農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 第49回JA全国女性大会 農と共生の世紀づくりは私たちの手で

OLやめて農業参入 ユリの切り花栽培で規模を毎年拡大

高橋京子さんの「細腕奮闘記」

 農業には全く無経験のOLが東京を離れ、郷里の新潟でユリの切り花栽培を始めた。休耕田を取得し、簡易パイプハウスをつくり、そして有限会社を設立しての起業だった。もともとアウトドア派で田舎が好きだったというが、その決断と勇気はすごい。それから3年。出荷本数を当初の5000本から3万本と飛躍的に増やした。そこにはOL時代に蓄積した経理などのノウハウも寄与しているようだ。JAの切り花部会など「人との出会いにも恵まれた」「幸運だった」と語るが、農業を事業経営として見る目も幸運を招き寄せた。以下はその「細腕奮闘記」。聞き手は、本紙・坂田正通論説委員。

◆休耕田を取得して

高橋京子さん
たかはし・きょうこ 昭和22年新潟県関川村生まれ。明治学院大学卒業。会社勤務。新世紀を機に生涯の生き甲斐事業として切り花栽培を決心、有限会社を設立、休耕田を入手、農業改良普及センターの指導で品目をHBユリに特定、平成13年に体験・実習栽培。

 坂田 農業を知らない東京のOLがどうしてまた田舎暮らしの農業にチャレンジされたのですか。すごい決断でしたね。

 高橋 都会よりも田舎が好きなんです。学生時代からずっと東京でしたが、将来は郷里の新潟県関川村にUターンしたいと望んでいました。しかし生家は元温泉旅館で、農地を持ちません。ところが2000年春に村内で休耕田が手に入ることになったため思い切って約80アールを買い入れました。

 坂田 農地取得には難しい条件がいろいろつきますが。

 高橋 ええ。そのために急いで東京の会社をやめ、住所を生家に移すなど就農態勢を整えました。そして県の改良普及センターに相談し、シベリアという品種のユリの栽培を選択しました。普及員に信頼感を抱いたので<この人の指導で勉強すれば大丈夫>と直感に頼りました。
 また最近、ユリ栽培を始めた村内の稲作農家からも技術指導を受けました。ラッキーな出会いでした。国や県の新規就農者向け研修は受けていません。

 坂田 ぶっつけ本番では不安も多かったと思います。

 高橋 今も最大の不安は田の水はけです。国は畑地化をいうなら基盤整備を急ぐべきです。
 暗渠(きょ)の土管を入れ、側溝を掘ってつなぎ、落とし口に水を導く工事費は多額です。うちの場合、排水口の水位が高く、盛土をせざるをえませんでした。

◆水はけ対策で曲折

 高橋 そこで2年目までの作付予定面積に当たる約20アールに限って暗きょ土管を入れました。表土をはがした地層に30センチ客土を入れ、再び表土をかぶせました。初年度はこうして自らの意気込みを示しましたが、費用がかかりすぎました。

坂田正通氏
さかた・まさみち 昭和13年新潟県佐渡郡生まれ。慶応大学法学部卒業、昭和39年スウェーデン消費組合研修生、60年全農組貿(株)ニューヨーク本社副社長、平成元年全農肥料農薬部窒素加里課長、3年全農広報室次長、7年全農バース(株)常務取締役、定年退職後現在に至る。

 坂田 水はけ工事の面積をさらに広げる必要がありますが。

 高橋 改めて安価な方法を考えます。

 坂田 結局、初年度はどれくらいの作付面積でしたか。

 高橋 01年は380平方メートルに球根5000を植えましたが、02年は1650平方メートルつまり16.5アールに2万球と飛躍的に増やし、さらに昨年は約25.7アールに3万2750球としました。

