農業協同組合新聞 JACOM
 
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特集:第23回JA全国大会特集 改革の風を吹かそう
    農と共生の世紀づくりのために

特別企画
対談・農と共生の時代づくりをめざして

農業の持つ知恵をモデルに新たな社会づくりに向かおう

神野直彦 東京大学経済学部教授
梶井功 東京農工大学名誉教授

 構造改革が叫ばれているが、今の路線は「設計図なき破壊」だと神野直彦東大教授は批判する。本来描くべきは工業を軸とした社会の行き詰まりを超える自然と人間の新しい共生社会だという。そうした設計図の原理となるのが、自然を相手とし人と人が協力するという農業がモデルになると説く。農業の可能性に基づく新たな社会への展望を梶井功東京農工大名誉教授と語りあってもらった。


■工業を軸にした社会の行き詰まりをどう超えるか

 梶井 私どもの友人で今年2月に亡くなった國学院大学名誉教授の三輪昌男さんは、生前、本紙で新自由主義は強
神野先生
じんの なおひこ 昭和21年生まれ。昭和44年東京大学経済学部卒業。日産自動車を経て、東京大学大学院経済学部研究科博士課程修了。大阪市立大学助教授、東京大学助教授を経て、現在、同大経済学部・大学院経済研究科教授。主な著書に『「希望の島」への改革―分権型社会を作る―』(NHKブックス)、『二兎を得る経済学―景気回復と財政再建』(講談社)など。
きを助け弱きを挫く政策だ、それにのっとって進めている小泉内閣の構造改革はもってのほかである、と憤慨して盛んに批判していました。
 神野先生も小泉改革への批判を展開しています。小泉首相は続投のようですから、まず今の構造改革の本質は何なのか、どこに問題があるのかといったことからお話いただけますか。

 神野 第二次大戦後、国際的には自由主義を進める一方、国内では所得を再分配するという考えを前提にして多くの国が中央集権的な福祉国家形成をめざしてきたわけです。しかし、産業構造が大きく変わってきて福祉国家を支えていた枠組みが崩れ始めた。
 そのときに人間の歴史そのものをより進歩させるような方向に転換しなければならないのに、それを逆転させ始めたのが新自由主義なのではないかというのが私の認識です。
 国民国家が加えている規制は緩和しろ、国民国家が経営している国営企業は民営化しろという大合唱を起こして、社会のあらゆる分野に競争を強いる、言い換えればそれは強いものが強いものとして生きていく社会、弱いものが弱いものとしてしか生きていけない社会にしようということであって、それを活性化だと主張をしているのが新自由主義だと思います。
梶井先生

かじい いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒業。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同大学教授、46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など。
 今、大きく行き詰まっているのは、工業を機軸とする人間の自然への関わり方そのものです。それが限界に来ているために、市場に国家が介入するという福祉国家を実現していても社会総体として変わらなければいけないと考えるべきだとなっているわけですね。ですから19世紀の中頃のような新たに市場を育成をしていくような政策の再復活はそぐわない。ところが、消費税はすばらしいとか、官は企業のように経営しろとか、つまり国家は企業のように経営しましょうなどと言っている。これは社会のなかに市場を作り出していこうとする19世紀的な政策をもう一度言っているに過ぎないというのが私の理解です。
 そういう方向ではなくて次の社会に求められているのは、人間が自然と共生していくための新しい自然との関わり方、あるいは人間と人間との関わり方を再度作り直すことだと思います。
 今後は知識、情報、サービスといったものが産業構造の中心になるだろうといわれていますが、それらは工業生産物のように作ったり動かしたりはできないはずです。むしろ農業生産が持っていた諸原理を基盤とすることが必要です。農業というのはもともとお互いに協力し合って、自然と闘っていかない限り営みができない産業ですね。そうした原理こそが今、必要なのではないかと思っています。

 梶井 農業は自然と共生を図りながらでなければ維持できないものです。農業生産の半面はある意味では自然にダメージを与えることですから、そのダメージを修復しながらでなければ農業生産は持続できないという宿命を負っている。
 一方、工業の場合には生産過程で出てくる自然へのダメージは自分たちの関係外だとし、それが引き起こす問題があれば公害として処理すればいい、とまでいう。そこが原理的に違うということですね。

