農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 これで良いのか 日本の食料

基調論文 これで良いのか食料政策
改革に真に必要な市場原理−「アジア全体」の視点こそ食料安定供給に
本間正義 東京大学大学院農学生命科学研究科教授

◆はじめに−「量」と「質」が食に問われる時代

 農業を巡る改革論議が国の内外で活発化してきた。WTO(世界貿易機関)農業交渉は大枠の決定を受け関税引下げ率など具体的数値の交渉に移った。FTA(地域自由貿易協定)もメキシコとの調印をすませ、韓国、タイ、マレーシア、インドネシアとの政府間交渉に弾みをつけたいところだ。国内では食料・農業・農村基本計画の見直し作業が進んでいる。
 食料と農業をめぐる環境は様変わりした。かつて食料は量が重要であり、いかに空腹を満たすかが課題であった。生命維持の根源であることに昔も今も違いはないが、食は量だけでなく質を問われる時代である。日本の食料自給率40%は生産と消費に関わる様々な変化によってもたらされた結果であるが、食料・農業・農村基本法では基本計画で食料自給率の目標を定め、その向上を図ることとされている。そもそも食料政策とは何を目的としているのか。本稿では政府が行うべき食料政策とはなにかを議論し、さらにその対策が目的に対して有効であるか否かを検討してみたい。

◆食料政策とは何か−有事法制としての食料安全保障こそ重要

本間正義教授
ほんま・まさよし
1951年生れ。74年帯広畜産大学卒業後、76年東京大学大学院修士課程修了、82年米国アイオワ州立大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。83年東京都立大学助手、85年小樽商科大学助教授、91年同教授、96年成蹊大学教授を経て、2003年一月から東京大学教授(大学院農学生命科学研究科)。著書に『農業問題の政治経済学』、『農業問題の経済分析』(共編著)等がある。

 食料政策の目的は食料・農業・農村基本法第二条によれば「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給」されることである。では、良質な食料とは何か。合理的な価格とはいくらか。これは政府が決めることではない。市場が決めることである。言い換えれば食料政策の基本は市場がうまく機能するようにインフラを整えることであり、生産者と消費者に適切な情報を提供し、情報の非対称性が生じないように努めることである。
 とはいえ、食料自給率の低さに不安を覚え政府に対策を求める国民の声も多い。何に対する不安であろうか。一般に国民が政府に望むのは、戦争など有事の際の食料確保であろう。当然ながら有事の際の食生活は現在のそれとは全く異なり、生命維持のための食事カロリーの確保が最優先される。生産される食料も平時とは全く異なるのであり、平時の食生活における自給率が、有事の際の食事カロリー供給の指標となりえないのは自明である。
 それでもなお、国民は日本の今の食料自給率の低さに不安を感じている。なぜか。有事の際に食料が確保されることを国家・政府が保障していないからである。もし、国家が有事の際の食料確保を保障するのであれば、平時の自給率にこだわる必要はない。では、どのような施策が国民に安心を与えるのか。スイスの例が参考になる。自給率が60%程のスイスは、有事によって食料の供給危機が起こった場合、それを乗り切るために2つの対策を立てている。
 一つは配給制度の導入である。危機発生後10日間は国民に商店などで食料を購入することを禁止し、その間は家庭備蓄を切り崩す。そして、11日目から配給を始めることになっている。もう一つは、国内産の増大である。危機発生から3年かけて牧草地などを転換して農耕地を増大させ、その間は備蓄の切り崩しと友好国からの緊急輸入でしのぎ、最終的に自給率を100%に持っていく。土地利用から輸送に至るまで、各村、各農地で詳細で具体的な計画が立てられており、それを実行するための人員配置まで決められている。違反した場合の罰則規定もある。こうしたマニュアルはコミュニティごとに保管され、いつでもそれを取り出して実行すればいいようになっている。
 本来、食料安全保障は軍事やエネルギーの問題と同様、総合安全保障の一環と位置づけ、有事法制の中に組み込むべきである。食料の生産に必要な石油などのエネルギーの確保や輸送路・輸送手段の確保など総合的な施策の下で実行されなければならない。農業の自給率向上を唱えるだけでは何も解決しないばかりか、安全保障の真の対策を遅らせることになりかねない。
 なお、FAO(国連食料農業機関)によれば「食料の安全保障は、すべての人々が常に活動的かつ健康的な生活のために必要な食事と食料の選好に見合う、十分な量の安全かつ栄養価の高い食料に対し、物理的、社会的かつ経済的アクセスをもつときに存在する」とされる。この定義では、あらゆる供給源を想定し、必要とされる食料へのアクセスを確保することに重点が置かれ、その供給源にはこだわっていない。
 供給源は多様化した方がリスクの分散になる。また、輸入途絶のリスクも様々なケースがあり、全く偶発的な自然災害とか港湾ストから、循環的気候変動による供給不足、マルサス的食料危機、食料の政治的利用による危機などが考えられる。いずれの場合も起こりうる確率に依存するが、備蓄や輸入元の分散、先物市場や長期契約の活用など、多くの方策の組み合わせが可能である。

