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特集:21世紀の農業に虹の橋を架けよう
     農業再建と地域活性化のために

提言 WTO農業交渉
「過剰な経済学」への処方箋を探る

東京大学大学院農学生命科学研究科教授 生源寺 眞一
 WTO(世界貿易機関)農業交渉は21世紀の日本農業を左右する大きな国際交渉となる。農業分野の自由貿易が一層促進されるのか、それとも歯止めをかけ、公平・公正なルールが確立できるのか−−。東京大学の生源寺眞一教授は、自由化の論拠となっている比較優位論を現実に合わない“意図された経済学の過剰”と批判する。焦点の1つである農業の多面的機能に配慮したルールをどう作るか、その考え方を提言してもらった。

未来世代への倫理欠く
 “処方箋”を乗り越えて

(しょうげんじ しんいち)昭和26年愛知県生まれ。51年東京大学農学部農業経済学科卒業。農林省農事試験場研究員を経て平成8年より現職。主な著作に『農地の経済分析』『農業経済学』(共著)『酪農生産の基礎構造』(共編著)など。現在、日本農業経営学会副会長、日本フードシステム学会副会長、食料・農業・農村政策審議会委員、国土審議会委員など。

 環境経済学の教科書が必ず取り上げるトピックスのひとつに、「コモンズの悲劇」というのがある。私自身も、教養学部の2年生を対象とする講義のなかで、1回分の時間を割いて解説することにしている。コモンズとは日本語で言えば共有地である。入会地といったほうがピンとくるかもしれない。地域の農家が共同で利用する農業用水も、一種のコモンズであると言ってよいであろう。
 ところで、「コモンズの悲劇」という表現は、生物学者ハーディンが「サイエンス」という科学雑誌に執筆した1968年の論文に由来している。ハーディンは、地球の有限な資源と、有限性に無自覚に増え続ける人口の関係について、これを共有地の放牧にたとえながら、鋭い警鐘を鳴らしたのである。そして、この警鐘を引き取って論理化したのは経済学者であった。
 8月3日の朝日の夕刊で、岩井克人さんが「コモンズの悲劇」について論じている。岩井さんは日本を代表する経済学者のひとりである。経済学者らしからぬと言ってよいかどうか、射程の長い思索力で知られる碩学でもある。その岩井さんによれば、経済学者の引き取った「コモンズの悲劇」の論理、正確に言えば、経済学者が「コモンズの悲劇」に対して提出した処方箋は、深刻なパラドックスに陥っている。アダム・スミス以来の経済学のロジックが徹底して追放したはずの「倫理」なるものを、再び呼び戻さざるを得ない羽目になったからだという。
 「コモンズの悲劇」とは、みんなのものである共有地では、メンバーの1人1人が利己的に行動する結果、その資源が回復不能なダメージを受け、やがては共有地そのものが崩壊していく現象のことを指す。いま、共有地に全部で千頭の羊が飼われているとする。このとき、1頭の増加が共有地に与えるダメージが1であるとすれば、増加した1頭に跳ね返ってくるダメージは千分の1である。充分に利益を確保することができるというわけである。そうであれば、羊を増やし続けることが合理的である。けれども、みんながみんないっせいに羊を増やしはじめたとしたら、共有地の植生はひとたまりもない。これが「コモンズの悲劇」である。
 経済学者の処方箋は共有地の分割である。共有地を分割して、土地を1人1人の所有地にすればよい。なぜならば、そうすることで、1頭増やしたそのダメージはすべて自分の羊に跳ね返ってくるようになるからである。天罰てきめんだから、無謀な増頭は行われない。これが合理的な行動なのである。この比喩は、多くの環境問題に対する経済学の処方箋を支えているロジックでもある。所有権を明確にすることで、利己心のカバーする領域を拡大すればよい。これが処方箋の基本思想である。
 岩井さんは、1998年の京都議定書に盛り込まれた温暖化ガスの排出権の配分とその取引に、このロジックの一例をみる。そう言えば、汚染権の割当と売買というトピックスも環境経済学のテキストの定番メニューである。ところが、これでめでたく環境問題が解決するわけではないと、岩井さんは続ける。問題は将来の世代にある。将来の世代もわれわれと同様に環境を使用するに違いない。にもかかわらず、未来の世代に所有権を与えることはできない。存在しない存在に権利を与えることは不可能だからである。所有権の付与という処方箋は万能ではないのである。

