農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 昔々その 昔

からくり人形芝居
文: 種田庸宥 日本福祉大学客員教授
挿絵: 種田英幸



人形
          文部省唱歌

わたしの人形は よい人形。
 目はぱっちりと いろじろで、
小さい口もと 愛らしい。
 わたしの人形は よい人形。

わたしの人形は よい人形。
 うたをうたえば ねんねして、
ひとりでおいても 泣きません。
 わたしの人形は よい人形。
――尋常小学唱歌(一)明44


からくり人形芝居

 村で評判のきれいな娘サワは、長者に望まれて、嫁にきました。
 望まれたことを良いことに、サワはお金をつかいまくりました。
 それでも、長者が元気なうちは、少しは遠慮もしていましたが、長者が病気で亡くなると、誰もとがめる人がいなくなりました。
 サワは毎日、町へ出歩いて、酔ってもどってきました。
 屋敷には、男の子が一人残っていました。下男も女中も少なくなって、屋敷はガランとしていました。
 こんな日のくり返しで、さすがの物持ちの、長者の屋敷も、かたむきかけてきました。
 ある日、サワは、村にかかった、からくり人形芝居を、いつものように、派手な着物をきて、見にいきました。
 芝居に夢中になっていたサワは、ふと自分のそばに、きたない男の子が、あぐらをかいているのに気づきました。
 男の子は、はなをすすったり、頭をガリガリかいたりしていました。
 顔をしかめたサワは、客席を変えてもらいました。
 やがて、人形芝居がはねて、サワは屋敷にもどりました。
 屋敷はいつもとちがって、灯りがあかあかと点っていました。
 人の出入りがはげしいので聞くと、サワの一人息子が、川におぼれて死んだ、というのです。
 「なぜ、知らせてくれなかったのです」
と、サワが責めると
 「そうはいっても、行き先がわからぬではありませんか」
と、下男がいいました。
 「それでも、お子さんは、亡くなられたときのままにしてあります」
と、下男はつけ加えました。
 サワは、一人息子のなきがらに、走りよって、オイオイ泣きました。
 泣くだけ泣いてから、サワは息子の姿を見ました。
 そこには、さっき、からくり人形芝居で隣に座った、きたない少年がいました。


母恋う子

 パチンコ店やスーパーの駐車場で、自動車に、赤ん坊を寝かせたままにして、遊びほうけ、熱中症などで死なせたお母さんが後を絶ちません。
 子どもの最初の人間関係で、大切なのは、当然母親です。子どもは常に母親を必要としています。親がそれに気づいたときはおそかったという話は、どこにでもあります。この岩手の話もその一つです。
 人形芝居研究の第一人者、宇野小四郎氏によると、この話の盛岡南部藩は、江戸時代初期の寛久5年に、江戸から操り人形を呼びよせたり、寛永年間にも、淡路の人形祝福芸を、盛岡に定着させたそうです。この村にも巡業してきたのですね。

(2005.11.10)

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