 坂田 すごい伸びですね。施設面はどうですか。

 高橋 簡易パイプハウスを初年度の1棟から03年には14棟に増やしました。これは白い遮光ネットを張って真夏の太陽光を遮るだけのハウスです。だからビニールハウスのように加温はせず、また雨も風も通します。基本的に露地栽培と同じです。パイプ数の少ない構造で、風に弱く、ビニールは張れません。
 ユリの花は本来7月に咲きますが、私が栽培するのは8月1日から収穫する抑制切り花なので、最初に球根を冷蔵庫で抑制処理して遅植えします。ユリは強い日光と熱に弱いので、真夏には遮光ネットを2枚かけたりもします。勝負は涼しくしてやることです。

◆どんぶり勘定排除

 坂田 いやあ聞けば聞くほど土地代はじめ土地改良、施設、資材と大変な投資ですね。

 高橋 農業に対する知識も体験も道具もない、ないないづくしからの起業ですから、長靴、作業着、クワ、カマなどすべてが新規調達です。しかし近所の農家の庭先で「あら、これいいわね」なんて便利そうな道具に感心していると「持っていけよ」と不要のものを下さったりすることもあります。何はともあれ5カ年計画から大きくはずれないようにしないと。

 坂田 OL時代は経理の専門家だと聞きましたが、5カ年計画とはさすがですね。

 高橋 10カ年計画もあるんですよ。しかし予期しない出費もあります。田んぼの水はけ対策が最大の予定狂いです。
 個人企業みたいな有限会社ですが、会社は会社ですから毎月試算表を出し、決算も確定申告もみんな自分でやっています。
 農作業も最初は独力でしたが、ハウスが増えて規模を大きくすると、パートさんも必要ですから、数字はきちんと把握しています。

 坂田 細かい話ですが、会計ソフトを使っているのですか。

 高橋 いえ、エクセル1つで自分なりにやっています。

 坂田 球根は輸入ですか。

 高橋 オランダからです。JA経由で入れています。うちは就農後すぐに法人としてJAにいがた岩船に加入しました。

◆土づくりを追求

 坂田 ユリの花栽培のポイントは、やはり土づくりですか。

 高橋 そうです。健全な土づくりが1番です。前提としては水はけがありますが、この2つが整って、有機質を十分に含んだ土ができたら、追肥しなくてもよいとかで飛躍的に効率化できて、農作業が楽になります。
 女手ひとつで非力ですから、力強い土づくりを、いかにして省力的にやれるかを求めて「菌耕農法」の説明を聞き、資料を精読して同農法を採用しました。1番の魅力は省力化でした。
 ところが、この農法は、植物有機質をたっぷり土壌に入れることが前提ですから、その段階では労力の投入が必要です。しかしユリ栽培の規模を広げた場合、ワラを調達し、運ぶのは大変です。そこで、ほ場の空く冬場に緑肥を栽培して、菌製剤を使う方法を採用しています。

 坂田 コンバインで刈って裁断し、土に返すから、国内でワラを集めるのは大変です。

 高橋 とにかく束ねたワラを買うのは困難なので空地のカヤを刈ったりもしています。

 坂田 ユリの病害虫は?

 高橋 田んぼの中に畑が1つという環境ですからね。割合、発生しません。化学肥料も農薬もなるべく使わないようにしています。それでも成績が良いのは土が新しいからともいえます。しかし、まだ3年ですから今後はわかりません。そこで災害が発生しないようにと菌耕農法を採用しています。
 気候は、夏の日中は暑いけど夜の気温はぐんと下がるのが良いようです。適度な風も幸いしていると思います。

◆利益率向上目指す

 坂田 さて、販売面ですが、出荷本数はどうですか。

 高橋 初年度は5000本。昨年は3万本です。白いユリは冠婚葬祭用から贈り物用、自家用と用途が幅広く、シベリアは小売店の定番商品でもあり、ほかの種類の花に比べると、安定した値段の推移での取引になっています。
 常に変動する市況の中でも、比較的、幸運な値段で商売させていただいているといえます。すべてJAを通じて出荷し、仕向先はほぼ東京です。しかし考え方によっては3年間、大過なくきた、ということのほうが私にとっては予想外だったともいえます。
 ではユリで食っていけるかといえば投資額を見れば問題外です。相当な年数がかかります。

 坂田 姉さんの担当は?