◆価格政策に代わるもの

 様々なリスクに対応して食料の確保策を施すとともに、現在の食生活の安全と質を保つことも食料政策である。現在の食料供給に国内農業が一翼を担っていることは言うまでもない。しかし、自給率の低下は国内農産物が国民の支持を失ったことを意味する。市場開放で輸入農産物を優遇したわけでも、消費を強制したわけでもない。市場競争で国内農産物が後退を余儀なくされたのであり、消費者のニーズに応えられなかった結果である。
 かつて多くの農産物は政府の価格支持の下で安定した生産者価格が保証され、消費者や市場動向に関心を持たずとも販売額は確保され、生産変動を別にすれば所得も保証されていた。このようなシステムが消費者ニーズの変化や海外農業の展開を農業者に伝達することを困難にし、日本農業の停滞の一因となった。こうした反省から市場原理の活用は新基本法でも謳われ(第三十条)、今日では多くの価格支持政策が見直されつつある。
 価格支持政策に代わって検討されているのが「品目横断的」経営安定対策である。基本計画の見直しに関する「中間論点整理」にも盛り込まれ、認定農業者などに対象を絞って、複数の作物を組合せて生産している水田及び畑作農家の所得を安定させようというものである。具体的には収入または所得が基準値を下回ったとき、下落分の一定割合を補填する。これは天候不順などによる収量変動への対処でもあるが、より重要なのは「諸外国との生産条件の格差を是正するための対策」とされていることである。
 これにより、価格下落を容認しやすくなり、一見、WTOやFTAで関税引下げにも対処しやすくなるように見える。果たしてそうであろうか。支払い単価は過去の生産実績に基づいて決めれば当該年の生産に直接影響することはない。しかし、この支払いを受けた農家は、もし市場価格による販売収入しかなかったなら生産から撤退していたかもしれない。補填があるからこそ営農を続けているのである。増産効果は持たずとも減産を阻害しているという意味で貿易に影響を与える。この支払いをWTO農業協定で削減対象とならない「緑の政策」とすることは困難と思われる。
 さらにこうした所得補償は構造改革を阻害する恐れがある。所得が安定することによりそれ以上の規模拡大やコスト削減に向けた努力を殺ぐことになりかねない。労働者の賃金を上げたからといって労働供給が増えるとは限らない。所得と余暇との見合いで労働時間を減らす労働者がいるのと同じである。「中間論点整理」でもこの点の懸念は述べられているが、構造改革には直接的効能を持つ施策が望ましい。
 そもそもEUなどで直接支払いが導入されたのは構造改革のためではなく、農業の現状を維持するためである。畑作による欧州農業と水田を中心とした日本農業の違いはあるにせよ、日本の平均経営規模は欧州諸国の数十分の一である。農業の構造改革なしに直接支払いを導入することは日本農業の衰退を早めることになりかねない。

