トップページにもどる 農業協同組合新聞 社団法人農協協会 農協・関連企業名鑑
「稲作経営の安定とJAグループの米穀事業改革」

特別インタビュー
ごはんこそ力が出る
大切にしたい米、そして食を

 
第48代横綱 大鵬幸喜 親方

(たいほう・こうき) 昭和15年生まれ。北海道上川郡弟子屈町出身。二所ノ関部屋に入門、昭和31年に16歳で初土俵。36年横綱昇進(21歳)。優勝回数32回、うち全勝優勝8回、連続優勝6回(2度記録)は、いずれも現在まで歴代1位記録。46年引退、一代年寄として大鵬部屋を興す。今年6月、両国国技館で還暦の土俵入りをした。
インタビュアー:農政ジャーナリストの会会員 坂田正通氏

日本の国技、大相撲の世界で数々の金字塔を打ち立てた第48代横綱大鵬。今回はその大鵬親方にインタビュー。「食べて体をつくるのが仕事」という相撲界からは日本の食の現状がどう見えるのか。農への期待も込めて語ってもらった。


今日は、日本人の食べものについて日頃お考えになっていることを伺えればと思います。まず親方の幼少のころのお話を聞かせていただけますか。

 私は終戦後、5歳のときに樺太の敷香という村から北海道に引き揚げてきました。そのころは日本全体が食料難の時代でしたからね。それをみんなが理解して、子どももぜいたくを言わないであるものを食べたし、親もいろいろ工夫して食べさせていたんだと思います。

 引き揚げ後、お袋は再婚したんですがその相手が小学校の先生で転勤が多いものですから、私たちは道内を転々としました。岩内で小学校に入学して、訓子府、知床の岩尾別、それから夕張の若菜など、毎年のように転校した。転勤の時期は3月から4月にかけてですが、北海道の4月はまだ雪があります。だから、私たちが新しい土地に行っても食べるものが何もない。それで農家から前の年に収穫して室に入っているものを分けてもらってね。

 ですから、米の配給はありましたが、本当の主食はかぼちゃやじゃがいもでした。それでも文句は言わない。私たちは学校の宿直室に泊まらせてもらっていたから、昼ごはんとなったら走って戻ってきて、じゃがいもやかぼちゃを蒸かして食べて。手なんかまっ黄色だったね。かぼちゃで。でも、おいしかった。

 中学を卒業して営林署に就職したんですが、今度は弁当を持っていかなくてはならないことになった。飯盒にごはんを詰めに詰めて一升ぐらいは入ったでしょうね。それを毎日食べるんですから、働くといっても親のためじゃなくて自分が食べるためだった。おかずも昔はしょっぱい塩ジャケと梅干しぐらい。そうやって育ちました。

 昭和31年に相撲社会に入りましたが、当時は、巡業中、地方に行くと農家から鶏を1羽とか2羽分けてもらって、それを潰して鶏がらで出汁をとって「そっぷ炊き」を作りました。しかし、70、80人も相撲取りがいますから、2羽や3羽じゃ肉は足りないわけで下っ端が食べるときには汁しかないということになる。それをファンの人がテントの隙間からみて、相撲の世界はかわいそうだという噂になったんだと思います。けれども、今は肉の部分だけ食べるのは当たり前ですが、そのころはモツや皮も食べていたんです。モツといっても今考えれば肥やしにするようなものだったかもしれないが、それでもおいしかったね。

親の味、これこそ食の原点です

そういう体験からすると、今の日本の食生活はどうご覧になっていますか

 今は自分の食べたいものを言えば親は作ってくれますね。それは大人のための料理じゃなくて、業者も子どもの好きなものをどんどん作るから、大人も自然と子どもの味が好きになる。私には、お袋に作ってもらったカレーは辛かったという思い出があります。フーフー言って汗かいて水飲みながら食べたもんですよ。
 今はカレーでも何でも、その料理の良さを曲げて作っているんじゃないでしょうか。甘い味付けですよ。おいしくたくさん食べてもらおうと業者は思ってやっていることでしょうから、言い過ぎていけないと思いますが、それにしても親はもう少し勉強したほうがいいと思います。そして、それを子どもに教える必要がある。
 人間が成長するためにはいろんなことを学ばなければならないと思いますが、食べることも大切なことの一つです。そうしないと人間として失格になると思う。

 私たちは相撲社会に入ると、日本全国を歩くことになるわけですが、その土地でいろんな食材を買わなければならないから、これはどうやって食べたらいいんだろうと思うことも多い。けれども、そうして考えるうちに味つけの方法もその土地で見つける。単に味の付いたものを買ってくればいいのではなくて工夫してつくるということをやってきました。そのときに親の作ってくれたものも思い出すこともあるわけです。
 人間は成長にするにしたがって味の感覚が違ってきますが、やはり親に食べさせてもらったもの、教えてもらったものというのはいつまでたっても、おいしかったな、もう一度食べてみたいなと思う。これが人間の糧なんだと思います。

輸入食料も増えていますが。

 これだけ食べ物が溢れているわけですが、日本で獲れたものではなく外国から来たものを食べているわけでしょう。
 これには私は大いに反対です。日本には四季があってすばらしい食料ができているわけですよ。米にしても日本の米はおいしい。そう言ってる人は多いですが、米を食べないでパンを食べる。それはみんな輸入した小麦を使っているわけですよね。
 朝からパンじゃ、実際に力が入らないよと私は言うんです。欧米の人はパン食だけど、主食は何かといったら肉をたくさん食べていますね。スパゲティだって向こうでは前菜なんだから。そういうことが分かっていないと思うんですね。

