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特集:21世紀の日本農業を拓くJAの挑戦

特別企画

対談
21世紀を拓く道は―日本経済と農業のゆくえ
 農業こそ新しい成長エンジンの牽引力に


経済評論家 内橋克人氏
國學院大學名誉教授 三輪昌男氏


 マネー資本主義という『虚』の経済、米国へ富を集中させるグローバリゼーション、その陰で増える貧困と飢餓など世界経済の歪んだ構造を告発しながら対談は進んだ。三輪さんは、このままでは希望が持てないとし、そうした構造からの大転換を図る時期がきたと語り、草の根の言論の盛り上がりを指摘。そこに21世紀を開く救い、光明があるとした。内橋さんは、分断・対立の『競争セクター』に対置する協同・連帯の『共生セクター』を足腰強く育てなければならないと提言し、農業がその推進力になるべきだとした。


世界の構造をあぶり出した同時多発テロ
増える貧困者、富は米国へ一極集中

◆貧困からの脱却へ世界の目が向き始めた

(うちはし かつと)昭和7年兵庫県生まれ。新聞記者を経て評論家。現在、NHKラジオ「ビジネス展望」などのレギュラーをはじめ、テレビ、新聞、雑誌などのメディアを舞台に発言・執筆活動を続けている。主な著書に「匠の時代」(講談社文庫)、「内橋克人・同時代への発言」(岩波書店)など。

 三輪 最初に「米国同時テロ」以後の世界の政治、経済をどうみるか、次いで小泉首相の構造改革と、その基調にある新自由主義・グローバリゼーション、それから日本農業の現状と、その行く手、といった大筋で話を進めたいと思います。まず、21世紀をどう拓くかに大きくかかわるテロ事件後の情勢の見方をお話下さい。

 内橋 米同時多発テロは世界の構造を表面にあぶり出しました。いま世界で何が進みつつあったのか、それは好ましい方向だったのか。テロによってあぶり出された世界構造の当否を人々が問うようになった、ということです。

 三輪 隠れていてよく見えなかった実像が表面に出てきた、全く同感です。

 内橋 問われ始めた一番の問題は『貧困』です。英国ではBBC放送が、徹底して「貧困」をテーマとした特集番組を報道し、他国とは違った世論の生起がみられます。ジャーナリズムの姿勢は影響が大きいということですね。世界の人口約60億人のうち1日1ドル以下の所得で暮らす人々が12億人、飢餓線上に苦しむ人々が8億人といわれます。貧困者層は減るどころか、世銀の調査も示しているように増え続けています。一方で、富は米国への一極集中を加速させる構造です。
 これがテロを生んだとはいいませんが、テロを根絶できない基盤や環境につながっている。そこに人々の目が向き始めた。なぜ、世界は貧困を温存し続け、そこから脱却できないのかと。1990年代の世界を席巻したのは、まさに資本主義市場経済の特殊な形態である『マネー資本主義』であった。いわば「マネー」が経済を支配する『虚』の経済であり、それはゲートレス化を求め、その手段をとおして絶えず各国間に国民経済の規制緩和を要求してきました。

(みわ まさお)昭和元年山口県生まれ。東京大学経済学部卒。(財)協同組合経営研究所研究員、國學院大学経済学部教授、同部長を経て定年退職。國學院大学名誉教授、日本協同組合学会元会長。主な著書に「自由貿易神話への挑戦」(訳書、家の光協会)、「農協改革の新視点」(農文協)など。

