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検証・時の話題

農政は本当に生産者優先だったのか?
BSE問題調査検討委員会報告を考える
−−歯切れよくとも説得性に欠ける報告
梶井功 東京農工大名誉教授

 「軸足を消費者サイドに大きく移す−」(武部農相)。このところ、これまでの農政は生産者保護一辺倒で消費者軽視だった、との反省から政策転換を図ろうとする動きが活発になっている。農水省が公表した「食と農の再生プラン」もその延長線にある。きっかけはBSE問題調査委員会が今月初めに提出した報告書だ。BSE発生の背景を生産者保護優先、消費者保護軽視の行政にあると断じた。しかし、本当に農政は生産者優先だったのか。今号では最近の論調の基底となっている委員会報告について、梶井功東京農工大名誉教授に検証してもらった。

◆一般的には良い評価を得た
  BSE問題検討委員会報告だが

梶井功氏

「BSE問題に関する調査検討委員会報告」は、農水省とは限らず政府の各種委員会の報告とはちがって、“報告の作成に際して、すべて委員主導で行われた”点で異色の報告になった。この異色の点、そしてBSE問題に対する農水省の対応には、“重大な失政”“政策判断の間違い”があったと指摘した上での、“包括的な食品の安全を確保するための法律の制定ならびに新しい行政組織の構築”の提案は、大方から好意をもって受けとられ、一般的には良い評価を得ているようだ。
 私もこの提案には賛成である。しかしたとえば、“政策判断の間違いだった”と論断した2001年のEUステータス評価中断要請について、中断の“論拠”を、“BSE発生リスクがあるという結論が風評被害を引き起こすことを恐れたためではないかと推測される”としていることなど、私は不満である。中断要請を決定した“根拠”こそ明確にすべき重要点であり、“推測”でかたづけるべき問題ではないだろう。判断“根拠”の説明がなかったのなら、いくら聞いても説明がなかったと書くべきだ。また、“予防原則の意識がほとんどなかった”と決めつけ、“予防原則を徹底すると巨額のロスを伴う恐れがあることから、行政の担当者が萎縮する傾向は避けられない”という記述があるが、“ほとんどなかった ”という結論はどういう事実に基づいて出したのか説明を要し、“萎縮する傾向は避けられない”というのも“推測”だろう。根拠を示さない判断や推測では調査委員会報告としては困ると私は考える。なお言えば、“萎縮”するということは、予防原則についての意識があることが前提になることだから、この文章は矛盾しているといわなければならない。
 予防原則問題はWTO農業交渉の一つの争点であり、アメリカは反対しているが、EUのこの点に関する問題提起を日本政府は支持しているし、日本提案自体も“現行SPS協定がUR合意後生じてきた新たな課題に充分対応できているかをレビューする必要がある”としている問題である。行政担当者に“予防原則の意識がほとんどなかった”というのは、いいすぎではないか、という疑問を私は持つ。

◆新基本法に潜む
  国内農業発展にマイナスとなる考え方

 といったこと以上に問題なのは、従来の農政を、“生産者優先・消費者保護軽視の行政”だったとし、更に、“農林水産省は産業振興官庁として抜きがたい生産者偏重の体質を関係議員と共有してきた”としていることである。
 “日本の法律、制度、行政組織は、旧態依然たる食糧難時代の生産者優先、消費者保護軽視の体質を色濃く残し、消費者保護を重視する農場から食卓までのフードチェーン思考が欠如している”という文章もある。
 “フードチェーン思考”が弱いことは確かだが、それは農林水産省だけのことではないだろう。
 第1にフードチェーンという言葉を、報告のいうように“農場から食卓まで”というような意味で使うこと自体が、最近のことなのである。これまでは、フードチェーンという言葉は、生態学的な食物連鎖という意味で使ってきた言葉だった。“フードチェーン思考”と調査委員会からいわれてとまどった行政官も多かったのではないか。
 それはまだしも、“法律、制度、政策、行政組織”は、旧態依然たる食糧難時代――の体質を色濃く残し”ているといわれては、とまどうどころか頭にきた行政官も多かったのではないかと思う。農政の根幹を規定している――、いや、しているはずの、といったほうがいいかもしれないが―― 基本法を大きく変えたと自負しているのに、“法律”も“旧態依然”といわれたのだからである。
 法律は確かに変わった。農業基本法が廃止されて食料・農業・農村基本法がつくられたとき、私はつぎのように両法の質的差異を概括しておいた。