 高橋 姉は東京にいてマーケティング担当ですが、売り方を研究して利益率を上げる段階に入っています。そのために直販や地産地消を考えています。地元には温泉旅館が多いから直接販売すれば利益率に貢献します。これからは経営の質的な面を考える段階です。
 生産現場の私としては、これまで、まともな商品、良い商品を作ることを最優先にしてきましたが、これからは中級品だけを作っていては生き延びられない、非常に良い商品を生産しないといけません。併せて経営内容を考えると、現状はコスト高ですから、出荷本数を増やす規模拡大も必要です。

◆厳密なランクづけ

高橋京子さん

 高橋 JAへの出荷は市場をはじめ流通各段階での手数料を合計すると2割にもなってくるため農家はみな、その点に大きな問題意識を持っています。

 坂田 ユリの花の等級はどうなっていますか。

 高橋 一般的に秀、優、良の3ランクです。しかし部会はもっと細かく厳密にランクづけしています。このため、うちは選別作業にパートさんを雇っています。
 部会員にはチューリップの農家が多いのですが、私はもちろんユリのグループに入っています。グループには働き盛りの向上心旺盛な勉強家が集まっており、私としては、この点でもラッキーでした。

 坂田 近所の農家は稲作ばかりですか。

 高橋 そうです。うちは80アールといえども転作ですから、村にくるコメ減反の配分が、それだけ消化されるため、水田の農家から喜ばれています。
 しかし夏は余り顔を合わせません。私は毎日畑に出ますが、稲作農家は作業時間が少ないため、周りの水田はたいていは無人の田園風景です。

 坂田 仕事のルーティンは?

 高橋 4月20日に開始し、10月末に終わります。うち花の収穫は8月1日から10月初旬までです。

 坂田 転作にからんで、コメ政策改革について何か感じていることはありませんか。

 高橋 水田農業の活性化とか麦・大豆の本作化といっても村には園芸農家が私を含めて2人しかいません。これでは要件にかなう規模の畑地化は困難で、とにかく面積要件とか認定農業者に限るとか助成要件が難しいのです。
 実は私も、ある補助を申請したのですが、要件の欄が埋まらなくてはねられました。もっと要件の緩和や弾力性が必要だと思います。また水田の水はけを良くする基盤整備など補助対象の重点化も望まれます。

インタビューを終えて  
 高橋京子さんを「OLをやめてこれから菌耕農業をやろうという人」と先輩に紹介されたのは3年前だった。今ではすっかり、ユリ栽培のプロの農家になっている。直前まではコンピューターソフトの会社勤めだったから、農業経営にエクセルを使う等はお手のもの。経理も得意だし、5年、10年先の栽培計画まで持っている。周りの新潟県岩船町は米どころの田園地帯。素人の高橋さんを周囲が暖かく助けてくれているという。
 高橋さんは自己資金でユリ栽培を始めたので、単年度収支はとんとん。初期投資を考えれば大赤字ですというが、春夏秋の4月から10月までは新潟でユリ作り、毎日自宅の温泉に浸かりながら空気の良い田舎で楽しく働けるのは羨ましい。農作業で体も丈夫になったという。姉妹仲良く実家で暮らした後、作業のない冬期11月から3月までは東京に住いを移す。ユリ農家もメリハリが利いて悪くないが、将来は転作作物でなたねを作り周囲を花一杯にしたいと抱負も語った。働き者である。(坂田)
(2004.1.29)


社団法人 農協協会
 
〒102-0071 東京都千代田区富士見1-7-5 共済ビル Tel. 03-3261-0051 Fax. 03-3261-9778 info@jacom.or.jp
Copyright ( C ) 2000-2004 Nokyokyokai All Rights Reserved. 当サイト上のすべてのコンテンツの無断転載を禁じます。