 三輪 農業問題でも、関門をなくせと要求してきました。

 内橋 ええ。多国間投資協定(MAI)など、アメリカ主導の「資本・投資の徹底自由化」論もシンボリックな出来事の1つでした。これはマネーにとってのゲートレス要求です。もともと貨幣はモノの価値を計る基準であり、モノを交換する媒体でもありましたが、現在では利が利を生む商品に変質してしまいました。いま、世界に流通しているドルは300兆ドルとされますが、地球上のあらゆる国の国内総生産(GDP)合計は30兆ドル。貿易の決済に必要なドルはわずか8兆ドルに過ぎません。
 必要量の何十倍ものマネーが世界中を駆けずり回っているわけで、その障壁を取り払おうとしたのがMAIでした。そこに米国がヘゲモニーを握ったグローバリゼーションの正体がすけて見えます。

 三輪 国際投資の自由を徹底して保障するというMAIの話など、日本ではほとんど知られていません。特に農業・農協界では。情報が乏しいんです。国際的なNGO(非政府組織)からすると常識の情報が。日本の報道・言論界はおかしいです。

 内橋 MAIについては、日本も含めた世界のNGOががんばってストップさせました。東京・杉並では、住宅地のど真ん中に出店を図った24時間営業の外資系スーパーの進出を区条例で食い止めることができましたが、もしMAIが成立しておれば、外資に対する不当な差別だとして、日本政府が訴えられていたかも知れない−−。

◆貧困の要因にマネー資本主義−第3の道への模索が

 三輪 OECDでの検討・採択はストップさせたけれど、WTOでまだ出てくる可能性大です。油断はできません。問い直すべき構造のゆがみの話を続けて下さい。

 内橋 世界銀行や国際通貨基金(IMF)は80年代まで新興国などの経済的支援に当たっては、ベーシック・ヒューマニズム(人道的視点)を最重視してきました。ところが、90年代に入ると、ビッグバンアプローチ(新古典派型開発戦略)がとって代わり、アジアの通貨危機に陥った国々に対しても、支援と引きかえに必ず市場化を要求するようになりました。マネーを媒介として貧しい国から富める国へと富を移す手段の1つになっています。
 さらに米国は電子商取引の無関税化も主張しています。ネットを介してコンピューターのソフトはじめ知的生産物は、遅れた国へ瞬時に入り込めますから、一方で知的所有権による使用料を取って、他方で関税がゼロだとすれば、遅れた国はますます遅れ、進んだ国はさらに進むという構造が固定化します。モノならば関税の上げ下げによってで輸入を防圧しながら、自国産業を育て、先進国に対抗するという手法もとれますが、ソフトではそれができません。だから、遅れた国が時間をかけて前進していける手段をすべて封じてしまう自由が、グローバリゼーションの構造だったのであり、そのようなあり方は望ましいのか、と人々が問い直し始めたということです。第3の道を模索し始めたという状況がテロの後に出てきたと思います。

 三輪 テロがあぶり出した問題の本質をどう見るか、それをプラスに転化できないものかと考えることが21世紀の世界史を決めていく、というお話だったと思います。
 米国の報復が始まった当初は、過去20年ほどの出来事を踏まえて、米国こそ最大のテロ国家ではないかという反応が第3世界のNGOにありました。しかし、いまは、テロの背景に貧困、飢えの問題があるという声が強く浮かび上がってきています。そのことを的確に指摘されました。
 貧困の要因には、マネー資本主義があり、それを米国がリードしている。IMF、世銀、WTOなどがからんでいる。その中で、富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなっていく、これでよいのかという思いから、識者の間に打開論が高まり、そこに21世紀を拓く光があるという論旨の展開でした。
 ところで、話題になった「ショウ・ザ・フラッグ」ですが、あれは米国の姿勢を端的に表現していると思います。旗を見せろ、お前は敵か味方か、敵なら殲滅するぞ、という姿勢です。旗が2種類しかない。これでは平和はきません。敵か味方かではなくて、多様な価値観を承認して進んでいこうじゃないかという立場が必要ですが、そこに米国の抱えている大きな問題点が露呈されていると思います。

