農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 命と暮らしを守る21世紀の農業を考える

「心」を取り戻し「農」の再生を
インタビュー 上條恒彦さん

 長野県朝日村の農家の出身の上條恒彦さんは今は甲斐駒ヶ岳の見える富士見町に暮らしている。自らも畑仕事に精を出すが、農家の友人も多く日本の農業の危機を肌で感じているという。これは「農業だけでなく社会全体の問題」だと話し、「職業」というものを私たちがもういちどしっかり考えるべきではないかという。「マイフェアレディ」の公演に向けて稽古中の上條さんに農への思いを語ってもらった。

■農業の危機を真っ正面から捉えたい


――長野県の富士見町にお住まいになって何年ですか。

上條恒彦さん
かみじょう つねひこ
昭和15年長野県生まれ。松本県ヶ丘高卒業。歌手。俳優やミュージカルでも活躍、「出発(たびだち)の歌」、舞台「阿国」「ラマンチャの男」「屋根の上のバイオリン弾き」など。

 「17年です。子どもが生まれて女房は自然のなかで育てたいという気持ちになったし、僕も都会暮らしはもういいかなと思ってました。翌年から畑を借りて今は8畝あります。いろんな野菜を作っていますが結構広いから、農作業するとくたくたになりますよ(笑)。
 朝日村で、専業農家でがんばっている小学校からの同級生が、僕が舞台でずっと東京にいるときは面倒を見てくれるんです。彼は非常に意欲的な百姓で耕作面積も相当やってます。ただ、若いころは僕と同じぐらいがっしりした体格でしたが今はそうじゃない。あれだけ熱心に百姓やると体が縮むんですね。農業がいかに過酷かということを感じます。
 僕のところに手伝いに来ても、もう一時たりともじっとしていない。すごく働く、次から次へとね。本当に手を抜かない。同級生としては、もうちょっと楽してはどうか、と言ってます(笑)」

――身近に農業者を見ていて日本の農業についてはどんな思いをお持ちですか。

 「今年も僕の家の周りで米づくりをやめた農家が2軒もあった。もう年だからという。標高1000メートルの土地ですから冷害に強い品種など選んで苦労して作ってきたわけですがとうとうやめました。そういうのを見ると本当に痛ましい。
 農業が今危機だということを真っ正面から捉えなければいけない時期だと思います。
上條恒彦さん
 実は農業だけじゃなくてプロフェッショナルが必要とされる時代じゃなくなったんじゃないかと考えています。たとえば靴屋や時計屋を探してもない。八百屋とか魚屋も。この間も長年履いていたタキシード用のエナメル靴の底が割れてしまったんですが、底を貼り替えてくれる靴屋がないから買い換えるしかない。同じように農業者も必要とされていないんじゃないか。専業農家の同級生は農業高校に行って基礎を学んで親父の手伝いをしながら百姓になりました。だけれどもだんだん百姓の将来が見えなくなったんじゃないですか。僕の兄貴も親父の跡を継いで百姓をやってますが、僕の甥っ子には継がせていない。でも兄貴は本当に農業が好きで宮澤賢治なんか一生懸命読んで夢を持っていた人です。
 やはり農業が未来につながっていくということがないと同級生や兄貴は報われないと思います。積み上げてきたことが引き継がれるのが報われるということだと思います。
上條恒彦さん
 もうひとつは社会的に尊敬されるといいますか、これは農業だけじゃないですが、いろいろな職業がきちんと評価されるということだと思いますね。20歳を過ぎてもフリーアルバイターで暮らしている若者に対して、僕らは自分たちも言われたように、手に職をつけたほうがいいよと言いますが、しかし、それを活かす場自体がなければどうしようもない」


■経済的な豊かさ追求で私たちは何を得たのか


――農業の危機は社会全体の危機でもありますね。

上條恒彦さん

 「こうなったのは経済的な豊かさだけを追い求めてきた結果だと思います。そこの根本的なところを改めないと。芝居もその内容よりもいかにお客を呼ぶかという発想で芝居をつくってきました。経済追求ですよ。自分の身を切るようにして芝居の内容を追求してこなかったツケが今回ってきていると思います。
 経済的なものを追い求めるといつまでも満足できないですよ。中野孝次の『清貧の思想』のまったく逆。いろいろなものが次から次へと欲しくなって結局は人殺し、戦争になってしまうんじゃないですか。そのことが見えてきた。
 ところが、今、憲法9条を変えないと日本はだめという風潮になっているでしょう。参院選挙で民主党の得票率が高くて二大政党の時代が来たといっても、片方は憲法を変えようとする、もう片方は憲法を守ろうとするというなら分かりますが、どっちにも憲法9条を変えて戦争のできる国にしようという心構えの政治家たちが多いんじゃないか。
 具体的にどうすればいいか分かりませんが、ただ、もう経済だけを追求するのはやめたらどうかと思いますね。今までやってきたことが間違いだったということは言える」

――何か希望が持てる方向は感じていますか。

坂田正通・本紙論説委員
坂田正通・本紙論説委員

 「水俣の被害を風化させず、そこから学ぼうというNPO『水俣フォーラム』に一昨年から関わっていて、その団体が朝日新聞が主催している「明日への環境賞」を受賞したんですが、一緒に山形県のレインボープラン推進協議会も受賞しました。その取り組みを聞いたんですが、生ゴミからたい肥を作ってそれを利用して野菜を作って近隣の消費者に買ってもらうということですね。ヤクルトの古田選手じゃないですが、ファンのことを考える、です。芝居も同じですが。レインボープランの話を知ったときふっと豊かな光景が見えたんです。こういう例に何か今の危機を突破できるなと思いました。買ってくれる人が見えて、食べるほうも作っている人が分かる。これだけの手間がかかったんだから価格もこれだけと言える関係であれば、顔を上げて農業ができる。そんなイメージが湧いてきましたね。これから僕らが考えなくてはならないのは文化として心の部分をどう取り戻すかだと思います」

インタビューを終えて
 上條恒彦さんの故郷、長野県朝日村で小・中学校同級生という長芋専業農家Sさんと菌耕農法研究会で何回かご一緒したが、上條恒彦さんのインタビューはそのSさんの紹介である。東京でミュージカル「マイフェアレディ」の主役イライザのお父さん役の舞台稽古に忙しい合間を利用して、ほぼ定刻どおりジーンズとTシャツ、長身ひげ姿の上條さんが待ち合わせ場所に来てくれた。
 若い頃、俳優志望から歌手に転じ、700回を越える「ラ・マンチャの男」の牢名主の演技で菊田一男賞を受賞。かたわら、子供のために自然の残る八ヶ岳に住居を構え、畑作りをはじめてもう17年になる。
 犬を連れて周辺を散歩する。森の中に小さな見知らぬ花を見つけ、それを図鑑で確かめる楽しさがある。東京の生活は単身赴任。東京の空に大きな月が上っても、都会人は気付かない、自然に対する関心を失っている。しかし、八ヶ岳よりも東京の方が体は楽でほっとするという。
 大きい2人の息子さんたちは東京、小さい2人の息子さんたちは諏訪富士見町で高校・中学に通う。公演中、畑の作業は奥様と故郷の同級生たちも手伝っている。(坂田)

(2004.7.22)


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