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農政.農協ニュース

追 悼 三輪昌男先生
農協の進むべき道示し続けた大きな星
松下雅雄 JAはだの代表理事組合長 (3/13)

松下雅雄氏
まつした まさお 昭和10年生れ。29年、県立平塚農業高校卒。29年より農業。35年農協に就職。合併により、秦野市農協となる。営農指導員、教育広報課長、支所長、経済部長を経て、60年常務理事、平成3年専務理事、8年代表理事組合長。
 三輪昌男先生の御逝去を悼み、慎んでお悔やみ申し上げます。農業協同組合の育ての親であり、生涯、農協運動の指導者であり、先生の指導なくして、今日の農業協同組合はないと申し上げて過言ではありません。
 私にとって先生は、「協同組合運動」を教えて頂いた、本当の先生でありました。これらについて触れて、追悼のことばといたします。
 私は単協の営農指導員として昭和35年就職しました。一番先に教育を受けたのは、先生の著書である「協同組合の基礎理論」であります。協同組合の仕組み、仕事、役割、そして、進むべき方向など、分り易く書かれていて、当時の県中央会の講師によって説明を受け、私の農協人としての、スタートでした。
 昭和36年の6月に施行された、「農業基本法」、この基本法によって、農業はどう変わるのか、農業の方向が明確に見通しがつかない状況下で、農業者が工業生産労働力としての流れが始まりました。このような時、先生の、「日本農業はどうなるか」についての講演を聞く機会を得て、その時の今でも覚えていることは、農業の種目のなかから、最も適した、品目を選定して、栽培技術を研究し絶対的なものを確立することだと力説されたことです。
 後に、選択的拡大、規模拡大、園芸農家にあっては、集約効率園芸へと、動き出し、私もその先兵となり、農家を駆け巡りました。
 その頃、先生が、「日本農業はどうなるか」の著書を発刊され話題となり、私も先生の考えに、すっかり、ほれ込んでしまいました。私だけでなく、日本中の同志は皆同じであったと思います。また、先生の考えが、日本農業の道しるべになったことは間違いないと確信しています。

 本音で語り合う大切さ教えられた

 三重県中央会で生活文化研究集会があり、三輪先生が講師で、私が事例発表をする機会に恵まれ、喜んで出席させて頂きました。1泊2日の日程でした。この研究集会の目的が十分に充たされたかわかりませんが、私にとって、先生と同席できたことが、極めて良かったし、終生忘れられない想い出と、収穫の多い研究集会でした。この時、先生と夕食をともにし、帰りも近鉄特急で、名古屋まで同行できました。その夕食の時、先生の豪快な酒に親近感を覚えました。その席で、力説されたことは次のようなことでした。
 “農業の振興、良い農協を創ること、農協の生活文化活動を活発化することに、真剣に取り組むならば、本音で話し合わねばならんぞ、本音で語り合うとは、酒を1杯、「イーッパーイ(沢山)」呑んで、幾度も幾度も話し合って始めて本音が生まれるものだ。これが本物なんだ”と力説された。
 私達が1つの活動や、事業を起すには、関係者が本音で話し合うことの必要さを実際の中で感じており、その度に思い出すことであります。
 私との出会いの1例をお話し致しましたが先生は、農基法が制定されてから、今日まで農協の組織のあり方、進むべき方向などを適確に提言して頂きました、最近では「農協改革の逆流と大道」また「農協改革の新視点」などです。時折、「農業協同組合新聞」などで辛口な記事に魅了させられていましたがもうこれからは、なくなったことに、淋しさを感じずにはいられませんし、大きな星を失った、極めて残念です。でも先生の導きの路線を着実に歩むことだと、認識を新たにしています。当JAは全国に誇れる、組合員主体の、生産活動を主軸に、教育・文化活動を積極的に展開し、地域に開かれたJAつくりに邁進しています。先生の冥福を心からお祈りして追悼のあいさつとします。 (2003.3.13)



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