 旧農業基本法はその名称が端的に示していたように、農業のための、そして農業者のための基本法だった。“農業従事者が他の国民各層と均衡する健康で文化的な生活を営むことができるようにすることは……公共の福祉を念願するわれら国民の責務に属するものである”(前文)という基本的な認識に立ち、その“責務”を果たすために、“農業の発展と農業従事者の地位の向上を図ること”が、“国の農業に関する政策の目標”だとしていた(第1条)。
 それに対し、新基本法が“目的”とするところは“食料、農業及び農村に関する施策を総合的かつ計画的に推進し”、“もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ること”(第1条)にあるとしている。農業施策もしたがって農業者のための施策であるよりは、“国民生活の安定化”のためであり、“国民経済の健全な発展を図る”ためである。農業者もむろん国民の一部であり、農業も国民経済の一環を構成する。しかし、マジョリティとしての国民の“生活の安定向上”、あるいは国民経済の主要セクターの“発展”のためには、農業者の現実的利害に反し、国内農業の発展にはマイナスとなる施策も、この新基本法のもとでおこなわれかねないという危惧をこの第1条の書きぶりから感ずるむきもあろう。少なくとも旧農業基本法が前述したように格調高い前文で“責務”を謳っていたのに比べれば、農業者にとってふれること弱いとしなければならない。(農村統計協会刊「日本農業年報」第46集所収拙稿22ページ)

◆“旧態依然たる法律・制度”とは
  具体的には何か?

 “危惧”が現実化したことを、私たちはついこの前、ねぎ、生しいたけ、畳表の輸入急増に対し、暫定セーフガードに続いてのセーフガードの本格的発動が見送られるという事態として経験した。暫定セーフガードに対する中国の対抗措置(WTO協定上は違法だが、その時点では中国はまだWTO加入を認められていなかった)に恐れをなした財界筋の圧力に農政が屈したからである。因みに、親中国といわれている田中前外相はセーフガード本格発動を行うべしという主張だったそうだが、小泉内閣はそうではなかった。中国が100%の特別関税という報復措置を課した自動車、エアコン、携帯電話の対中国輸出額は、ねぎ、生しいたけ、畳表の中国からの輸入額の3倍近い額に達する。しかも、2002年以降の中国の自動車輸入割当制度は過去の実績を反映させることになっているということもあった。
 加えて、WTO加入後の中国での規制緩和が中国での投資をより有利なものにするという予想のもとに、この数年来落ち込んでいた対中国投資額が2000年には前年比40%を超えるという大幅増加を見せていた時期だった。“国民経済への健全な発展を図る”ために、弱小農業部門は見捨てる政策がとられつつあることを、セーフガード発動見送り問題は端的に示したというべきだろう。“旧態依然たる食糧難時代の生産者優先・消費者保護軽視の体質を色濃く残し”た“法律・制度・政策”があるという調査会の指摘、批判は、こういう事実をどう評価しての批判なのだろうか。まさか、農政の根幹を規定している法律が農業基本法から食料・農業・農村基本法に変わったことには気がつかなかったなどとはいわないだろう。
 法律が変わったから、それに基づいて政策体系がすっかり変わった、とは私も思わない。また、法が謳っているとおりに政策が組まれているとは思わない。農業、農民のための法律だと先にいった農業基本法下の農政でも、“生産者優先”とか“生産者偏重”とかは一概にいえない施策、まさに、“国民経済の……発展を図る”ための施策というべき施策が少なくなかったと私などは考える。それについては改めて問題にする機会が与えられることを望むものだが、重要なことは、“旧態依然”たる、“法律・制度”があるとすれば、それはどういう法律・制度なのか、具体的に指摘することであり、法律・制度が変わっても政策が変わっていないとすれば何がそうさせているのかを分析することこそが調査会の役割だということである。それを怠ったのでは、決めつけは歯切れよくても説得性はもてないと思うのである。

◆法律・制度変わっても施策が変わらない
  原因こそ追及すべき

 たとえば、食料・農業・農村基本法も、その第16条第1項に
 “国は、食料の安全性の確保及び品質の改善を図るとともに、消費者の合理的な選択に資するため、食品の衛生管理及び品質管理の高度化、食品の表示の適正化その他必要な施策を講ずるものとする”という規定を置いている。
 農政が“食品の安全性の確保等”に特に言及するようになったのは、何も最近のことではない。たとえば1989年に農水省が発表した「国際化時代における農業政策」は、「食品産業・消費者対策」の章のなかで、「食品の安全性の確保等」の項を設け、“食生活における安全性や健康への配慮の一層の高まりにかんがみ、農薬、動物性医薬品等に係る使用基準の遵守等農林産物の安全性確保の対策を関係省庁連携の下に推進する”ことを言っていた。問題意識は前からあり、基本法にまで一項設けているのに、それにふさわしい行政が行われなかったとすれば、
――行われていないことは、BSE問題に続いて続出した食品偽装問題が示している――それはどこに問題があったのかを明らかにしてこそ調査会といえる。“消費者保護軽視の体質”があるとか、“フードチェーン思考が欠如している”とかいった問題ではすまないはずである。




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