農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 今村奈良臣の「地域農業活性化塾」

手をたずさえて農地を生かそう(上)
―集落営農と門徒を考える―

活性化塾・表
 司馬遼太郎の『街道をゆく』に次のような一文がある。
 「本願寺ではいまでも、門徒勢力の強かった土地については、とくに国名を冠して特別な地帯のようにして称(よ)んでいる。加賀門徒、三河門徒、播州門徒、安芸門徒というようにしてよぶ。この四大勢力のほかは東海門徒という言葉が存在する程度であまりほかの土地については聞かない。たとえば越中(富山県)なども強い勢力があったのに、とくに越中門徒というぐあいにしてよばないのは、あるいは戦国期の一向一揆と関連があるのかもしれない」(司馬遼太郎『街道をゆく(9)信州佐久平のみち、潟のみちほか』朝日文芸文庫、116〜117頁)。
 この一文に接して、私は、あっと思い当たることがあった。浄土真宗の信者の多い地域には、集落営農やそれを基盤にした農業生産法人が多いのではないか、という発想に駆り立てられた。これまで漠然と考えてきてはいたが、この一文に接して改めて検討してみようと考えるようになった。
 私がこれまで歩いてきた感覚では司馬遼太郎が上げた地域以外にも、新潟県の上越地方、石川県の能登地方、越前と呼ばれる福井県、滋賀県の湖東、湖北地方にも浄土真宗の信者が多いように考えている。そこで本願寺(東、西双方)に問い合わせてみたが、どの位信徒が居るかその人数は教えられないと言われ落胆したが、いまあげた地方に信者が多いということだけは判った。
 そこで、これらの地域での集落営農の設立状況を農林水産省の統計で調べてみた。平成19年2月1日現在のもので、その後増加しているかもしれないが、県別に示してみよう(但し、上越地方とか湖北、湖東地方というように地域別までは今の段階では判らない)。
 表に示したように、この8県で4264組織と全国1万2095の3分の1以上(35.8%)を占めているのである。また、集落営農組織の中で法人化しているのはこの8県で518、全国1233法人の中の実に42%を占めている。
 集落営農数では富山と滋賀がとび抜けて多くそれぞれの868と831と800台を超えており、ついで福井(516)、兵庫(560)、広島(569)と500台を超えている。
 この表に示した県以外で集落営農が多いのは、岩手(451)、宮城(561)、山形(526)、福岡(685)、佐賀(684)、熊本(380)、大分(385)などであるが、これら東北と九州のいくつかの集落営農数の多い県についてはさらに別の機会に調査、検討してみたいと考えている。

◆手をつないで渡ろう

 そもそも、私が浄土真宗と農業、農村の関連について考えるようになったきっかけは、かなり昔にさかのぼる。
 昭和30年代半ば、愛知県安城市の水稲の集団栽培について調査に伺った時であった。安城市の高棚地区の公民館の2階に農民の皆さんが埋めつくし、愛知県の農業改良普及員をされていた西尾敏男さん(のち愛知県立追進営農大学校校長)の話に食い入るように耳を傾けメモを取っている姿であった。
 その場の話題は水稲の集団栽培についてであった。水稲の集団栽培とは、地域の稲作の生産力を高めるために、品種の統一、作期の統一、育苗の共同化、田植の共同化、施肥等の統一(もちろん、地力差を調査のうえで調整)、防除の共同化、水利調整の統一と共同化、収穫作業の共同化などを行おうというものであった。農地改革で自分の農地を確保し、それぞれの考え方や実践力で農業生産力を個々の農家ごとに高めようとしていたのが、この時期の主流であった。しかし、安城市周辺では、すでに高度経済成長の洗礼を受け、農家の兼業化は急速に進みつつあった。中学、高校を卒業した若者は、この地域に急速に展開したトヨタやその関連企業に就職し、また農業の中核的労働力であった中年層までが、下請け企業や建設業へと急速に流出しつつあった。
 こういう状況の中で、水稲の集団栽培という考え方は、特に安城市周辺の中高年層の水田農業の担い手たちへの斬新な問題提起であったように思う。都市化、兼業化は周辺で急速に進んでも、戦前から「日本のデンマーク」と言われた安城農業を衰退させてはならない、そのためには何をすべきか――水稲の集団栽培を基本に水稲生産力を高め、さらに、そこで省力化できた労働を多様な商品作物の振興につなげようと訴える西尾理論に共鳴したのであろう。全国で初めての組織的な集団栽培は安城市を中心に拡がっていった。
 そういう実情をつぶさに調査しているうちにその実践のバックボーンに何があるのかと気になって、高棚地区の何人かの古老やリーダーに聞いてみると、「皆な門徒だからなあ」ということを聞いた。たしかに高棚地区の農家を訪ね、座敷に上げてもらうと立派な仏壇があった。もちろん浄土真宗だなと直感した。何軒か回っても同じ光景にぶち当たった。
 「皆なで手をつなぎながら農業の振興につとめる。一人で抜け駆けするのは駄目だ。戦前からここの産業組合はそういうことを教えていた」

◆技術結合から土地結合へ

 高棚地区の古老にこういうことを教わったが、戦前の先進的な産業組合運動、そして戦後の先進的な農業協同組合運動のバックボーンには、門徒の精神が流れているのではないか、と考えた。それが、全国でも先陣を切った水稲の集団栽培につながっているし、さらにその発展形態の「農業の技術信託」へ、ついで全国で初めての集落の水田を利用権設定方式で集積し、その上に営農生産組合という大規模受託経営体を作っていくという、全国の手本となる地域農業の構造改革の路線が打ち出されていくことになる。それが、昭和47年に設立された高棚営農組合であり、新池営農組合、西部営農組合などであった。なかでも高棚営農組合は1976年の朝日農業賞の受賞に輝いた。当時私は朝日農業賞の審査員をしており、その表彰調書を力を込めて書いた。新池、西部営農組合ともどもその先進性を評価するとともに、都市化の中で農地を保全し、農地の有効利用をめざしつつ、地域農業の構造改革に取り組む姿を詳しく書いた覚えがある(酒井富夫編著『集団営農の日本的展開―朝日農業賞36年の軌跡』朝日新聞社、2001年3月、144〜147頁参照)。いずれも全国にさきがけ法人化し、さらに現在ではより新しい段階へと、都市化、兼業化の流れの中で、地域の農地や水利を守りたゆまざる発展を遂げているが、次回、他の地域の実践も含めて展開してみたい。

イラスト:種田英幸
イラスト:種田英幸
 
(2007.11.13)


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