 神野 人間の本来の営みは自然に働きかけて自然を人間にとって有用なものに変えることですね。生きている自然に働きかけて人間に有用なものにするのが農業です。つまり、自然が生きていないと農業は成り立たない。ところが工業というのはすでに死んでいる自然を原材料にしてやっているわけです。だから自然を殺して原材料を作っている現場が見えてこない。これが工業の持っている限界だと思います。
 人間は最終的には自然を変えて生きていくしかないので、自然が存在するかぎり人間は発展することができるけれども、自然がなくなれば、あるいは自然が再生力を失えば人間は生きていくことはできないという冷静な現実を見つめて次の社会をデザインしていくことだと思います。

■設計図なき破壊が進む 農業の持つよさこそ前面に

 梶井 小泉内閣の構造改革はそういう方向には全然向いていないというわけですね。

 神野 小泉さんは、日本の産業構造、経済構造を大きく変えるというビジョンは持っていないと思います。たとえば、道路公団や郵便局を民営化してみても、産業構造や経済構造を変えることはできませんよね。
 言っていることは、あるがままに任せろとか、市場に任せろ、だけです。それは手段であってめざすべき目的ではないですよね。どういう社会をつくるのか、その目標があってそのためにここは市場原理に任せる、というならまだ分かりますがそういうビジョンではありません。
 ですから私は、小泉内閣が行っている改革とは、設計図を持たずに破壊する改革だと言っているんです。
 たとえば、古い家が住みにくくなったというときには、台所やトイレなどに対して家族からあちこちに不満が出てきているわけですね。だから、ともかく壊そうということにはみなが喝采を浴びせるかもしれません。
 しかし、新しい家の設計図を描こうとした瞬間にいろいろなトラブルが起こるはずです。たとえば、ある人はもっと応接間を広くしたいというでしょうし、別の人は台所をもっと機能的にしたいとか、書斎をつくれとか、いろいろな要求が出るでしょう。ですから、重要なことは設計図を片手に持って古い家を壊すということなんです。
 しかも設計図が描けていないばかりか、社会の一部を構成している原理、たとえば、市場原理というものも本来全面的に適用できる原理ではありませんが、それを全面的に広げようとしている。そうではなくて、家であれば台所は非常に機能的にしよう、しかし寝室は安らぎの場だからそれが実現するように設計しようというように、パーツごとに異なる原理で組み立て、そして統一的なデザインとしては和風にするか、洋風にするか、といった話をすべきですね。
 小泉さんの主張は、極端にいえばどこでも機能追求の台所の原理をあてはめればうまくいくと言っているにすぎない。それでは社会は破壊されてしまう。

■株式会社は万能か 協同組合に注目する欧州

 梶井 その設計図なき破壊という矛先が、このところ農業分野にも向いています。とくに問題だと思いますのは、総合規制改革会議あたりで農協は協同組合の大原則である一人一票制で運営しているからだめだ、もっと効率的な経営をしていくために企業的な農業経営をしている人たちの意見を聞いて運営しろとか、さらに端的なのは、独占体の支配する経済体制のなかで経済的弱者の組織として生き残るために認められたのが独占禁止法の適用除外であるのに、それは問題だから検討し直せ、と主張しています。こういう動きについてはどうお考えですか。

