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農協時論

「新たな経営所得安定対策」への危惧

     東京農工大学学長 梶井 功
 

梶井 功氏
(かじい いそし)
大正15年新潟県生まれ。
昭和25年東京大学農学部卒。
39年鹿児島大学農学部助教授、
42年同大学教授、
46年東京農工大学教授、
平成2年定年退官、
7年東京農工大学学長。
主な著書に『梶井功著作集』(筑波書房)、『新農業基本法と日本農業』(家の光協会)など。

◆全農業者が自給率引き上げの努力を

 農水省が「農業経営政策に関する研究会」という研究会をスタートさせた(2月22日)。“経営を単位とした新たな農業経営所得対策”を議論するのだというが、役割ははっきりしていて、自民党の農業基本対策小委員会が昨年暮にとりまとめた「新たな経営所得安定対策についての提言」を具体化することがその役割である。
 その自民党の提言は“意欲ある担い手(農業法人を含め40万程度の経営体を想定)を対象とすることを基本”にすることを言っていた。食料自給率引き上げを目指しての食料・農業・農村基本計画が始まったばかりの今、一握りのエリート経営を対象にする施策をとることが、基本計画実現にプラスに作用することになるのだろうか。私は多大の疑問を持つ。今はすべての農業者に、自給率引き上げのために努力してもらわなければならず、すべての農業者が経営意欲をかきたてられるような施策こそがそのために必要なのに、それとはまったく逆の施策になってしまうのではないかと危惧する。この点についての所見を述べておきたい。

◆エリート経営だけの救済策は疑問

 自民党の提案は、米価低落のなかで、鳴物入りで始まった稲作経営安定対策が功を奏さず、“あと2年ともたない”という危機感から、当時の自民党農業基本対策小委員会委員長だった松岡現農水副大臣の発議でつくられたそうだが、稲作経営安定対策自体、その仕組みからいって米価低落をくいとめる力をもともと持っていなかったことを、まず指摘しておくべきだろう。
 前3カ年の自主流通米平均価格を基準価格として、その価格を当年産の自主流通米価格が下回ったとき、差額の8割を稲作経営安定資金から補てんするというこの仕組みは、恒常的な過剰米生産能力があり、かつ回転備蓄という名のもとに政府米が古米として放出され、さらにミニマム・アクセス米が否応なしに輸入されてくるなかで市場に価格形成がまかされれば、当然ながら米価低落は続かざるを得ず、従って経営安定効果をもともと持ち得ない仕組みなのである。ということを指摘しながら、私は“少なくとも回転備蓄方式を棚上げ備蓄方式にすること…何時、いくらになるかわからぬ前3か年移動平均による基準価格策定でなく、計画生産下で再生産を可能とする基準価格を予示する対策にすべき”ことを主張したことがある(協同組合経営研究所刊「研究日報」35号所収・拙稿)。
 それが最善とはいわないが、稲作経営安定対策が何故効果を発揮しないのか、効果を発揮していない現実を認めたのなら、発揮させるにはどういう仕組みにすべきかを検討することが今やるべきことであろう。それが、一挙に一握りのエリート経営のみの救済策に走ってしまっているのである。問題だといわなければならない。

◆低価格はエリート経営にほど打撃が大

   低コスト生産が可能なエリート経営農家こそが低価格に耐え、ハイコストの零細農家を駆逐する、というのが市場メカニズム信奉論者の構造変動論だった。農民保護的高米価−−そんな米価はこれまでもなかったと私は認識しているが−−が構造改革を妨げているのだから、低米価政策に移行すべきというのがこれら論者の主張だった。エリート経営と零細農家では、問題になるコストの性格がちがうことを認識できないことが、そういう誤った主張をさせることにしているのであるが、この点、とりあえずは拙著「新基本法と日本農業」の3をみられたい。
 この価格低落のなかでエリート経営ほど声高にダメージのひどさをいっている現実が、低価格が構造変動をすすめるという議論の誤りを白日のもとにさらしたと私は見ているが、エリート経営だけに救済策を講じようという発想は、まだ謬論に毒されているところから生まれているというべきだろう。この状況のなかで構造改革をすすめようというのであれば、規模拡大指向経営が、充分な労賃相当分も確保した上で更に零細農家を満足させ得る地代負担力をもてるようにしなければならない。それを可能にする基準価格を設定し、市場価格との差額を補てんすることが必要なのである。そういう政策をとってこそ、WTO農業交渉提案で“青”の政策の継続を主張したことも意味を増すというものである。

◆エリート経営40万とは絵に描いた餅

   経営所得安定対策の対象として“40万程度の経営体を想定”していることを最初に指摘しておいたが、農水省が平成22年の農業構造展望として描いたのが、“効率的かつ安定的な農業経営”としての家族農業経営33〜37万、法人・生産組織3〜4万だった。40万というのは、この農業構造展望を念頭においてなのであろう。
 が、平成22年までに、これだけの“効率的かつ安定的な農業経営”ができるだろうか。
 基本問題調査会に農水省が提出した資料のなかに、90〜95年の農業構造動態統計をもとに推計した2010年(平成22年)の経営耕地規模農家数があったが、それによると都府県5ha以上と北海道3ha以上をあわせても(耕地規模のキザミの関係でそろえて5ha以上をとることができない)、9万9000戸でしかなかった。“効率的かつ安定的な農業経営”の経営規模は、たとえば水田作では都府県で14ha程度、都府県で12ha程度とされている。5haどころの話ではないのであるが、そういう経営が40万もできるなどというのは、画に書いた餅のたぐいと私は見る。
 昭和1ケタ世代のリタイアが構造変動を加速するなどという見解もあるが、2000年センサスは50〜64歳という広い年齢層で帰農人口があったことを明らかにしている。昭和1ケタ世代リタイアが構造変動を加速すると簡単には言えそうにないのである。この現実に立って、今、食料自給率引き上げのために営農を担ってくれるのは誰かを考えなければならない。

◆80%の農家が生産意欲を持てる施策こそが重要

   前にもこの欄で指摘したことがあるが、私たちは容易ならざる状況で食料自給率引き上げに取り組まなければならなくなっている。
 自給農家はあまり減らないが販売農家が12%も減り、副業農家は3.3%減だが主業農家は26%も減った、というように、農家のなかでも農業に本腰を入れている農家ほど減っているということ、農業就業人口のうち65歳以上の高齢者が56.6%にもなっていること、これが2000年農業センサスが明らかにした事実だが、農業の強化を図らなければならないこの時期に、営農主体の劣弱化が一層すすんでいるのである。しかもそういう営農主体のもとで農地の過半が現に耕作されている。この事実に立って食料自給率の引き上げ策は講じられなければならない。
 都府県で5ha以上の農家がいま耕作しているのは、全耕地の13%でしかない。3ha以上でも17.6%である。3ha以上層に営農意欲をもたせても、80%の農地を耕作している農家の意欲を更に低下させるなら、自給率引き上げは不可能としなければならない。80%の農家が生産意欲をもてるような施策こそが、いま必要な施策なのだ、ということを強調しておきたい。



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