農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 昔々その昔

松原遠く消ゆる
挿絵: 種田英幸
文: 種田庸宥 日本福祉大学客員教授



海   文部省唱歌

一、松原遠く消ゆるところ
  白帆の影は浮かぶ
  干網浜に高くして
  鴎は低く波に飛ぶ
  見よ 昼の海
  見よ 昼の海

二、島山闇に著(しる)きあたり
  漁火 光淡し
  寄る波岸に緩くして
  浦風軽く沙(いさご)吹く
  見よ 夜の海
  見よ 夜の海
   尋常小学校唱歌(五)大正2


松根油を採る

 松根油は、あの松の木はもうみんな、こんな大っきな木でも何でも、みんなこう切って、その下へ空き缶や何か置いてそこへたれるようにして、切ったやつはその根っこを掘って、釜をこしらえて、油ァ採ったですねえ。学校にも大きいのがあったですよ。直径1メートル位だったかな。やっぱり油採ったから、あの木も、枯れちゃったですよ。
    千葉県・名井元裕/談

 知人の兄さんは海軍士官なのに、船に乗れないで、――ということはもう乗る船がなかったんですね。鳥取の山奥で松根油を採っていました。昭和20年のことです。8月15日、日本は戦争に負けました。村の人がいってました。
「勝てる訳ねえと思ったわ。松の木の皮むいて、油とってさあ」
    鳥取県・松谷みよ子採集

 高知県幡多郡大方町入野の松原は、県立公園の防風林で、戦時中軍の用材に伐れと言われましたが、軍に抗い、守り続けた人がいたおかげで、今でも残っています。
    高知県・徳弘とよ/談


どう乗り切るか?

 敗戦の年の5月、横浜への空爆で、海軍の石油貯蔵基地から上がる黒煙を見た昭和天皇は、元首相・米内光政を呼んだ。
 「あれは松根油が燃えているのです」
との説明に、天皇は言った。
 「松根油は農民が苦労して集めたものではないか。至急消すよう」
 エネルギー資源を断たれた日本は、戦争末期「200本の松で航空機1機が1時間飛べる」と、日本中の松を掘り起こした。
 敗戦時、国民学校3年生だった私たちは、上級生が掘ってきた松の根から、土を落とす作業をさせられた。日本中の浜辺から松原が消えたが、徳弘とよさんが話してくれた高知県の大方町(合併して「黒潮町」になりました)では、住民の抵抗で入野の松原が残った。
 この松根油の話は、エネルギー戦略を誤って国を傾かせた戦前日本の象徴だと読売新聞は書いているが、資源小国日本は、どう乗り切っていけるか。

(2006.8.23)

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