梶井先生

 神野 まず指摘したいのは効率というものの計り方が農業と工業ではまったく違うということです。
 経済学というのは本来はこの地球の自然をもっともうまくやりくりすることを考えるという意味です。だから節約という考え方も出てくる。工業の場合は全部市場に乗りますが、農業はそもそも市場に乗らない自然を扱っているわけです。つまり、市場が考慮できないものまで含めた効率を考えるのが本来の経済学であって、今の効率追求の議論はまず効率の概念が違います。さらに言えば、一企業の利益を追求するような議論でしかない。それでもって農業を判断してもらっては困るわけです。
 それから強調したいのは、今の効率性追求の議論は、ある意味では市場原理を否定しているということです。
 最近は企業と言わずに株式会社と言っていますね。農業も教育も株式会社が経営すればいいと言っています。なぜこうも株式会社に固執するのか分かりませんが、市場原理主義者が教祖にしているアダム・スミスは、実は『国富論』のなかで株式会社を否定しているんです。株式会社を市場競争の担い手のなかに入れていません。
 なぜかというと、世界最初の株式会社はご存じのように東インド会社ですが、その東インド会社は「有限責任の特権を与えられた企業」でした。東インド会社は一回の航海で大儲けもしますが、資金を集めて出航しても途中で難破してしまうこともあった。そうすると孫子の代まで借金に追われてしまうという悲劇が出てきたので、特権的に有限責任でいいとして政府が保護したわけです。
 アダム・スミスが市場原理を唱えたのは、このように政府が特権的な政策によって富を蓄積しようという重商主義に反対するという立場から主張したわけですから、東インド会社に象徴される重商主義的な株式会社は認めていないのです。
 さらにアメリカも株式会社を認めませんでした。なぜかといえば、アメリカとは東インド会社に対抗するためにできた国だからです。そこで有限責任の特権を与える株式会社に対しては、公共の福祉に適しているかどうかを厳しく審議し、その結果、公共の福祉に反していないことが明らかになったら有限責任の特権を引き続き認める、という政策をとった。ですから、アメリカは当初は株式会社についてものすごく限定していました。
 ところが南北戦争のときに企業が膨大な戦利利潤をあげてしまう。それで南北戦争後のグラント大統領の時代に企業が賄賂を政治家に贈って、有限責任の特権は一回認可されれば、その後ずっと認められるということにしてしまった。モルガンやロックフェラーなどの大財閥は南北戦争後に登場してきますが、それは有限責任という特権を安易に認めたからです。
 むしろ19世紀後半にアメリカで大企業が登場してきたときには農民が独占資本に対する抵抗運動を展開し、独占を阻止することによって競争と市場を維持した。ですから、今の日本の議論は独占に対する抵抗がなくなればむしろ市場競争がなくなるという逆の方向に行くと思いますね。
 そうした株式会社形態の組織はこれからの時代には合わない。今、ヨーロッパはアメリカに対抗する社会経済モデルをつくろうとしています。それは今までヨーロッパが重視してきた雇用や福祉を守り続けるということですが、そのときに出てきている考え方がコーポラティブ、すなわち協同組合です。
 ヨーロッパでは協同組合を利用した新しい社会経済モデルを模索すると言っているときに、株式会社、株式会社と言っているのは日本とアメリカぐらいではないでしょうか。

■国家の介入が少ない日本実態を正しく見つめるべき

 梶井 ヨーロッパと日本の違いはなぜ出てきたのでしょうか。

神野先生
 神野 1980年代、歴史の大きな転換点に差しかかったときにおそらく各国の政策が分かれたことにあると思います。
 ひとつはヨーロッパのようにどうにか福祉国家を改正しながら、福祉国家のいいところを残してつぎの社会をつくろうという方向、もうひとつは福祉国家をかなぐり捨ててしまって新自由主義という方向をとったイギリス、アメリカですね。このような政策の対抗が起きたのが1980年代だったと思います。
 ところが、1990年代になってみるとイギリスとアメリカが経済成長しはじめた。それに対してドイツなどのヨーロッパ諸国で1980年代に必ずしも新自由主義的政策をとらなかった国々の成長率が落ちてきた。
 そこで、アメリカとイギリスがなぜ成功したのか、それはヨーロッパのように雇用や福祉を守るために市場に介入するという政策をやめたからだ、といわれはじめた。だから、日本も社会を守ったり雇用を保障するような政策から撤退すれば成長すると言ってるわけです。
 ところが日本はそもそもアメリカやイギリス以上に経済に対して国が関与していなんですよ。

 梶井 そこは国民が大きく誤解していることですね。

 神野 先進国のなかで、財政が介入する前の段階での所得分配がいちばん不平等なのはスウェーデンです。いちばん平等なのは日本です。
 アメリカはスウェーデンについで不平等なんですが、徴税など政府が介入したのちの所得再分配後で比較すると、いちばん平等なのはスウェーデンでいちばん不平等なのがアメリカ、日本はその中間になります。
 ところが、さらに財政によってどのくらい所得再分配をやったのかということを比較すると、実は日本がいちばんやっていないという結果になる。
 それにもかかわらず日本国内では国がいろいろなところに介入している、問題だ、といわれています。これは迷信を吹き込まれているようなものです。

 梶井 規制緩和が叫ばれていますが、実態は政府の介入している度合いはすでに低いということですね。

 神野 民営化、規制緩和ということでいえば、ヨーロッパも日本にくらべて規制は少ないといわれており、それは確かにそのとおりです。ところが、そのかわり重化学工業に関していえばほとんどが国営化されている。それは第二次対戦の総力戦体制の結果であって、ドイツでいえばいまだにフォルクスワーゲンは州営ですし、電力についていえばアメリカでさえも州営だった。つまり、規制が少ないというのは多くの産業が国営だったからです。
 一方、日本は戦争中の総力戦体制では電力など国営にできなかったため統制経済でやった。だから戦後も規制が残ってしまったんです。つまり、ヨーロッパで規制が少ないというのは当たり前でもともと多くの産業が国営だったからで、国営が多すぎるものだから民営化しようということになったわけです。日本ではそれがきちんと伝えられておらずおかしな宣伝だけが広まってしまった。