共感呼んだ日本人の「コモンズ」の精神

 導き出された結論はこうである。未来世代にわれわれ自身が深く配慮することがあるとすれば、それはつまるところ倫理の問題である。自己の利害を抑制し、無力な他者である未来世代の利害に責任を持つことが問われるのである。無力な他者を前に無力化するのは、ほかならぬ経済学の論理である。
 同感である。ただ、これは岩井さんに対してだけではないが、ちょっと引っかかるところがある。つまり、「コモンズの悲劇」は本当かな、と思うのである。よくできた話ではある。それに、比喩によって表現された地球環境については、現に「コモンズの悲劇」が進行中だとも思う。ただ、本家本元の共有地にもたえず悲劇がつきまとっていたのだろうか。そうは思わない。
 考えてみれば、「コモンズの悲劇」が通則であるならば、コモンズはこの世にありえない。かりそめに存在したとしても、悲劇によって自壊するほかはないからである。けれども、共有地は長いあいだ現に存在した。たしかに、入会地は解体された。しかしながら、それは「コモンズの悲劇」によって自壊したわけではない。いわば外から近代化されたのである。あるいは、経済の成長に伴って共有地に生活を依存する人々の数が減少したこと、これが共有地解体の原因であった。人々が共有地を離れたのであって、資源の過剰利用によって自壊したわけではないのである。
 過剰利用の誘因がなかったとは思われない。けれども、そこは資源の利用に厳しいルールを設けることで、共有地は維持されてきたのである。同じ悲劇は繰り返さない。ルールに不都合があれば、時間を掛けて修正する。こんな知恵の積み重ねがあったからこそ、コモンズは世代を超えて引き継がれてきたのである。この点で、経済学者の立論はいささか乱暴である。歴史感覚の不足ではないか。この物言いは、むろん、なかば自戒である。もう一度、まわりをよく見直してみる必要がありそうだ。
 いまさらなんだと言われるかもしれないが、コモンズの精神はいまも農村に生きている。入会地は解体された。農業用水も近代化され、共同作業の負担は昔に比べて軽くなった。けれども、農村の心ある人々のあいだには、コモンズの精神が脈々と生きているのである。コモンズの精神、それは地域資源の共同利用者としての自覚であり、将来の世代全体に向けられる肉親としてのまなざしである。
 話は2月にパリで開催されたシンポジウムに飛ぶ。WTO交渉を念頭に、日仏の研究者同士で農業政策について討論する催しである。自画自賛になってしまうが、なかなか実りの多い会議であった。そのなかで、フランス側の参加者にとくに強い印象を与えたのは、日本側のメンバーに加わっていただいた3人の生産者のお話であった。新潟の忠聡さんと、北海道は中標津の三友さんご夫妻である。今回は三友さんの話、それもごくさわりのところだけを紹介したい。
 三友さんは酪農家である。マイペース酪農の実践者として、ご存じのかたも多いはずである。環境への負荷の小さい低投入の酪農と、手作りの本格派チーズで知られている。その三友さんが、かなり前から木を植えている。寒冷地のことであるから、生長は遅い。けれども、そんなゆっくりとした木々の生長を見守ることで、自分自身も長い時間的視野に立ってものを考えることができる。そういうお話である。30年前の入植当時、灌木すらまばらな牧場に通じる道と、両側に樹木の繁茂した同じ道の現在の姿が、印象的な発表とともにスクリーンに映し出された。
 これがコモンズの精神だと思う。三友さんご夫妻の話には、なんとも言えない安心感がある。安心感の源は、おそらくは大地との結びつきであり、世代を超えてゆっくり進む時間のリズムである。勝手にそう解釈している。農業と農村の特徴である定住性が、安心感を醸し出していると言ってよい。もっとも、実際に親から子、子から孫へと、同じ場所に住み続ける必要はなかろう。次代に記憶と希望を託すことさえできるならば、生物学上の子供が農場を引き継ぐ必要はないのである。

