度(29名)を導入し、支部常務は廃止し、支部長は職員を充てることにした(理事は10名へ)。
 支部は独立採算制とし、剰余が出た場合は支部組合員に還元することとした。具体的には決算前奨励措置として還元することとし、支部では貯金・共済奨励、購買・販売割り戻し、種子助成、営農振興大会、部会助成等に使われた(総額は3.7~8億円)。事実上の事業利用分量配当(合併前の三分の一ほどの農協が行っていた)と支部活動に充てられたわけである(個人配分にウェイト)。これは2007年度まで続けられた。
 実態的には、実質的に県単一農協化する前段階としての、45農協の28(29)農協への合併と言うこともできよう。

 

◆組織整備の第2段階・地区本部制(2004年~)

 しかしこれでは旧農協意識が残ってしまう。そこで2004年に支部制をやめ、信用・共済事業は本店・支店直結方式、営農経済事業は営農センター・支店方式に改めた。
 だが、こうなればなったで、支店が金融特化店舗化し、職員の「垣根意識」が強まり、営農経済事業への対応が不十分になってしまった。そこで2007年に地区本部制を敷くことにした。地区本部は郡単位に6つ置かれ、営農センターも包摂した組織とし、地区本部長には理事があたった。
 しかしこれはまたこれで郡単位農協への合併に近くなり、「営農指導事業の均質化や農産物のロット拡大による販売力強化など営農販売面において一定の成果が認められたが、信用・共済事業については指揮命令系統の段階が多く迅速・的確な対応について課題がでてきた」と関係者は指摘している。本店の指示は地区本部どまりで、支店のガバナンスが利かなくなったのである。そのことが不祥事を生む一因ともなったといえる。

 

◆組織第3段階・本店―統括店体制(2010年~)

 そこで2010年に地区本部制を廃止し、本店と支店の情報伝達経路の短縮を図る目的で、<本店―とりまとめ店(統括店)―支店>体制に移行した。現在は18統括店、7営農センター体制だが、人口減等に伴う統括店間の格差の発生、統括店と営農センターが1対1の関係でないこと等から、統括店エリアの見直しや支店統合を検討しているという。 次回は経営管理委員会方式、支店統廃合、営農指導体制、剰余金処分等に触れる。

 

【JA香川県の概要】
・2000年4月43JAの合併
・組合員数13万6728人、うち准組合員53.0%。
・経営管理委員16名、理事10名、監事5名
・出資額268.6億円(うち准組25.6%)
・販売品取扱高401億円
・貯金額1兆7000億円、貯貸率10.2%

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