■教育こそ発展の原点育む力が地域農業の発展に

 神野 先ほども指摘したようにヨーロッパの社会経済モデルでいちばん重視されているのは協同組合ですが、これは市場経済と共同体の社会システムを融合したようなものとして自立させようと考えているわけで、とくに人間の絆の重要性が説かれています。そのうえで協同組合形態の組織を増やしていかないと、今後の産業の軸になる知識や情報産業はつくれないと考えられています。
 なぜなら知識というのは与えるものであって蓄えるものではないと。知識というと農業とは関係がないと考えがちですが、知識とはわれわれが自然に働きかけてそれを自分たちに都合のいいように変形するときに使うものですよね。われわれは自然を変形させないで生きていくことはできませんから、言い換えれば農業なしに生きていくことはできないということにもなります。
 そこで問題はいかに自然に対して知識の量を増やし加えていくかになるわけですが、もともと農業が持っていた助け合いの原理や与え合うという原理のほうが、より新しい知識、情報などの産業の原理には適していることになる。

 梶井 知識が増えていくというのは1人ではなかなか増えませんからね。与え合い補い合って増えていくものですからね。

 神野 品種改良でもそうですよね。ある人がゼロから全面的に作り上げたものなんてないでしょう。それまでの人類の知恵の肩車に乗ってプラスアルファを加えるということではないでしょうか。
 つまり、私がなぜ農業が次の社会の原理になるかといえば、農業というのは知識のかたまりであって、しかも協力し合うという原理があるからです。だからこそモデルになるんだということです。

 梶井 今のお話の知識と協同組合ということに関連して言えば、農協法にはもともと「協同組合の事業に対する組合員への教育」と農業の技術などについての指導ということが掲げられていました。ところが何度もの改正を経てついに「教育」という言葉そのものをなくしてしまった。私は非常に問題だと思っています。そして農協法の第十条第一号に営農指導を位置づけた。その理由は農水省によるとこれからは企業的な経営をしている担い手を支援していくことが農協の事業だということを強調したというんですね。

 神野 それはあまり説得的ではない理由ですね。教育、エデュケーションという言葉のもとになったラテン語は、引き出し育む、あるいは栽培する、という意味なんです。
 そういう意味では農業と教育は原点で結びつくんです。それが発展です。発展とはデベロップですが、これは解きほぐす、というのが原義です。それがなぜ発展という意味になるのかといえば、内在していたものを解きほぐすということだからです。植物も種を播き育てて、内在していたものを発展させ成長させるわけですね。外から変形させることを成長や発展とは言いません。木が机に発展した、成長した、と言いませんからね。農業というのは内在していたものを発展させるというのが原点でもあるわけです。

■農業を担う人々が創る新たな価値への期待

 梶井 では最後に農業者、とくに青年農業者に向けてメッセージがあればお願いします。

対談風景

 神野 農業というのは、人間の生活の原点で絶対なくなることはありません。人間の知識のかたまりであって次の社会の原理を生み出していくものです。確かにわれわれを取り巻く状況は変わったので、われわれも変わっていかなければならないけれども、そのときに重要な点は自分たちのいいところは何かということをきちんと見つめてそこを伸ばすということだと思います。農業というものに携わっている自分たちのいいところは何なのか、それを伸ばすということだと思います。

 梶井 今日はありがとうございました。 

対談を終えて
 “設計図なき破壊”政策は、農政の分野でも声高に進められている。たとえば、目下の焦点である米政策改革。“効率的かつ安定的な経営体”が農業生産の大半を握るような構造の“実現はきわめてきびしい状況にある”と農業白書ですら指摘しているのに、“厳しい状況”の打開策を示すこともなく、構造実現を前提に大多数の生産者を見捨てようとしているのが米政策改革だが、まさに“設計図なき破壊”政策というべきだろう。
 “市場が考慮できないものまで含めた効率を考えるのが本来の経済学”だという神野教授の指摘は重要。これをしっかりと受けとめて、経済事業改革要求などがそういう内容をもった効率要求に基づいているのかどうか、大会を機にじっくり考えてほしい。ヨーロッパの人々が、協同組合をもとにして“新しい社会経済モデルを模索”していることは、農協人にとって励ましになろう。さて我々はどうかが大会で議論になればいいのだが…。(梶井)

(2003.10.2)


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