比較優位論と多面的機能

 こういうスピリッツこそが、守るべき日本農業の大切な宝である。守ると言うよりも、残された芽を大事に育てていかなければならない。WTO交渉に臨むにあたって、日本の政府は「多様な農業の共存」という理念を掲げている。とにかくいまの農業を残すのだというのならば、あまり賛成できない。既得権益にしがみつくだけの農業には、一刻も早く変わってもらいたい。けれども、地域社会と孫子の未来をしっかり視野におさめ、努力と工夫の毎日を重ねている農業には、心の底から応援を送りたいと思う。そういう気持ちからのものであるならば、「多様な農業の共存」というフレーズもすんなり耳に入る。
 心配なのは、WTO交渉をめぐる議論がときとして過剰なまでに経済学的な点である。いささかバランスを欠いている。ただし、経済学のロジックは単純ではあるが、非常によくできている。いったんその世界の土俵に上がってしまうと、ほとんど難攻不落だと言ってよい。貿易の自由化を支える比較優位の原理がその典型である。
 ふたつの国があるとする。一方の国では、同じ費用で自動車ならば1台、コメならば20トンを生産することができるとしよう。これをA国とする。もうひとつのB国では、同様に自動車ならば2台、コメならば30トンが生産できるとする。このとき、A国はコメに、B国は自動車に生産を集中するほうがよい。これが比較優位の原理である。例えば、A国で自動車の生産を1台減らし、B国で1台増やすならば、全体として自動車の数は変わらない。けれども、A国では自動車1台を減らす代わりにコメが20トン増え、B国では15トンのコメが減る。結局、全体でコメが5トンだけ多く生産できたことになる。
 面倒だから、これ以上の説明は省く。要するに、A国は1台対20トン、B国は1台対15トンというかたちで比率に違いがあるかぎり、それを利用して生産を置き換えることで、全体としての生産物の量を拡大することができるのである。それぞれの国が得意な品目に特化すればよい。そのうえで増えた生産物を貿易で交換するならば、どの国もハッピーになるはずだ。少なくとも、貿易のない状態に比べて、世界全体の幸福の量は増加する。もちろん、私の国はいやだというのであれば、無理にというわけではない。自発的な取引が自由貿易の原則だからである。だとすれば、比較優位の原則のもとにおいて、意に反して損をする国は論理的にあろうはずがない。
 もちろん、このロジックに対してはいろいろな反論がありうる。なかでも強力な批判は、市場がカウントできない要素を無視しているではないか、というものである。これは経済学の土俵に立った批判である。例えば、農業の多面的機能は生産物の価値に反映されていない。多面的機能をカウントできない貿易が、すべての国をハッピーにする保証はない。そのとおりである。周知のとおり、WTO農業交渉のひとつの焦点は、この多面的機能の扱いであると言ってよい。けれども、経済学のロジックからすれば、多面的機能の扱いに関する解答も簡単にして明瞭である。すなわち、多面的機能のような外部経済や、環境への負荷のような外部不経済については、その便益や費用が確実に生産に反映されるようにしたうえで、したがって真の比較優位構造を整えたうえで、自由貿易を行うことがベストである。これが理論の解答である。

広範な分野での交渉が世界の歪みを是正する

 筆者も、経済学を仕事の種にしている人間のひとりである。したがって、こうしたロジックはほとんど思考の癖と言ってよいほど、頭にこびりついている。しかし、である。論理は論理として、これが現実の貿易自由化の根拠だとされると、いささか違和感を覚えるのである。違和感は、現実に比較されるべきペアが、貿易のない状態と、自由貿易の状態ではないことからくる。
 理論の世界であれば、貿易のない状態と自由貿易の状態の比較、つまり両極端にある2枚の静止画像の比較でよい。けれども、現実に比較されなければならないのは、一方は歴史の堆積の結果として存在する現状であり、一方は貿易に対する制限を交渉によって変更したのちに現れるであろう近未来の世界である。歴史の堆積した結果と一口に述べたが、強い国もあれば、弱い国もある。市場開放の進度にも、国ごとに差がある。国や産業によって、外部経済や不経済への対処の深さにも違いがあるはずである。こういったさまざまな歪みが複雑に折り重なってできあがっているのが、この世界なのである。
 WTO交渉のような大交渉は、世界のルールの改定をもたらす。問題は、比較優位の原理とは異なって、提案されたルールの改定が、すべての国をハッピーにする保証がない点にある。歪みが是正される面もあろうが、拡大する面だって考えられる。むしろ、こう述べるべきであろう。すなわち、すべての国に満足のいくようなルールの改定を、相互に模索する取り組みが国際交渉なのである。また、そうでなければならない。これは、ルールの改定がすべての国に満足をもたらすことを説いてまわる比較優位の思考とは、似て非なるアプローチなのである。
 すべての国に満足がいくルールの改定を模索するのだから、ギブ・アンド・テイクの可能性を広げることが望ましい。広範囲の分野での交渉を行うことには、そういう意味がある。さらに、複雑に歪みの堆積した世界のルールの改定なのであるから、それが本当にすべての国をハッピーにするかどうか、確実に予測できるわけでもない。だとすれば、改定されたルールの効果について、しっかり検証することが大切である。日本政府が、WTO農業交渉提案のなかで、ウルグアイ・ラウンドの成果の検証を強調している。大変よい姿勢だと思う。
 にもかかわらず、しばしば交渉のプロセスでは、極端な静止画像の比較を根拠とする論陣が張られ、ウルグアイ・ラウンド当初のアメリカ政府がそうであったように、農業保護の全廃といったたぐいの過激な主張が展開される。経済学の過剰である。もちろん、主張を掲げるその国も、そんなことは百も承知であろう。むしろ、戦略的に意図された経済学の過剰だと考えたほうがよいかもしれない。

 


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