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特集:2003 おんなたちのPOWERで「変革」の風を
    −第48回JA全国女性大会特集−

助けることは助けられること。
出会いから生まれるエネルギーを大切にしたい

山崎博子さん ドキュメンタリー映画「タラウマラの村々にて」の監督


◆現地で暮らし井戸掘る日本人の活動を記録

山崎博子さん
やまざき・ひろこ 昭和26年大阪生まれ。関西大学ドイツ文学科卒。コピーライターなどを経てコロンビア大学、UCLA大学院で映画を学ぶ。平成元年「ジャクスタ」でロサンジェルス女性映画祭最優秀短編映画賞受賞。「ぼくらの七日間戦争2」監督・脚本。ほかに「夕暮れ時」「いのちの生まれる時、ブラジルにて」。

 ドキュメンタリー映画「タラウマラの村々にて」は、メキシコ山中の村々での井戸掘りを依頼された日本人の活動を記録したものだ。
 その日本人とは青森県で養鶏を営んでいた石田恵慈さん。アジアやアフリカで農業や井戸掘りなどの技術を現地に伝える活動しているNGO「風の学校」から派遣された井戸堀専門家である。山崎さんは石田さんが最初に現地入りするところから同行撮影を始めた。
 日本から現地までまる3日。メキシコ先住民の住むタラウマラは標高2300メートル。電気もガスも水道もない。400年前と変わらない自給自足の生活が営まれているが、岩盤地帯のため水不足は深刻で、わずかな水も水質が悪く幼い子どもが命を落とすこともあるという。
 そんな荒地で村人と生活しながら井戸を掘るーー。山崎さんも現地での撮影中は村人と生活をともにした。
 なぜ、これを記録しようと思ったのか。
 山崎さんは、80年代のバブルの時代、アメリカに住んでいた。
 「そのころ、経済成長をなしとげ効率だけを追い、モノで豊かさを象徴する日本人像ばかり伝わってとても情けなく思っていました。そうではない日本人を映像にしたいと考えていたときに石田さんのことを知ったんです」。
 そうした理由のほかに、山崎さん自身に「井戸への哀惜」があったという。大阪の実家は農家で、子どものころ井戸は身近にあった。夏にスイカを冷やしたりそうめんをさらしたりした。その井戸は30年ほど前、近くに高速道路ができたら涸れた。そして、今はペットボトルで水を飲む時代、一方で水洗トイレでは水は流し放題である。「水」も撮影を決めたキーワードになった。

◆模索する姿こそ大切に
  水も電気もない村々で

ドキュメンタリー映画「タラウマラの村々にて」のチラシ
ドキュメンタリー映画「タラウマラの村々にて」のチラシ

 海外で活躍する日本人、というと格好のいい姿を思い浮かべるかもしれない。しかし、山崎さんのカメラが写す石田さんは、津軽なまりで朴訥だし、現地の人とは言葉が通じずコミュニケーションに苦労する。
 実際、映画の前半は、井戸を掘るための調査で村々を歩きまわり、ときには手で荒地を掘り返して、こんな岩盤地帯に本当に水が出るのかと悩み、うろうろする石田さんが記録されている。
 「石田さん自身も写されるのは嫌がった場面もあったんです。こんな格好悪いところは絵にならないでしょ、と。でも、私にはおもしろかった。模索しているところこそ丁寧に記録しておきたいと思いました」。
 記録映画作家の羽田澄子はこの作品を「不思議な情景が展開する」と評しているが、観てみるとその不思議さは、人間が何かを生み出そうと懸命に模索している姿に寄り添っているところにあるかもしれないと思う。
 「女の視点ということなら、石田さんがうろうろする姿を大事に追ったというところにあるかもしれませんね」。
 男性なら井戸が完成するまでをいわゆる絵になる場面だけでドラマチックに映画に仕立てたのでは、という。石田さんとは同世代、だから「等身大の日本人男性を撮ったことにもなる」とも話す。

◆本当の豊かさとは何か
  村人の生活から見えてきた

 ようやく井戸掘りを始めるというシーンになっても、村人たちを集めて大声で作業を指示するような場面は出てこない。コンクリートを流し込む仕事、ブリキの型枠を切る仕事、どれも石田さんが始めると村人や子どもたちが集まってきて、淡々と手伝う。
 ゆっくりと井戸堀りは進む。
 ジェネレターが故障し、井戸底の岩盤を掘り下げる作業は鑿を使った手作業になった。石田さんが堅い岩を割っていく。それを見ていた村人が交代する――。じっと見つめる少年。
 映画のなかで石田さんは、タラウマラの村が故郷、青森の農村と似ているなと話す。山崎さんも「ゆったりとした時間の流れ、人々の交流に懐かしさを感じました。自給自足で生活は大変だけど、私たちがなくしてしまった豊かさがあると思いましたね」という。

◆陣痛がなければいのちは生まれない
  「待つ」ことができない現代

撮影風景
撮影風景

 村々に井戸が完成したからといって、それで活動が終わりではないことをこの映画は教えてくれる。井戸のメンテナンスに村を訪れ、水量、水質を調査する石田さんの姿が描かれている。なかには、洪水で井戸が壊されそうになり村人とともに周りに石を積み上げていくシーンもある。
 結局は涸れてしまった井戸もあるという厳しい自然のなかで、雨水を溜める工夫を村人と始める場面もある。このプロジェクトは現在でも進行中だ。
 この作品の撮影中、山崎さんはもうひとつのドキュメンタリー映画「いのちの生まれる時、ブラジルにて」を完成させている。
 これは自然分娩での出産を撮影した映画である。
 この作品を撮って山崎さんはこう話す。
 「陣痛がなければ生命はうまれてこないということが改めて分かった。何千年、何万年たってもこのことは変わらないんだと」。
 かつては出産には助産婦が立ち会ったが、今は医療の一部になった。そして、陣痛促進剤なども使われるようになり「何月何日何時にと、時間予約しての出産」もある。これも効率化だ。
 どこに水脈があるのか分からない土地での井戸掘りを追った映画は「模索」を記録した。
 ふたつの対象にカメラを向け続けた山崎さんにある共通する思いが浮かんできた。
 「今は、待つのが嫌、という時代ではないか。けれども、時間を短縮できないこともある。農業もそうですね。陣痛を経験しなければ子どもが生まれないという体験をする女性が、さまざまなことに決定権を持てば、価値観が変わるんじゃないでしょうか」

◆出会いによって私たち自身が分かる
  大地からのエネルギーも感じた

 石田さんが所属しているNGO「風の学校」は国際協力のための人材育成の場として設立され千葉県に事務局がある。その基本姿勢は「助けることは助けられること」だ。初代代表の故中田正一の言葉だという。
 山崎さんもこの言葉を実感している。作品の完成まで、日本からまる3日もかかる現地に何回も出かけ足かけ3年間撮影を続けた。
 記録し続けられたのは、「現地の人々からも、大地からもエネルギーがもらえたから。また行こうと思うんです。」
 国際協力といえば、日本を脱出し現地のために働くというイメージがある。
 「いえ。決して日本から、日本人であることから逃れることはできないと思います。逆に私たち自身が抱えている問題を突きつけられるのだと思います。出会いによるエネルギーを大切にしたいですね」。

●映画「タラウマラの村々にて」の上映についてはeiga-joei@juxta-pictures.comへ。ホームページは、http://www.juxta-pictures.com



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