 内橋 あの言葉は、アメリカでは頻用されますが、イギリスではあまり使われることのない語法ですね。

 三輪 先ほど、BBCの話が出ましたが、日本のマスメディアにも、今回は珍しく「敵か味方か」でなく、従来とは違った、まっとうな見方をする動きが一部に見られます。これは救いだと思います。貧困の問題を生んだグローバリゼーションについて、もう少しお話下さい。

 内橋 昨年から今年の世界経済を見る場合、まず米国の浪費構造に終焉の時が近づいているという認識が重要だと思います。米国ではテロの後、連邦準備銀行(FRB)が昨年に入って10回目の利下げをし、通貨供給総量もぐんぐん増やしています。にもかかわらずGDPは減少を続けている。この指標への着目が非常に重要です。日本も同じで、日銀に通貨供給総量を増やせと求める派手な意見が目立ちますが、それをやってもGDPはもはや成長しない時代がきています。
 米国ではもう1つ、貯蓄率が上がっています。米国の消費構造は、これまで可処分所得以上に消費をするという「浪費」に支えられていました。消費者金融からの借金も厖大で、その場合の担保は株価の上昇益です。NY株式市場の高騰を期待して借金し、それを消費に向ける、というのが一般的でした。
 だから貯蓄率はゼロかマイナス続きだったわけですが、株価上昇も止まって貯蓄率が上がり始め、テロ後の10月には4.7%にはね上がった。一方、失業率も5.4%に上がりました。ところが、アジアと日本は、対米輸出で経済を成長させ、あるいは回復させるという手段しか現実には対応策がない。だから世界同時不況の恐怖に脅えるわけです。対米依存度の極めて高いグローバリゼーションが大きな転換期にさしかかっていることを意味しています。ここを明快に自覚しないと、農業政策にしてもWTO交渉にしても日本政府は次の政策へと進めないでしょう。90年代、そしてそれに続く時代の構造の多くが限界にきていますね。投機的なヘッジファンドに目を向けても、モニタリングをやらざるを得なくなりました。世界の資本移動ひとつ、これまでは資本輸出の6割以上が米国に集中してきました。で、米国からの支援は、といいますと、途上国への対外援助は政府予算の0.6%程度なんですね。
 米国は一国繁栄主義の上に立ってグローバリゼーションを唱え、農業自由化を主張してきました。そうした仕組みを見直すべきときにきています。協同組合のみなさんも、世界経済の質的変化をしっかり見届けてほしいと思います。

◆すべて市場原理主義でよいのか−IMFの失敗の二の舞に

 三輪 そこで、日本農業は、どうすべきかということになりますが。

 内橋 日本の工業、第2次産業が衰退し、相対的に力が失われてきています。いま、農業のGDPに占める割合は10%にも満たないとはいっても、農業は日本経済をあるべき姿へと進めていく役割を担っています。新しい成長エンジンの物心ともに牽引力にならなければならない。それを期待する人は多い。例えば井上ひさしさんなどは、かねてから「農」に大いなる期待を込めてきた作家です。農業の社会的価値、新たな農的価値を見つめ直すべき状況にきています。そこを押さえて人々に強いメッセージを発信できる政策なり戦略を農協側が持つようにと求めたいですね。そのためには過去の農協のあり方も含めて問い直すことも大事でしょう。各地の農協の“名士”の方々にお会いして、いろいろなことを考えさせられます。
 ところで、小泉「改革」ですが、よくやっていると評価している人々もおりますが、私はそうは思いません。

 三輪 小泉「構造改革」に話題を移しましょう。不良債権処理とか特殊法人整理とか、新規国債発行30兆円枠とか、掛け声だけはいいのですが、日本経済の行方、ビジョンはどうなのか、行方不明の景気回復の話ばかりですね。