 相撲部屋は当然ご飯ですが、最近は、米をあまり食べないでおかずをたくさん食べろという人もいるようですね。私は反対なんです。おかずはあくまでおかずであって、おかずで腹一杯にするんじゃない、ご飯で腹一杯にしろと言っている。
 それから、自分の体を使いなさいということも言っています。人間、自分の体を動かさなかったらどうするんだと。とくに相撲は自分の体が動かなかったら、頭でいくら考えても勝てない。自分の体で体験、体得したことをやっていけば、道が拓けてくるんです。たとえばご飯を腹一杯食べれば力も出るし気持ちも落ち着く。これも体で体得していることです。だからご飯をしっかり食べろということになるわけです。

入門前にすでに肝機能障害の子も

最近は入門したての若い力士がすぐに健康を損ねるという話も聞きますが。

 これは相撲社会の問題じゃなくて一般社会の問題だと思っています。お相撲さんがお相撲さんを作っているわけじゃなくて、一般社会から入った人間を鍛えるわけでしょう。だから、今の若い力士がおかしいんじゃなくて、今の社会がおかしいと思うわけです。実際、相撲社会に入るときにすでに糖尿病になっている子が多いんですから。肝機能の数値をみるとびっくりする子もいます。
 そこで、相撲協会もこれまでは身長、体重だけが入門基準でしたが、内臓の機能も見なくてはならないということなったんです。14、15歳の子どもがなぜ糖尿病や肝機能異常になるのか。やはり食事の問題だと思いますね。

●親がキチンと子どもに教えること●

相撲社会は秩序や規律に厳しい世界だと思います。一方、日本全体では家庭でもそうしたことが薄れてきますがどうお考えですか。

 今の日本はみんな自分のことで精一杯なんじゃないでしょうか。現役当時、私を鍛えてくれた滝見山関は、たしかに鬼軍曹と呼ばれていましたが、それはあくまで稽古場でのことであって、後は、おい、どこか飯食いにいくぞ、といろんなところへ連れていってくれた。やるだけのことをやったらあとは面倒をみるということです。仕事というよりも、やはりこいつも相撲社会にいる以上立派な人間に育ててやらなくてはいけないと指導してくれたわけです。非常に厳しい稽古でしたが、また明日から活力がでるようにしてくれた。

 今は親も子どもを叱れない時代ですよね。それは親は自分のことばかりで子どもにちゃんとしたことをやっていないからでしょう。たとえば、食事もまともに作らずに適当に食べさせている親も多いのではないかと思います。
 私は、自分が苦労したことを言いたいのではなくて今の時代が大変な時代になっていることを言いたいんです。今日あるのも昔苦労した人たちがいるからですよね。たとえば、資源のない国でありながら、これまで一生懸命苦労して食べ物は自分たちの国で作れるようにしたわけですね。その上に今があるわけだから、もう少しものを大事にするということを見直さないといけなんじゃないか。

 何年か前に米が不作の時がありましたね。自分たちは食べて体を作るのが仕事だから、高くても食べなきゃいけないし、食べさせなきゃいけない。しかし、米不足のときは、地方場所でその土地では米を売ってもらえないんじゃないかと思った。そのときは大阪でしたが、毎年買っている米屋さんは、売りますよと言ってくれたけど、悪いから国産じゃなくてタイ米を30キロ買った。炊いてみると、これなら中華丼にしたりカレーをかければ食べられるじゃないかと思いました。工夫すればたいしたことではない、自分たちはかぼちゃを食って育ってきた人間なんだから、これで十分ですよと。ところが一般の人はタイ米はいやだといったわけでしょう。米は日本人と切っても切れないものだと思いますがそれが分からなくなっているんじゃないでしょうか。

 今は幸せなものです。これだけ食べるものがあるのですから。だからこそ、もっと大事にする、工夫するということを考えなくてはならないと思います。


インタビューを終えて

風格いまだに−
 娯楽の少ない田舎町での30〜40年程前。大相撲「大鵬・柏戸戦」を隣近所集まってテレビ画面にかじりつく様にして見ていた。その主役の大鵬親方にこうしてインタビューできるとは夢のようである。場所は江東区の大鵬部屋。玄関に32回の優勝カップが並んでいる。応接間には今年還暦を祝って、大鵬親方が赤い横綱をしめ、国技館での土俵入りの写真が飾ってある。露払い、太刀持ちに北の湖、千代の富士を従えての豪華版。
 肉体を酷使する力士、特に横綱を務めた人が60歳まで健在なのは稀であるという。紹介者が大鵬親方と長年親しい人なので、家族同然の雰囲気でインタビューした。2歳の男の子が周りをちょろちょろしている。お父さんにそっくりですねと言ったら「コピーと言われます」と秋田美人のおかみさんが横から口を挟んだ。大鵬親方の娘婿は、今年3月場所平幕優勝した貴闘力関である。
 ライバル柏戸関とは、引退間際に親しくなり「やめたらみじめだぞ」と励まされ、それから2年横綱を続けた。酒豪の二人がのむときはウイスキーなら1本、日本酒なら5升はいったでしょうと懐かしむ。友情も厚かった。(坂田)



農協・関連企業名鑑 社団法人農協協会 農業協同組合新聞 トップページにもどる

農業協同組合新聞(社団法人農協協会)
webmaster@jacom.or.jp