◆農業構造改革の方向

 構造改革とは、生産性の劣る部門から生産資源をより生産性の高い部門に移すことに他ならない。生産性の低い農家は生産資源である農地を生産性の高い農家に委ね、自らは離農・脱農し、地代収入を得て他で自分を生かす道を探ることである。しかし、これを一朝一夕に行うのは困難であろう。調整に時間がかかる。その調整をスムースに行うために直接支払いを用いるのであれば有効である。例えば3年ないし5年に限り所得を保証するが、その後は市場競争で勝ち抜かなければ残れない。その間に農家はその先どうするかを決めればいい。一時払いではないが、いわば他産業における早期退職手当と同じである。
 しかし、この構造調整が成功するためにはある条件をクリアしなければならない。農地市場の歪みを是正することである。農地価格が農業生産性から期待される収益還元価格よりはるかに高いことはよく知られている。それは転用期待が介在しているからである。日本では優良農地であればあるほどそれは非農業用地としても利用価値が高い。従って保有農地の転用期待が大きい。
 実際、3大都市圏以外の農地でも年々農地の0.5%程が転用され大きなキャピタルゲインを農家にもたらしている(速水・神門『農業経済論・新版』、275頁)。これは一代30年で15%、孫子の代まで考慮すれば30%もの高い確率でキャピタルゲインが期待できることになり、決して小さい確率ではない。さらには極端に低い固定資産税や相続税の優遇措置など、制度が農地の集積を阻んでいる。すなわち、農業者自身が農地集積の誘引をもたないのである。
 今、農業の構造改革に最も必要なのはこのような農地制度の見直しである。農地から転用期待を排除し、農業を営む人は市場原理に任せて自由な参入を認めればよい。農地を農地として用いるためには厳格なゾーニングが必要だが、永久農地指定でなくとも、例えば30年といった期限付き指定でも十分有効である。また、全国の農地面積を一定に保つために、自治体間で農地指定権を売買できるような仕組みも考えられる。
 農地への依存が小さい野菜や花卉などは自由な競争で活性化の道を自ら切り開こうとしている。しかし、稲作や畑作では構造改革が遅れている。稲作が主となる経営でいわゆる主業農家の占める割合は9%に満たない。国土の狭い日本で稲作や畑作が生き残るためには、いまや一市町村の農地全てを一経営体が担う程の農地集積が必要である。そのための農地制度改革なしには、日本に土地利用型農業は残らない。

◆農と共生のために−むすびにかえて−

 いま、農業は国境を越え、地球規模でそのあり方を考える時期にきている。飽食と飢餓が並存し、一方で農業には多くの政府が介入し、地球規模で農業資源が有効に活用されているとは言いがたい。かつてシカゴ大学のD.ゲール・ジョンソン教授が「混迷の世界農業」と呼んだゆえんである。真に農と共生していくためには地球規模で農業のあり方を考えなければならない。
 日本はアジア諸国とのFTAを推進しようとしている。農業分野の扱いがまたぞろ問題となろう。アジア諸国とのFTAの先には関税同盟、共同市場、経済同盟と展開するアジア地域統合構想がある。FTAはその第一歩にすぎない。このような方向を考えたとき、日本は自国の食料自給率にこだわるのではなく、アジア全体の農業発展と食料の安定供給に資する政策展開をすべきである。
 アジア諸国にとって日本は魅力的な市場である。FTAは多くの途上国に成長の機会を提供することになる。日本農業も新たな展開を迫られるが、日本が目指すFTAは財やサービスの自由化だけでなく、労働・資本の移動や援助・技術協力などをも含むEPA(経済連携協定)である。途上国からの低賃金労働が利用可能となれば、日本農業の生産構造も大きくかわる。一方で、日本国内で環境問題や各種規制に悩まされるより、海外で農業を展開した方がいいと思う農家も出てくるかもしれない。
 多くの産業が適材適所を求めて海外に拠点を移している。農業とて例外ではない。日本の農地にしがみつくより大きな市場と可能性を持って海外へ飛翔する農業者が出てくるに違いない。さらに、日本の農業技術はアジア・モンスーン地域で共通に適用可能である。より広範な技術協力に日本の農業者が貢献する道もあるだろう。アジア全体で農業をとらえ、アジア諸国の人々と手を携えて成長することこそが真の共生ではないだろうか。

(2004.10.7)



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