 内橋 構造改革なくして景気回復なしというのは、政治的スローガンとしては成り立つかもしれませんが、まっとうな経済学者は、小泉流・構造改革のあとにも従来型の景気回復はないという認識です。中には笑っている人もいます。これはレトリックであり、同時にトリックです。明らかな矛盾ですが、しかし支持率は高い。なぜか。それは政官業ゆ着、利権構造、天下り、権威主義といった身内資本主義的な政治のあり方に対して、小泉さんは、果たし状を突きつけた、そこが支持されているわけで、その点は評価できます。
 問題は改革の方法です。身内資本主義、言葉を変えていえば、アジア的なクローニー資本主義を超克するのに、すべて市場に任せさえすればよい、という市場原理主義で進めていいのか。これはIMFが失敗した方法です。かつてヘッジファンドが暴れ回って始まったアジアの通貨危機ですが、IMFは危機に見舞われたタイや韓国はじめ多くの新興国を支援するのに、さきにも触れましたビッグバン・アプローチをもってしました。例えば、国営企業はすべて民間に任せろと市場化を強要してかえって危機を深刻なものにしました。同様の方法で身内資本主義的側面を打破できるのかという問題です。
 さらに不良債権処理の大問題があります。中でも信用組合や信用金庫、第2地銀の破たんが相次ぎ、地方経済危機は深刻です。地域産業が疲弊し、地場産業は中国などへ生産拠点を移すなど地方の空洞化が進んでいます。そういう状況の中にあって、ビッグバンアプローチで構造改革ができるのかというのが最大の問題です。小泉支持の国民には見えていないのでしょう。派手な官僚征伐のポーズがウケているのだと思いますね。


日本経済復活の芽は農村社会に
新たな「農的価値」を見据えて

◆水道の蛇口閉めずに水をかい出
  90年代不況の下で増える不良債権

 三輪 規制緩和が万能薬みたいにいわれてきましたが、全く効かない。提唱者たちは、効果がないのは緩和が足りないからだといい続けています。農業でも株式会社の参入実現とか。気楽なもんです。そうした中で強調しなければならないと思うのは「新自由主義」です。日本ではあまり聞かないのですが、NGOの世界ではごく常識的な言葉です。優勝劣敗の市場競争を賛美し、弱肉強食を当然とする思想。米国主導のグローバリゼーションを貫くこの思想が、小泉改革の基調にある。小泉は適者生存の毒消し解説をしていますが、これは規制緩和をして万事を市場に任せる中で、強者を優遇していく筋道−−不良債権処理も税制改革の方向もそうです−−を人々に受け入れさせようとするものです。
 米国ではレーガン大統領の時に所得税の累進税率を大幅に下げて強者を優遇しましたが、ブッシュ(父)政権は少し元に戻し、クリントン政権でも少し戻した。米国でさえ強者優遇税制を修正しているのですが、日本では報道されず、知られていない。

 内橋 日本では成功したと信じられているレーガノミクスとサッチャリズムですが、とても、そうはいえません。現に英国のブレア首相は、サッチャー元首相の「負の遺産」の清算に精力を削がざるを得ませんでした。新古典派とネオリベラリズムの時代はヨーロッパにおいてはすでに過去のものです。
 さて不良債権ですが、バブル時代に禍根をもつような不良債権についてみますと、実はすでに大手15行ではほぼ処理済みなんです。問題は90年代不況のもとで無限に増え続けている不良債権です。水道の蛇口を閉めないで水をかい出しているようなものです。日本経済はすでにデフレスパイラルに突入している、と私は思いますが、それをストップするための新しい成長エンジンがありません。小泉改革は多分、袋小路に入ると思います。
 過去のエンジンは地価の上昇でした。バブル時代の地価はGDPの5.5倍まで上がった。それ以前は3.3倍でした。諸外国では、GDPと土地資産総額はほぼ1倍で見合っています。そもそも多くの先進国では、人間の生存基盤である住宅地や農地を投機対象にしてはならないと定めているからです。北欧でもバブルが起こり、不良債権が発生しましたが、95年をはさむ2、3年できれいに解決することができました。商業地だけのバブルで、処理がしやすかったからです。
 それに比べ日本の土地投機は無際限のもので、したがって悪性バブルとなってしまったために、処理ができない。そしていま、もはやその地価上昇の再現も期待できず、当然ながら従来型の景気回復もあり得ないということになりました。

◆「自給自足圏」の形式を−食料確保は生存権
  「共生セクター」があってこそ健全な社会

 三輪 では、小泉改革に代わる代案の決め手は何かということになりますが、いかがですか。

 内橋 私は70年代初めから、農業を含む食料・フーズのF、エネルギーのE、ケアのCからなる「FEC」の自給自足圏形成に向けて世界は動いていると唱えてきました。最適な地域エリアの中で3要素の自給自足圏を形成するということです。
 まず食料です。日本はいまや食料の輸入大国です。地球環境からみれば、カネを出して、よその国の資源を奪っているということです。例えば、農作物に不可欠な水を奪っているということです。水は希少資源の最たるもので、それを奪うということは、経済大国を名乗りながら、国際貢献をしていないということです。食料確保は生存権なのであり、だから、私は「圏」とともに「自給自足権」という言葉も使っています。地産地消も、こうした考え方の1つでしょう。
 次にエネルギーです。欧州では再生可能エネルギー産業をつくることで、新たな基幹産業を立ち上げた国がたくさんあります。デンマークはオイルショックの時、自給率を高めなければ国が滅びる、として風力発電を中心にバイオマスや燃料電池などの開発に取り組み、今では化石燃料と原発以外の電力生産技術のメッカです。石油ショックの頃、同国の第一次エネルギーの自給率は1.5%でしたが、いまは120%近くで、20%は輸出しています。食料自給率は300%ですね。これが国際貢献です。ちなみに北欧の中でデンマークだけはバブルにまみれなかった。農業がしっかりしていたからですよ。

 三輪 最近、農業・農業界で語られている地産地消を、食料からエネルギーへと広げて代案を提起されたことは、米国の貿易構造に依存した世界経済の運営システムは、もうダメなんだといわれた、それに対する代案になるわけですね。自給自足圏には、国内の地域だけでなく、いくつかの国にまたがった地域という考え方もあります。そうしたことをNGOの代表的な論客たちも共通していっております。
 では、F、Eの次の「C」について−−。

 内橋 ケアについては単に福祉とか介護のみならず、人間関係を含めた総体と考えるべきです。全国を回りますと、高齢・少子化が進んでいる過疎地で、すばらしい福祉産業が町を支えているところがあります。FECはこれから世界の大きな思潮になるでしよう。しかし米国にとって農業は戦略的・国益産業だから、他国の自給自足圏の形成は困るわけで、様々な手を打って反対してきています。WTO交渉も、その場になるでしよう。
 しかし、あのヘッジファンドで稼ぎまくったジョージソロスでさえも「われわれのやってきたことが限界に直面した、次は地域の人々が富を奪い返す番になるかもしれない」といっています。むろん日本農業の根本を考えると前途の楽観は許されません。しかし、米価や農業政策やWTO交渉の行方を心配するというところだけに関心を限定してしまわないで、もっと視野を大きくして新たな農的価値を見据え、追求していくことが重要だと思います。消費者は物価が下がれば喜ぶんだと価格破壊を礼賛してきた市場原理主義者が、現政府をも乗っ取っているわけですが、物価が下がれば賃金が下がらないはずがない。そこを見ないで生産者と消費者をバラバラにして高コスト体質の解消を叫んできた人々が多過ぎます。しかし、人間は生きる・働く・暮らすが新しい農的価値とは、工業優先の中でバラバラにされてきたものを再び統合していく精神的な推進力です。
 過疎地では、高齢者が採算を度外視して農作業をしています。これは働く・暮らすことを農的価値で統合した「福祉」的生き方であり、ワークフェアの考え方といえます。北欧にはワークとウェルフェア(福祉)の合成語として、ワークフェアという言葉があります。
 分断・対立・競争の「競争セクター」に対して、協同・連帯・共生の「共生セクター」があってこそ初めて多元的な経済社会、健全な社会だといえるでしょう。90年代は共生セクターを根こそぎぶっつぶすように市場原理主義が猛威を振るった時代です。今後はそれを足腰強く育てていかなければなりません。
 農業がその推進力になる、その芽は地方にたくさんある、「地方に宝あり」ですね。浪費なき成長、節約と成長が両立するような、あるべき経済の胎動を、私は地方の農業に見ています。農的価値とは人間復興です。

◆「輸入国の都合で貿易」が一番公正
  競争セクターは消費者、生産者を分断

 三輪 いいお話をいただきました。さてWTO問題ですが、農業交渉は一昨年から始まっており、日本政府は多面的機能でフレンズ国の認識が一致したといい、輸出国と輸入国の立場を平等にすることなどを主張していますが、私はもう1歩進んで、輸入国の都合で貿易をすれば一番公正な貿易になるんだという主張をすべきだと思います。そういう視点の根本的転換の時期がきているということを、強調しておきたいと思います。
 一方、企業の9月中間決算をみると、自動車メーカーは1社と事故を起こしたもう1社を除いてみな黒字です。自動車だけがもうけているのかという話になりますが、勝ち組と負け組が非常にはっきりしてきています。もう少し長く歴史を振り返ってみて、自動車産業が伸びてきた反作用で農業が衰退してきたといえる状況があります。
 これでよいのか。農業関係者はこうした形勢を逆転させる意気込みで考え、主張する必要があると思います。
 21世紀を拓く観点から話題を2つ。国際的なNGOの情報を見ていると、草の根レベルの言論の盛り上がりがすごいですね。そこに共通のキーワードが2つ出てきます。「協調」と「収れん」です。NGOの間にも異論があります。しかし、対立するのではなく、多様性を前提に、互いに理解し合う努力をするというのが協調です。それをおしすすめていくと収れんが起こってきます。意見が統一され、実現へ向けて大きなエネルギーが生まれる。これはテロ報復にみられる「敵か味方か」という米国流の考え方や行動に対抗する、基本的な価値観だと思います。
 それから、テロの直後に国際協同組合同盟の総会がソウルで開かれ、役員改選でイタリアの代表が新会長に選ばれましたが、就任あいさつで「テロとは新しい方法で戦わなければならない。軍事行動は解決の方法ではなく、人類をより大きな戦争に巻き込むものである。重要なのはテロが起こり、拡大する原因であり、経済のグローバル化を見なければならない(略)。協同を通じて危機を克服していこう」と述べました。すばらしい発言だと感心し、協同組合の行く手に意を強くしました。

 内橋 共生セクターに対して「競争セクター」の原理は分断です。日本のコメは高いと消費者にいわせて生産者と分断し、対立させ、そこに市場を置けば利益チャンスになりますから。
 グローバリゼーションに追随してきた経団連などは、日本農業不要論と国際分業論を唱えてきました。しかし、彼らの追随論は破たんし、今や「日本工業不要論」という皮肉な時代の成り行きです。自動車産業にしても、トヨタとホンダを除き、ほとんどが外資の手に渡ったのですから。第2、3次産業中心の経済観は破たんしました。
 汗水たらしてモノをつくっても、ヘッジファンド1つで天文学的倍数の巨利をさらわれ、米国一極へと吸い上げられてしまいます。「実」の経済が、ネットに乗って走り回るマネーが一瞬にして巨利をさらっていく「虚」の経済に追いつけないのです。「虚の経済」は決して世界の富を増やしませんから、このままでは世界経済が行き詰まるでしょう。

◆協同組合は消費者教育をしっかり−「ただ安ければいい」ではダメ

 三輪 フランスのNGOが金融取引に税金をかけろという運動を始め、いくつもの国に広がっています。

 内橋 資本移動に関してですね。それから日本国内の所得の移転では、超低金利も生保の予定利率引き下げも医療費の負担増にしても、みな同じ所得移転の構造です。一般生活者の預貯金の金利を不良債権処理に回しても、まだ足りないで、税金を投入するといった、生活者の側からすれば三重の移転になっています。だから消費が萎縮するのです。

 三輪 消費を拡大しないと不況から脱出できません。どうして拡大するかの観点からすると、不良債権処理なんてとんでもない。

 内橋 協同組合には消費者教育をしっかりやってほしいと思います。消費者は商品が安ければよいと教育されてきました。しかし安ければそれでいい、というのでは、なぜそれは安いのかと問いかけて、たとえば第三世界から生産費も生活費も満足に払わないようなコストで開発輸入されたからだとわかれば、そんなものはいらないといえるような自覚的な消費者が求められます。
 デンマークでは国際的な原油価格がどんなに下がっても、国内の石油製品価格を下げません。化石燃料の消費を抑えるため二重価格にしているんです。二重価格は諸外国では普通のことですよ。それでも消費者は文句をいいません。そのかわり社会保障は完備しています。
 最後に、FECのケア関係になりますが、コミュニティが残っている地域社会では老人医療費がものすごく安い。それは高齢者のワークフェアがあること、肉親が近くにいるということからです。高齢者が倒れてもすぐに肉親が駆けつけ対応が早く、寝たきりになってしまわないからです。少子化問題でも、例えば東京都心では子どもの数が平均0.2人ですが、沖永良部島は2.75人です。文化の中心とされる東京ですが、子どもの保育費や生活費が高くて子どもを育てにくい。これは大都会に共通です。だからこそ各地にかろうじて残っている地域社会を大事にしなければなりません。連帯・協同・共生の思想が必要です。こうした観点から考えると、日本経済復活の芽は農村社会にこそあるのだ、と確信をもっていえるでしょう。
 農業は共生セクターの大きな柱ですから、今年は農業関係者が新たな農的価値を総合的に再認識し、農業から日本全体に対して力強いメッセージを発信して、先頭に立っていただきたいと思います。

 三輪 このままでは、希望が持てませんからね。世界規模で草の根の言論、代案提起、実現運動、が盛り上がっています。大転換に向けて反撃に出る時期がきています。21世紀の日本経済・農業の行く手を、好ましい方向に拓く展望を描いていただきました。ありがとうございました。

(対談を終えて)
 この対談は、農業・農協関係メディアのものとして異色だと思う。それを企画した本紙の期待に、内橋さんは十分に応えてくださった。
 農業へ寄せる、内橋さんの思いは熱い。内容は大きく、深い。それが、世界と日本の大状況を見据えたなかから生まれていることは、まったく明らかである。
 その内橋さんからみて、農業・農協界の現状は、いかにも歯がゆい。短いけれど、鋭く、それを口にしておられる。厳しい批判である。受けた側は、真剣に応じなければならない。
 MAIの話、国際金融取引への課税(トービン税のような)の話など、グローバルなNGO運動のなかでごく常識的な話だが、農業・農協界ではほとんど知られていない。完全な空白地帯。その異常さに気づく必要がある。
 新自由主義が支配する現状からの大転換。その道がきわめて厳しいものであることは言うまでもない。そうだ、大転換など夢想でしかない、と冷笑する人もいよう。しかし、冷笑から何が生まれるのだろうか。
 インタビューを打ち切ったあとの余談のなかで内橋さんは、「この間まで私はごく少数派だったけれど、今や多数派ですよ」と言われた。スーザン・ジョージは同じ文脈で「皆さん自信を持ちましょう」と言っている。大転換に向けて、自分の立場でできることをしよう。私は、そう思っている。(三輪)


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